- ベストアンサー
量子テレポーテーションから思ったこと
新聞に、量子テレポーテーション・・・と言う記事が載っていました。私は全くの素人ですので、専門的なことは全く分かりませんが、面白そうなのでつい読んでしまいました。 そこで質問なのですが、例えば、「私」の今の状態(素粒子レベルあるいはもっと厳密な意味で見て)と、全く同じ状態の原子(だけではなくてもっと厳密な)配列を持った物質(人間)を作った場合、これは私と全く同じ物になるのでしょうか?私と全く同じ考えを持ち、記憶も全く同じ、運動能力などその他の能力も全く同じ、他人からは全く見分けがつかない人間となるのでしょうか? その場合には、「私」が2人存在することになりますか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>なるほど、呼吸などの外界とのやりとりですね。「私」の情報を何らかの方法で読みとっている間にも、呼吸、視覚、聴覚その他で「私」の構成状態が変わってきてしまいそうです。 そういうこともあり、物理的に「私」を定義する(量子力学的に言えば状態ベクトル|私>を定義する)のが難しいと思います。 ただ、ある箱の中の状態すべてを複製する装置が仮にあったとします。それの中に私と空気を入れて複製すると、複製までの記憶をまったく同じようにもち、他者からも区別できない「私」が、その時点で二人できあがるでしょう。 しかし、その後の二人の「私」はまったく同じ人生を歩むことは不可能ですから、そこからは違う記憶が形成され、社会ともちがったかかわりをしていきます。ですから、複製後の二人は、それぞれ別の人、たとえば双子のような存在になるのではないかと思います。 ただ、複製までの人生が同一であることから、社会的にどのような扱いをうけるか、たとえば複製までに作った財産や家族などをどちらが引き継ぐべきかなどについては、明らかではありません。 そういう意味でも、物理的な問題ではなく、哲学や社会、法学といった分野での問題になるのではないでしょうか。
その他の回答 (2)
- nzw
- ベストアンサー率72% (137/189)
この問題は物理の範疇では閉じなくて、哲学とかが絡んできますね。 たとえばこういうことを考えてみて下さい。 子供のころの「私」と現在の「私」、身長も違えば体重も違う、もちろん構成している元素比や分子の状態もちがうから物理学的に見れば別のもの、でもどちらも同じ「私」。また、一回の呼吸をするだけで「私」に属していた酸素原子が「私」の一部ではなくなってしまう。 このように、ある「私」を物理学的に厳密に定義するのは非常に難しい問題です。それよりも記憶の連続性や人間関係などといった物理学とは別の階層で「私」が定義されていると考えたほうが自然であると思います。 なお、量子テレポーテーションはある量子状態を別の場所に移すという操作であり、それを行った時点で、移動元の物理状態は元の物とは違うものに変化してしまいます。ある量子状態を複製するということは、(状態が既知でないかぎり)原理的に不可能であることが示されています。(これが量子暗号の安全性の根拠となっています)
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 なるほど、呼吸などの外界とのやりとりですね。「私」の情報を何らかの方法で読みとっている間にも、呼吸、視覚、聴覚その他で「私」の構成状態が変わってきてしまいそうです。 また、量子暗号についての言及ありがとうございます。以前聞いたことはあったのですが、チンプンカンプンでした。nzw様の解説で少し分かりかけた気がします。
- osamuy
- ベストアンサー率42% (1231/2878)
物理的な状態が同じなら、身体機能や記憶に差は出ないはず(もしかすると何か外部の場に依存する理屈が無いとは言い切れませんが。)ですので、第三者には区別が付けられないでしょう。 ただ二つになった以降の自意識は別々に発展する事になりますから、「私」は、それぞれに「私」ではないかと。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 自分の予想に近いお答えがもらえて嬉しいです。
お礼
再度の解答ありがとうございます。 お礼が遅れて申し訳ございませんでした。 量子テレポーテーションで思ったことは、自分のそっくりのコピーを自分の存在したい場所に(遙か彼方の遠い場所)作って、オリジナルを殺せば(!?)自分は一瞬でその場所に移動できたことになるのかなぁ~、と言う疑問です。記憶や考え方、性格やその他の身体的特徴が全て同じなら、人間のテレポーテーションと言うことになるのでしょうか。