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日本が街を囲む高い壁を造らなかった理由
中国やヨーロッパの都市は高い壁に覆われていたようですが、日本では、例えば平城京、平安京や各地の戦国大名が、街を守るための高い壁を造らなかったのはなぜですか?
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ヨーロッパや中国=ユーラシア大陸は「略奪社会」です。なぜならば、彼らは「狩猟民族」だからです。狩猟とは獲物を射止める=殺して自分のものにするということであり、そこには「生産」というものはありません。略奪社会ですから、都市が略奪されないように城壁で守らなければなりませんでした。金持ちは、自宅を頑丈な石造りにして守らなければなりませんでした。 日本は採集農耕民族ですので、作物を共同で育てそれを皆で分配します。「育てる」ことと「共有する」ことが基本の「共栄共存社会」なのです。ですから、都市が略奪されるということはありませんでした。 平安京/平城京は、エルサレム(=エル・シャロム=平和な都)の街を模したものですが、上記の理由で高い城壁は造りませんでした。 戦国時代でも城壁を築かなかったもう一つの理由は、日本人の主食は米ですが、江戸時代になってからは藩の倉に年貢米を三年間貯蔵しておくようになりましたが、戦国時代にはまだ米を大名が集中管理していなかったからです。かつ、戦国というのは領主の覇権争いであって、民衆が食べ物を求めてのものでは無かったからです。
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- eroero4649
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単純にいえば「攻められなかったから」ということになります。 中国やヨーロッパの都市が要塞になっているのは、そういうことをしておかないと異民族に攻め込まれて皆殺しにされるからという事情がありました。 特に中国はしばしば北方の騎馬民族が食べ物が乏しい冬になるとやってきて、略奪という名の出稼ぎをしてくるので対抗しなければなりませんでした。騎馬だと石造りの要塞は攻略できないですからね。 日本ではまず古い時代、それこそ平安時代などはその名の通り平安で戦乱、特に異民族の侵略というのはありませんでしたから、都市を要塞化する必要はありませんでした。 そのうち武士が台頭してくると、彼らは戦争用の施設である城を作るようになりましたが、元々城は戦争のための一時的な施設だったので土塁を中心とした簡易的な作り方でした。 戦国時代も初期は、普段は平地に館に住んで、いざというときは近くの山地にある城に逃げるというのが一般的でした。武田信玄の躑躅ヶ崎館が有名です。普段は館に住んで、いざというときは少し離れた場所にある要害山城に籠るのです。 しかし時代が下るにつれて城も恒久的な施設になり、やがて我々がイメージする「お城」の姿になりました。こっちは石垣があって櫓や天守閣が作られていますね。 日本で「町全体を囲った」といえるのは、戦国時代の堺と小田原くらいじゃないでしょうかね。小田原(城)はヨーロッパ的な、町全体をぐるりと囲んだ城塞都市でした。これをモデルにして豊臣秀吉は大阪城を作ったともいわれています。 他の戦国大名が小田原城のようなものを作らなかったのは、建設費と自分たちの城がどのくらい攻め込まれるかの可能性で「そこまでやるにはコスパが悪い」とされたからだと思います。都市をぐるりと囲むのは建設費も維持管理費も膨大です。 小田原がそこまでやったのは、当時の北条氏は山内上杉、扇谷上杉、武田がそれぞれ敵対勢力になることしばしばで、北条氏はベンチャー企業みたいなもので、他の家は大企業みたいなものでしたから小田原は常に脅威に晒されていた恐怖感が北条氏にはあったと思います。実際、小田原城くらいしばしば攻められている城もなかなかないです。
- pri_tama
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>中国やヨーロッパの都市は高い壁に覆われていたようですが、日本では、例えば平城京、平安京や各地の戦国大名が、街を守るための高い壁を造らなかったのはなぜですか? いや、堀を掘って土塁を巡らした方が防御力高いでしょ。 (数百年後の第一次大戦でも有効だったのですから…。) 城壁な何て厚さが、1m未満が多い(攻城兵器で破壊可能)ですが、土塁なんて最下部が10mを超えるものも珍しくありません。 通常、土塁を作る為に、前に堀を掘っていますので、そもそも攻城兵器は近づけません。 事実、ヨーロッパでは、16世紀以降の城や要塞は、壁を壊して堀と土塁で囲むように成ります。 (16世紀以降のヨーロッパの都市って稜堡で囲まれます。) また土塁は、壁と異なり19世紀の大砲弾が命中しても倒壊したりしませんし、たとえ崩れても土嚢で修復が可能です。 ただ、堀を掘って土塁を巡らすって物凄く人手を必要です。 日本は、米という連作障害が無く、面積あたり高い収穫量を誇る作物を主食としている関係で、人口集中が可能で人手の確保が容易でした。 (中世のヨーロッパでは、都市と言っても数百~数千人程度で、住人が万を超える都市は、数える程しかない…。) しかも米は、大量の水が必要な事から、洪水防止の堤防作成や用水路作成の必要な為、どんな田舎でも土木工事の知識・経験が高く、堀や土塁を築く事の敷居は大変低いです。 ⇒なんせ、縄文時代の集落ですら環濠集落という堀と土塁で囲う事を行っております。 まあ、城壁が示す威圧感の価値は、中世以前であれば無視できませんが…。
