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大人 金や仕事効率ばかりを考えている気がする…
学生時代と比べて、なんだか余裕のない生き方をしているといいますか 例えば学生時代はくだらない遊びとか金の無駄遣いなどもしていましたが、社会人になって無駄な物は買わなくなりましたし、何かを見ては「ああ、これぐらい金かかってるんだろうな」とか「1時間あたりいくらぐらいなのかな」とか、そういうことばかり考えている気がします。 そういう意味で言えば、「ボランティアやってる人ってなんでそんなことやってんだろう」とも思ってしまいます。 私は余裕のない人間なのでしょうか。
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- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
余裕がないと言えば、そうかもしれないですね。ご自身に信念があるのはいいですし、別に曲げる必要性はないと思いますが、他の人の信念や考え方を受け入れる懐の深さはそれなりに必要かと思います。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (193/941)
あなたが言っているのは、お金第一主義、と言えるでしょう。 しかし、それが大人の条件という訳ではありません。 わざと効率の良くない料理法で、人気がある料理人のお店とか。 その日のお布施だけで満足して暮らしている宗教者とか。。。 いくらでもいると思いますが、彼らも大人なのです。 あなたはお金第一主義を一番の価値感と思っているのでしょうが、 そう思わない人もいます。 あなたにとっては無意味でも、ボランティアに価値を感じる人もいるでしょう。 私も、お金第一主義を、自分の人生の主軸にはしません。 ペットの健康維持のために、わざと価格が高めのエサも買うし、 ペット以外のことでも、必要と感じれば、そのための出費も恐れません。 例えば、Aさんの話を聞きたいが、そのためには電車賃をかけて会いに 行かねばならないとかです。お金第一主義の人なら、電車賃が無駄なので、 来年、Aさんが私の住む街まで来る予定があるので、その時で良いだろうなどと 考え、大切な話を先送りにしても平気なのでしょう。 私はクリスチャンではないし、どんな宗教にも属していませんが、 新約聖書マタイ福音書6章には、神の正義を尊重できる人は、 神に守られ、必要な衣食住も神が与えてくれる、と 教えています。 現代人で、これをそのまま信じられる人はごく少ないでしょうが、 イエスがいた頃の二千年前に、ある時イエスのもとに五千人が 集まっていたが、食べ物が少なく、パンが5つほどしか無かった。 しかし、イエスが5つのパンを裂いて、弟子たちに配らせた。 すると、五千人が満腹になって、まだ余るほどのパンの量だった。 つまり、このような奇跡によって、信仰のある人たちに、神が 食糧を与えたことになります。 実際、神を信じるとは、そのような意味なのです。 信仰の無い人たちや、信仰の薄い人たちは、神を信じず、 お金が無いと、日々の食事にも困ることになると思い、 お金第一主義を信じるようになるのでしょう。 しかし、信仰心の深い人たちは、お金よりも、神の教えを 聞くことを望んで、イエスのもとに集まったのです。 食事の心配もせずにです。 しかし、信仰心の深い人たちには、必要な食事が 神の力で与えられたのです。 こんなことを信じるなんて、馬鹿じゃないかと現代人は 感じるかもしれませんが、神を信じるとは、まさに このような意味なのです。 イエスの話も聞きたいが、お腹も空くし、そろそろ家に 帰ろうか、と思う人では駄目です。 イエスの話を聞くために、空腹にも耐えて、イエスについて 来た。これが信仰なのです。 ということで、あなたは信仰心が足りないと言えると思います。 あなたは恐らく、周囲の多数が当り前と信じることだけ、信じたい のでしょうね。 けれども、それでは、あなたの魂の救済は、人々の順番で 一番最後になってしまうでしょうね。 それで、間に合えば善いですが。 日本人の多くはこのような、周囲への同調傾向が強く、 信仰にしろ、価値観にしろ、周囲と同じレベルから抜け出せません。 お金第一主義もそれであり、 神を信じない、信仰の薄い人たちが作り出し、必死にしがみついている 価値観と言えるでしょう。 まさに、神よりお金を信じるという態度です。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8906)
