• 締切済み

兵士が戦場で戦死するとき「お母さん!」と言ったか?

第二次世界大戦のときに子どもだった人が書いたものを読むと、子ども心に戦場で死ぬときは「天王陛下万歳!」と叫んで死ななければならないと心に決めていたと書いてありました。 しかし、実際に第二次世界大戦に従軍した人が書き残したものを読むと、戦場で戦死するときに「天王陛下万歳!」と叫んで死んだ兵士はいなくて、死ぬときに「お母さん!」と叫んで死ぬ兵士が多かった、と書いてありました。 これは作り話かも知れないと思っていますが、ありそうな話ではあります。 戦場で死ぬときに「お母さん!」と叫んで死ぬ兵士が本当に多かったどうか、また「天王陛下万歳!」と叫んで死ぬ兵士がいなかったかどうか、についてもっと信頼できる証言が書いてあるものはあるでしょうか? 私は「推測」ではなく「事実」を知りたいのです。

みんなの回答

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7982)
回答No.3

外国映画ですが、「禁じられた遊び」という映画がありますよね。戦争孤児となった女の子が戦場となった街を放浪しながら、最後に引き取り先が見つかって駅で待っている時に、恋人同士が「ミシェール」と呼んで抱き合っている姿を見て、トラウマになっていた言葉だった「ミシェール」を叫びながら、群衆の中に母の姿を探し求めて走り去っていくエンディングでしたが、日本人の私でさえ泣かずにはいられない映画でした。 しかし、なぜ「ミシェール」なのでしょうか。「お母さん」でも良かったはずですが、「お母さん」にすると泣く人はいないのだそうです。戦場で兵士が死ぬ時に叫んでいた言葉は1つでは無いと思います。様々な言葉を叫んでいたはずです。それを1つしかないと信じさせようとするのは情報操作ではないかと思います。政治的プロパガンダだと思った方が良いと思います。 先に書いた映画「禁じられた遊び」が大ヒットした後、ミシェールという名前の政治家が当選したと聞いています。ミシェールという名前を子供に付ける親が多かったとも言われます。ビートルズが「ミシェール」という歌を歌っていますが、この事件に対する皮肉の意味のようです。 作家が書いた本には政治が絡みます。鵜呑みにしない方が良いと思いますね。

回答No.2

「事実」を知ることは過去行きのタイムマシンが開発できるまで出来ないでしょう。 当時録音機器付けて特攻なんてしていないでしょうし、戦場の生き残りの証言も信用出来ないかと。 重傷を負って治療のかいなく亡くなってしまった時も話せたかどうかによりますが、最期の言葉を聞いた人(衛生兵)ももう生きているかどうか… 生きていても記憶がしっかりしているかどうか… 祖父が南方で衛生兵をされていましたが、もうとっくに亡くなっていますし。 イタコも胡散臭いですよね。

  • ple6
  • ベストアンサー率63% (1284/2018)
回答No.1

質問文が矛盾しているように思えます。 >第二次世界大戦のときに子どもだった人が書いたものを読むと、子ども心に戦場で死ぬときは「天王陛下万歳!」と叫んで死ななければならないと心に決めていたと書いてありました。 これは、戦争に行っていない方の証言ということで良いのですよね? ならば、当時の教育や人々の思想としてそのように叫んで死ななければならないという美意識を教え込まれていたということでしょう。 ネットでの検索でもそのように教えられていたという表現の文章がありますので。 問題は次の文章です。 >実際に第二次世界大戦に従軍した人が書き残したものを読むと、戦場で戦死するときに「天王陛下万歳!」と叫んで死んだ兵士はいなくて、死ぬときに「お母さん!」と叫んで死ぬ兵士が多かった、と書いてありました。 これも従軍した人の証言ではないのでしょうか? それなのに「これは作り話かも知れないと思っていますが、ありそうな話ではあります。」と言うことはその証言を信じていないということですよね? それなのに「もっと信頼できる証言が書いてあるものはあるでしょうか?」とは矛盾していませんか? 「万歳アタック」という言葉がある以上、懐疑的になる心情もわからなくはないですが、「事実」を知りたいというのであれば、それこそ亡くなった方たちに聞くしかないと思われます。 ただ、世界的に見れば親や大切な人の名前を叫んで死んでいったというのはよくある話なので、個人的にはそれほど間違ってもいないとは思います。 「天皇陛下万歳」にしても、yahoo知恵袋にあった「太平洋戦争中、兵士や国民は本当に心から天皇陛下万歳って思ってましたか?」という質問に対しての回答 「心から天皇陛下万歳って思っています。しかしそれは裕仁天皇個人への崇拝ではなく おとうちゃん、おかあちゃん、じいちゃん、ばぁちゃん、嫁さん、子供、隣の家のみっちゃん、何かあれば集まる親戚や知人、小遣いくれた誰か、それをもって買いに行った駄菓子屋のおばちゃん、先生、先生のお母さん、近所の悪ガキ、庭に咲く桜の木、裏山の湧き水のおいしさ、見慣れた風景だけど何かの折に感じる風景の美しさ、自分が生きてきた思い出、、、、、そういうもの全てを一言で表して天皇陛下万歳です。慣習ではなく自分が愛する全ての名刺を列挙することは出来ないので一言「天皇陛下万歳」なんです。」 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11249025671 と言う心だと思いますので、それが別の言葉であっても個人的にはどうでもよい話だと思います。