- 締切済み
特に学の無い侍や武芸者は明治維新後どうなった?
江戸末期、特に学の無い侍や武芸者は明治維新後どのような生き方をしてたんですか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
武芸ある人は、警察官か軍人になったんじゃないでしょうかね。全部を調べたわけではないですが、そうなるのが自然かなと思います。 新撰組という明治政府にとっては敵側になる組織にいたのに、明治時代に警察官になった人もいました(斎藤一)。 「学がない」というのは、質問者さんがどのような人を想定しているのか分からないので、なんとも。 武士は身分の問題だから、学問は関係ないです。学問をするのは学者であり、武士ではありません。名目上、武士はあくまで武芸を主とする階級です。ちなみに大半の武士は計算ができません。計算というのは商人のような「卑しい生業をする者がやること」なので、武士はそんなことはやってはいけないのです。
- f272
- ベストアンサー率46% (8467/18129)
侍は,明治になって士族となりました。侍の収入は家に対して世襲で毎年支払っていた家禄でしたが,明治政府の歳出のかなりの割合を占めていたため,禄制改革を急いでいました。その結果,廃藩置県までに全体の4割近くを削減しました。 その後,事業や帰農など就業のための資金と引き換えに家禄を返上することを促し,全体の1/3はこれに応募しました。これで3年分の俸禄を現金で受け取り,さらに3年分の俸禄にあたる額の公債を受け取りました。公債は毎年8%の利子が付きます。 明治9年には,強制的な家禄奉還が行われます。この時の公債の金利は,労働者の最低賃金の1/3程度の金額にしかならず,結局のところ公債を売って生活の足しにする人も少なくなかった。 士族であっても働かなければ食べていけないのであって,明治政府にやとわれて役人となったり,軍人,警察官になったり,農業を営んだり,一部には事業を起こしたりする人もいました。当然ですが,うまくいかない人の方がおおく,全体の2/3は,年間地租5円以上納付の府県議会の選挙権を持つ有権者にはなれませんでした。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
以下のとおりお答えします。 >江戸末期、特に学の無い侍や武芸者は明治維新後どのような生き方をしてたんですか? ⇒明治維新後、大名などの上級武士は知藩事(役人)に位置づけられ、家老などの中級武士は官吏、官僚、教員(になった士族)ようです。足軽などの下級武士の多くは、農業・工業・商業についた(平民)そうです。役人や士族には俸禄に代り、はるかに減じられた額の秩禄が給付されましたが、平民化した者には何も給付されなかったようです。 もっとも、その筋の文献によると、「士族たちが受け取った金禄公債の額は、かつての禄高などによって大きな開きがありました。支給割合は下に厚く、上には厳しかったものの、大きな格差のままでした。実際に即して考えれば、華族となった藩主はもちろん、上級士族は高額の公債を受け取っており、さらに義務なども軽減され、裕福な生活を維持することが可能であり、急いで仕事を求める必要は少なかったといえます。他方、下級士族や足軽、さらに卒と呼ばれた武家奉公人たちは「率」などの面では優遇されましたが、額としてはわずかで、それのみで生活を維持することはできませんでした。こうして、ただちに生活が行き詰まることになり、公債を手放し新たな生業を求めるものが多かった」そうです。 詳しくは、http://jugyo-jh.com/nihonsi/をご参照ください。
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
商才が無い人と言うことですよね? 軍人や警官とかでしょうか。反社会組織に行った人もいるでしょうが。 幕末時点での武芸者というのは道場を開いて月謝をとるかそこで師範をするかなどして生計を立てていた人と言うことでしょうから、ごく一部の人気道場ならしばらくはそれで行けたも知れません。今も各種武術道場ありますからね。