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太宰治 新樹の言葉 意味の わからない箇所
宜しくお願い致します 太宰治 の小説 新樹の言葉 最後のページのほうで ”つくづく私は、この十年来、感傷に焼けただれてしまっている私自身の腹綿の愚かさを、恥ずかしく思った。叡智を忘れた私のきょうまでの盲目の激情を、醜悪にさえ感じた。”ここの部分が なぜ 唐突に思えてしまうような文章が 出てきたのか すんなり 理解できません なぜ 自分の 感傷 愚かさ そういうものを恥ずかしく思ったのか① 盲目の激情とは② なにを指して太宰は書いたのか なぜそれを醜悪と思ったのか③ フリースタイルでの 自由な投稿をお待ちしております
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- nagata2017
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回答No.1
彼の生涯を見るとわかるような気がします。 この作品を書いたのは 妻の裏切りにあい 共産主義運動から脱落して 心中で生き残り 生きる希望を無くしていた時期に書かれています。 そこに 乳兄弟(乳母の子供 つまり同じ乳を飲んで育ったという意味)が自分を探していたことを知って その純粋な心の持ち主とは違う 自分の生きざまが そのような感情を抱かせた。 サラリーマンになって毎日自宅と会社の往復を繰り返す生活とは 全く違う自分の過ごしてきた人生が 客観的に見ると 愚かで醜悪に感じてしまう。