- 5555www
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中国の歴史は、いつでも戦乱だらけの歴史といってよいと思います。いつ周辺諸国から攻められるかわからない。誰が支配者になるかもわからない。そんな中で唐は300年の大帝国を築いたのです。現在の中国共産党でさえまだ70年です。当時としても、日本とは「国力」が違うと想像します。「経済力」も到底及ばなかったと想像します。平城京にしても、平安京にしても、当時としては、精一杯の遷都、造営だったのだと思います。戦国時代に全盛期の秀吉が築いた難攻不落といわれた大坂城でも、あの程度です。 それに、戦国時代の「城」のように攻撃や防御を目的としたものではなく、儀礼的あるいは政治的な行事を行う「儀礼空間」、それも唐の長安城には及ばないにしても、中国を意識した「国際標準的な」というようなことが重要だったのだと某書に記述されています。 それに、これは確かではありませんが、「戦禍からの都市の防衛」ということよりも、「天皇や貴族の政治的活動を支える」とか「流通・交易の充実」といったような都市機能に視点が置かれたこともあったようです。 また、専門家の方の中には、下記のような見方もあるようです。参考になれば幸いです。 https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/11/tanken69.html 外国からの侵略の恐れが少ない島国では、防御施設までは模倣しなかったのでしょう。……平城京遷都の約50年前には、「白村江の戦」の敗北と大陸から攻めてくるのではないかという恐怖心を味わった経験がありますから、外国からの脅威を全く感じていなかったと言い切れるのか、この辺のところは私には分かりませんが、疑問には思います。 後の時代になりますが、鎌倉時代の「元寇」でも、元は大きな武力を持って攻めてきたにもかかわらず、失敗しています。大陸とは海峡を挟み、急峻で複雑な地形の日本は、武田信玄の言葉をもじると、「国土は全体が城、山は石垣、海や川は堀」というのんきな安心感と「遣唐使も派遣しているし、まさか唐から攻めてくることもないだろう」といった大した根拠のない油断みたいなものがあったのかも。
- staratras
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日本でも城壁に囲まれた都市がまったく存在しなかったわけではありません。 例えば北条氏の時代の小田原は城下町を小田原城の城壁がすっぽり包んだ城郭都市で、小田原城の周囲は五里(約20km)もあったとされています。また豊臣秀吉が天正年間に京都の周囲に「御土居」とよばれる土塁を築いたことも有名で現在も一部遺構が存在します。 しかしこれらは例外的であり、一般には都市の周囲に防壁が築かれることはあまりなく、町へ外敵の侵入を防ぐ目的では防壁の建設よりも自然河川を利用したり堀を作ったりする方が一般的でした。例えば豪商が活躍した16世紀の堺は周囲を堀によって守られた環濠都市として有名です。 これは建設に必要な労力・費用と効果を勘案すれば後者のほうが(今風に言えば)「コスパが良かった」ためだと考えられます。またムラを堀で囲んで防衛する環濠集落は弥生時代から存在しますので、「ムラ(町)は堀を作って守るもの」という歴史的な伝統が受け継がれて行ったと言えるかもしれません。
- FattyBear
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単純に高い壁をつくる材料(石材)の大量入手が困難だったから では。城の石垣程度の石材の量ならばともかく、都市を囲むだけ の石材を集めるのは日本では難しいのではと想像します。
- Fragezeichen
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歴史については素人ですが、理由については色々と考えられます 中国やヨーロッパなどは他国とは陸続きなのに対して、日本は島国なので外国が攻めてくるとしたら必ず海からなので都市を塀で囲う必要が無かった 日本の地形は起伏が激しいので都市全体を囲う塀を作るのが難しかった 地形の起伏が激しいので川の流れが早く、たびたび川が氾濫したり川筋が変わったりするので都市の水はけが悪くなるような塀を設置する事にメリットが無かった 日本は地震も多く、地震で崩れない塀を作る技術が無かった 都市を囲うだけの塀を作るとなると材料も大量に必要になります 島国の日本には都市を囲うだけの塀を作る材料が足りなかった などなどが考えられます
- solomon6309
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地震が多い国だったからでは?