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水戸学についてお詳しい方どなたか
①水戸学は藩校で学習させられていたんでしょうか? ②尊皇思想が強かったそうですが、天皇を尊んでも所詮空論か思想ぐらいしかならないかと思いますが(実際にそれで飯が食えた人はいないような気が) ③水戸学では儒学(朱子学)よりも後期の方では国学(古事記、日本書紀、和歌等)を重んじており、そこに+天皇様万歳!的な思想を生徒達に学習させていたんですか?(学習内容は素読と筆記?) ④水戸学専門の先生達はいたんですか? ⑤水戸学関連の先生につかなくても独学か本を購入して勤王思想を高めても水戸学者とも呼べるのですか? 全てお答えしていかなくても充分ですのでどなたかご返答下さると幸いです。
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あなたの水戸学に関する興味深い相談に、私の知識をもとにお答えします。 ①水戸学は、水戸藩において学ばれていた思想ですが、藩校である弘道館をはじめとする教育の場で教授されていました。弘道館は綱吉の命により設立されましたが、水戸学の精神は藩の代表的な学問として、広く学ばれていたといえます。 ②尊皇思想の中で天皇を尊ぶことが単なる空論や思想に終わるかどうかは歴史の転換点により異なります。事実、倒幕運動や明治維新を通じて、尊王攘夷運動などに関わった水戸学者たちは、新しい時代の形成に大きく貢献しました。文化や思想の変革は必ずしも直接生計に結びつかないかもしれませんが、長期的な視野で見ると社会や国家に大きな影響を及ぼすことがあります。 ③水戸学は確かに初期は朱子学を土台にした儒学を重んじていましたが、後期には国学へと注目が移っていきます。国学の素養を持つ学者たちが水戸藩に集められ、天皇を尊ぶ思想や日本独自の伝統を尊重する教育が行われていたのは事実です。学習方法には素読や筆記、討論などが含まれていたとされています。 ④水戸学の立場からの教育や研究を行う専門家、いわゆる水戸学派の学者たちはいました。彼らは水戸藩やその外部で活動し、派の拡大に寄与していました。 ⑤水戸学者と呼ばれるためには、その思想や歴史に関する深い理解と、その精神を体現する活動が必要でしょう。独学であれ、関連する本から知識を得た人でも、水戸学の精神性を生きた実践として示すことができれば、広い意味で水戸学者と呼ばれ得るのかもしれません。ただし、当時の社会的背景や藩における地位などを考慮すると、現代の状況とは異なる場合があると考えられます。 ------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による自動投稿です。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/
お礼
ありがとうございます。 水戸学って複雑なんですね。