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古文の助動詞「る・らる」(尊敬)について
ある古典文法の参考書には 仰す・思す・思し召す+る(らる) では尊敬の意としてとると書かれていました。 一方、ある古文解釈の参考書には (源氏の君ハ)かかるありきもならひ給はず、所狭き御身にて、めづらしう思されけり。 において、「す・さす」が尊敬となるのと違い、「る・らる」が尊敬になるのは単独で用いられた場合であり、上記文中の「思され」は、「思す」という尊敬動詞と併用されている以上、「れ」は尊敬以外の働きと考えて、自発と見て、「思わずにはいらっしゃれなかった」と解していました。 どちらが正しいのでしょうか?
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weblio古語辞典「思さる」 https://kobun.weblio.jp/content/%E6%80%9D%E3%81%95%E3%82%8B 上記URLの辞書の解説によれば、助動詞「る」が尊敬の「思さる」は中古末期(平安末期)からの用法とのことですから、「る」は自発と見て解釈するのが妥当だと思います。 なお「思わずにはいらっしゃれなかった」だと、自発の助動詞のほうを尊敬語にしてしまっているので、「お思いにならずにはいられなかった」とするべきでしょう。 ただ、文章の流れからみて、ここで「思わずにいられなかった」という表現が来るのは、風景をもの珍しく思ったことをそこまで強調する必要のある場面でもないので、少々おおげさ過ぎる感じがします。自発の助動詞だからといって、その意味を強調するのが、訳し方として適切とは限らないと思います。英文和訳でも辞書に書かれている語釈をそのまま並べると、どこか不自然な日本語になるように、「お思いにならずにはいられなかった」と訳すのは、不自然になっている気がします。 「かかるありきもならひ給はず、所狭き御身にて」で、もの珍しい思いが自発的に生まれる条件の説明が、しっかりされていますから、あとはシンプルに「もの珍しくお思いになった」でも、それが自発的だということは伝わると思います。
お礼
回答ありがとうございます! なるほど、時代によって使用頻度が変わるのですね、初めて知りました。どちらも使用可能な用法とのことなので、その時の文脈で意味を定めていこうと思います。訳の訂正や、その補足等も詳しくありがとうございました。