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江戸時代、お姫様の名字はどうなった??
島津斉彬の妹の候姫は土佐藩の山内豊熈のもとへ嫁ぎました。 こういう場合、候姫さまは島津候姫から山内候姫になった訳ですか? それとも名字は名乗らなかったのですか? あくまで壬申戸籍を作る前の江戸時代中の事を教えて下さい。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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回答No.1
基本的に女性には「姓」「名字」はありませんでした。 本人が何かの文書に署名していたのならばいいのですが、江戸時代のうちにはそういったものは無いようです。 また、朝廷から位を与えられた訳でもないので彼女に関しての公式な文書がありません。 また夫が亡くなったあとは出家し「智鏡院」と名乗ったそうです。 ですが、明治になると法律で名字を名乗ることが求められ、嫁ぎ先の「山内」姓を名乗り戸籍には「山内候子」となったようです。 歴史上の女性の「姓」「名字」は位を与えられた者以外は後世の学者によって付けられた「通称」です。 なので、候姫は「島津候子」と記しているものもあるようです。 「山内豊熈室 候子」とも書かれていますね。 位を与えられたら公式文書に記さないといけないので、「北条政子」などは実家の姓で記されたようです。