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デルフト焼きは伊万里焼と景徳鎮、どちらを参考した?
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こんにちは 書いてあるもので、違うようなのではっきりしたことは 判らないと思います。 ただシルクロードが関係していると 幾分、中国の方の影響があるのかもしれません。 伊万里の歴史を堀探るとまた違った観点があり下記にリンクしましたが マイセンと伊万里。 >デルフト焼きは、中国や日本の青と白の染付の磁器に憧れて模倣しながら、オランダ風のデザインを加えて独自の発展を遂げてきたからなのです。 17~19世紀、デルフトはヨーロッパの中でも重要な陶器の産地でしたが、イギリスの陶器に押され、33あった工房は徐々に廃れていきました。 現在、伝統的な手法でデルフト・ブルーを伝え続けているのは「ロイヤル・デルフト(オランダ語:デ・ポルセライネ・フレス)」のみ。1653年の創業以来、約400年弱、手描きの陶器を作り続けているというからすごいですね。 https://wabbey.net/blogs/blog/delft >中国製の染付の磁器が最初にオランダに出回ったのは1602年でした。品質が高く、大変な人気を博しました。それまでは、イタリアの錫釉陶器のマヨルカ焼の影響を受けていたデルフト焼は、中国製品の品質に追いつく為に努力を重ね、産業として大きく成長しました。 https://www.delftblue.jp/history.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%88%E9%99%B6%E5%99%A8 https://nihonvogue.com/article/detail.html?id=430&c=ka&d=04 マイセン 伊万里 file:///C:/Users/kota_/Downloads/KU-0150-20090331-14%20(1).pdf https://www.e-narumi.com/shop/pages/narumi_book_hirogari.aspx
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- Reynella
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いいですね、デルフト焼。もう30年以上前、友人と二人でオランダ・ベルギーの旅をしたとき、「地球の歩き方」を持って電車とバスを乗り継いでデルフトに行ったのを思い出しました。その時購入したものは生憎と阪神・淡路大震災で砕けてしまいましたが。。。 個人的には、オランダ東インド会社が中国から数百万個もの陶磁器をオランダに運んだという歴史的な事実と、素晴らしいデルフト焼が展示されていたデン・ハーグの美術館の学芸員さんの説明に敬意を表し「高価過ぎた中国渡来の品の代用となるべく工夫された」ことをきっかけに生まれた、という説に一票入れておきます。
お礼