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戦前の学習院

三島由紀夫氏が学習院卒業なのは知っていました。 華族か何か名門の出だろうと思っていたのですが、 祖父は兵庫県の農家の出身なんですね。 農家出身と言っても、祖父も父も東大卒のエリート 官僚ですから、平民でも父が高級官僚、高級軍人なら 学習院に入学できたのですか?

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  • D-Gabacho
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回答No.3

学習院アーカイブズで公開されている『学習院百年史』第一編によれば、明治10年10月の学習院開校に先立って制定された「華族学校学則」に「学習院ハ専ラ同族子女ノ教養スルノ所トス」と定められていたものの、華族会館長岩倉具視は生徒を華族のみに限ることによって弊害が生じる恐れがあることを理由に、校長の裁量によって士族・平民の就学を許可するよう指示し、開校当初から50名の非華族生徒が入学(華族生徒は205名)しています。 明治12年9月施行の「学習院学制」に正式に非華族子弟の入学規定が盛り込まれて「華族ニアラサル者ヨリ入学ヲ願フトキハ、其父兄又ハ其他保証人トナルヘキ者ヨリ院長ニ願ヒ出ツヘシ。院長ハ特ニ華族会館長ノ認可ヲ経テ之ヲ許スヘシ」と定められ、さらに同年11月に士族・平民の入学定員を華族の三分の一とする内規が設けられています。 Wikipedia三島由紀夫によれば、平民の三島由紀夫が学習院に入学するには紹介者が必要で、祖母夏子の伯父である松平頼安(子爵で上野東照宮社司。常陸宍戸藩主松平頼位の二男)が保証人となっています。また、祖父定太郎と『国際私法』を共著した第14代学習院長の福原鐐二郎の紹介もあったのではないかと推測する研究者もいるようです。ちなみに三島由紀夫の入学当時の院長は第15代の荒木寅三郎です。 当時、平民が学習院に入学するには、何よりコネが必要だったといえると思います。 Wikipedia三島由紀夫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB 学習院アーカイブズ 学習院百年史 https://www.gakushuin.ac.jp/houjin/archives/hyakunenshi.html

dw5462
質問者

お礼

回答並びに説明ありがとうございます。 学力と学費以外にもコネが必要だったのですね。 三島さんは父方の祖母が名門武家の出身だったので コネがあったということでしょうか。

その他の回答 (2)

  • oska2
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回答No.2

>平民でも父が高級官僚、高級軍人なら学習院に入学できたのですか? 両親・祖父母が(爵位のない)士族や農民・商人など平民でも、学習院には入学可能でした。 明治維新当初は、「華族学校」として開学してので華族のみ入学が許されたのです。 1884年に「官立学校」に移行し、能力があれば誰でも入学できる様になりました。 が、現実的には「華族優位」だった様ですね。 終戦後、GHQの命令により「私立大学」となり現在に至ります。 小学校・中学校・高等学校・大学・大学院と、すべて揃っていますから「今でも、そこそこの坊ちゃん・お嬢ちゃん」が在籍しています。^^;

dw5462
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 戦後の学習院大学は家柄に関係なく誰でも入れるイメージです。 OBの俳優やタレントもいますが、小学校から学習院に行くのは 良家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんのイメージです。

  • f272
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回答No.1

明治にできた学習院は華族のための学校として設立されましたが、その第一期生から華族だけでなく士族、平民も入学を許可されていました。学費を支払えるならエリートでなくても入学しています。

dw5462
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 戦前から、学費さえ払えるなら誰でも入学できたのですか。 それは知りませんでした。華族とエリート軍人、官僚の 子供に限られるのかと思っていました。