余裕とはまた別の部分ではありそうですが、時間は有限だからムダなものは全部切り捨ててとか言い出すと急にギスギスしてきますよね。 ムダのない生き方も否定はしませんけど…
- W-164
- ベストアンサー率29% (393/1313)
今の時代、山の中で暮らす仙人のように、生きて行くのに必要な食べ物や生活に必要な道具など全てを自分で作って生きて行く事は不可能でしょう。 自分の得意な分野の仕事をしてお金を稼ぎ、代わりに自分の不得意な分野は他人にお願いして、それをお金を出して買うと言う分業の社会で生きています。 つまり、生きて行くためにはお金を稼ぐ必要がありますし、同じお金を稼ぐには出来るだけ効率よく稼ぐ事が出来れば、それ以外に自由に使える時間が増えるわけですから、お金を稼ぐ効率を考えるのは当然の事です。 ボランティア活動というのは、確かにその仕事ではお金を貰う事は無いのでしょうけど、 例えば、お金を出して自分の欲しいものを買うと、当然物は手に入るわけですけど、同時に欲しいものを手に入れたという満足感が得られると思います。 ボランティア活動をすると「自分は人の役に立っている」という「満足感」が得られると言う事で、生活していくのに余裕があれば、お金や物を介しないで気持ちの満足感を手に入れると言う事だと思います。 なので、気持ちに余裕の無い人は、その価値を理解するのは難しいと思います。 私を含めて、なかなかそこまで余裕を持って生きていけないのですがね。
- nonamelane
- ベストアンサー率28% (390/1358)
違うと思います。 今の30歳前までをジェネレーションデプトと呼ぶらしいですから、他の世代もしかり、低金利時代の終わり、作為的ローンの金利上昇で今までの使い方を怖く思うのは当然でしょう。大人だからではない、時代だからと思います。住宅ローン、簡単に借りてしまったパーソナルローン、クレジットカード、さらに結婚相手は無収入、子だくさん等の負担は暗い影を落とします。その影響がさらに周囲の消費に影響を与えるのは当然。銀行破綻のニュースを聞いて(次はドイツ銀行?)お金を意識せず、仕事が好きだから無給で良いと思う人は限られた人と思います。 海外在ですが、ボランティアに関してヒントを。ここでは一種の道具です。日本のボランティアは現地にいないのでわかりません。ここでは求職者が政府から支援金を受け取る時に大した学歴や職歴がなければ(資産が満たない、ほぼ生活保護レベル)その引き換えに社会貢献を求められます。そのために制度が利用されます。もちろん受け取る側も橋渡し役も支援を受ける、人助け?だから立派に税金のやり取りが成立するように見えます。逆に何も受けない人(金持ち)が奉仕の心でボランティアに参加するのは馬鹿らしくなるはず。 あなたは余裕がない人ではない、時代を感じ知りたくなった、考えたくなった人なのでしょう。それぞれの国にはそれぞれの思惑があります。同時に世界共通の流れもあります。時給を考えるのは当たり前、よりよい条件を求めるのは当たり前、黙って考えている人は多いと思います。とにかく借りすぎない、依存しない、信用しすぎない。いつまでも学生気分だと逆に罠にはまりそうで、これで良かったと思うべきです。
- ishi_saya
- ベストアンサー率27% (84/310)
はい、そのとおりです。余裕が無い人間なのです。学生から社会人になって、世の中に染まってそうなったのです。つまり、学生時代にはまだ染まっていなかったのです。そして、多くの人は、そうやって世の中に染まることを「大人になった」とか「成長した」とか言いますが、それは実は大人になったわけでも成長したわけでもありません。単に染まっただけです。 真の成長とは、創造性を豊かにすることです。そして、与えられるよりも与える方を多くすることです。ボランティアをする人というのは まさにその典型です。 子供から大人になるというのは、与えられる存在から与える存在になるということです。あなたは余裕のない人間であるというよりも、大人になっていない人間なのです。でも、今から大人になれば良いのです。
- retorofan
- ベストアンサー率34% (437/1283)
あなたは、こう問いかけました。 ・私は余裕のない人間なのでしょうか。 私は、こうお答えします。 ・そうは思いません。学生気質が抜けたから、そうなったんです。