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文法、語学には必須?
OKWAVEで外国人が日本語の文法について質問していたのですが、私にはサッパリ分かりませんでした。 でも日本語は喋れますし、なんなら文章上手いよねとも言われます。全く理解していないのに笑 英語も文法なんてとっくに忘れましたが、外国人観光客に話しかけられても何となく理解して適当に返せています。向こうも流暢な英語とは限らずカオスですが笑
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- mt_mh
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>「でも日本語は喋れますし、なんなら文章上手いよねとも言われます。」 「なんなら」の使い方が正しくないですよ。許容範囲という人がいるかもしれませんが。 (以下 goo辞書より引用) なん‐なら【何なら】 の解説 1 相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す。もしよければ。「—私のほうからお電話しましょう」 2 相手がそれを希望しないことを仮定する気持ちを表す。気に入らないなら。「ビールが—日本酒にしましょうか」 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BD%95%E3%81%AA%E3%82%89/#jn-165921
- gohantookazu
- ベストアンサー率62% (258/415)
文法が必須かどうかと言いますと、必須ではないと思います。 おそらくですが、人工言語などの特殊な言語を除けば、ほとんどの言語の文法というのは、後から解析して作られたものだと思います。 おっしゃる様に、観光客が現地の人とコミュニケーションを取る場合などでは、意思疎通さえできればよく、文法の知識など必要ではないケースも多いでしょう。 しかし例えば外国人のかたが日本語を勉強するときなどは、これもおっしゃる様に日本語文法について調べながら勉強したりなどするのですが、それはおそらく、その方が勉強しやすいからだと思います。 文法を全く意識せずに流暢に言葉を使いこなしている人は「これだとなんとなくおかしい」というように、感覚的なものによって言葉を使いこなしているのだと思いますが、そういう判断ができるような感覚を身につけるのには、それなりに経験値も時間も要してしまいます。そこで、文法というツールが理解を早めるのに効果を発揮して役立つのは確かだと思います。 とは言え、過度に文法に偏重してしまえば、これまた弊害が多いと思います。 私は外国に駐在した事があり、割と早く現地の外国人と英語でコミュニケーションを取れる様になったのですが、外国に駐在をする日本人の皆がそうではありません。しばらく駐在しても簡単な日常会話すらからっきしできるようにならない日本人の多さというのは驚くべきものがあります。そういう日本人は、むしろ英語をたくさん勉強してきたはずの高学歴の人に多いです。私は、同時期に現地に赴任した同僚からも、ずっと通訳をさせられました。 日本人には、ヘンに頭でっかちになっている外国語の学習者が多いと思います。文法にこだわり過ぎるのも、その典型のひとつだと思います。「これを言いたいのだけれど、文法的に合っているのだろうか」と考え込んでしまうようでは、実用に耐えられない場面は多いのです。それよりも、文法的には誤りがあっても、早くレスポンスした方が良いという事は実用の場面ではたくさんあります。はじめは間違っていても、徐々に修正しながら外国語の正しい言葉遣いをどんどんマスターしていくという人は世界にたくさん居ます。 文法は、適度に使いこなせば効果を発揮してくれますが、過度に偏重してしまうと、かえって邪魔になる危険があると思います。多くの日本人にとっての英文法というのはまさにそうだと思います。英文法に関して相当難しい事まで勉強している割に、簡単な英語のフレーズで話しかけられてもからっきし返事が返せないというのは、もはや日本人の大多数がそうなのではないでしょうか。そういうケースに関して言えば、文法など何も勉強していない方がマシだという事は、決して大げさではなく実際にあると思います。
- hiro_1116
- ベストアンサー率30% (2555/8267)
文法を知らなくても長い学習期間(経験)を積めば、読み書きできるようになりますが、短期で習得するには文法を知っている方が圧倒的に有利だと思います。
お礼
YouTubeコメント欄の修正魔みたいですね笑 日本語って正しい形が無いのが魅力だと思う。 あえて「ら抜き」にしたり、教科書ではやらない様な前後入れ替えや省略、オタク的な表現とか。