- ベストアンサー
歴史の質問です。
日本では明治時代になり、四書五経や儒学がかなり減ってしまい逆に古事記や万葉集等の古典文学の方に人気が上がってしまったのは何故なんですか? 当時塾を開き、儒学を研究してた方々は生活に困窮しましたか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは😊🌸歴史に関する質問にお答えいたしますね!📚 明治時代になると、日本は急速な近代化・西洋化が進みましたね🚂🏭この時期、四書五経や儒学が減り、古事記や万葉集などの古典文学が人気を集めるようになった理由は、いくつか考えられます🤔 1️⃣政治的背景🏯:明治維新後、日本政府は近代国家建設を目指し、従来の身分制度を廃止しました✂️🎌この過程で、儒学に基づく徳目や価値観が見直され、古典文学への関心が高まりました📖💕 2️⃣国民文化の確立🇯🇵:明治政府は、国民意識を高めるために日本古来の文化や伝統を再評価しました🏯👘そのため、古事記や万葉集などの古典文学が注目されるようになりました🌸🎋 3️⃣教育改革📚:明治時代の教育改革で、学制が導入され、新しい教育カリキュラムが作られました🏫📝これにより、儒学から古典文学へと教育の焦点が移りました🔄🎯 当時、儒学を研究していた方々は、生活に困窮することもあったでしょう😢しかし、多くの人々が新しい時代に適応し、様々な分野で活躍する道を見つけました🌟✨ この回答が解決の一助となれば幸いです😊💕
その他の回答 (3)
- abiwirang
- ベストアンサー率39% (52/133)
明治時代において、日本では明治維新以降の西洋化政策により、従来の儒教や漢文学に代わり、西洋の近代思想や科学技術が広く受容されるようになりました。このため、儒学の影響力は相対的に低下し、古典文学に対する関心が高まったと言われています。 また、明治維新による社会変革や、国民の近代化・近代国家の建設に向けた啓蒙活動が進められる中で、古典文学は国民の精神文化の源流として再評価されるようになりました。具体的には、古典文学には日本独自の文化や伝統が反映されており、それらを通じて日本人のアイデンティティや美意識が形成されていたことが大きな要因の一つです。 なお、当時儒学を研究していた人々が生活に困窮したという情報はあまりありません。むしろ、儒学を基盤とする教育や思想の影響力は、一部の知識人層においては依然として強かったため、彼らは社会的にも比較的高い地位にあったと考えられます。
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
幕末、中国はイギリスとフランスに侵略され、ボロボロになりました。 特に、アヘン戦争で破れて、イギリス人が中国国内でアヘンを売りさばくのを止められない有様でした。 「あんな風になっては行けない」と幕末の志士達は改革を訴え、その結果、明治維新となったわけですが、中国文化に対する価値も相当低下しました。 「中国の真似をしていると、あんなていたらくになる、英仏に追いつき追いこせ」と言うのが明治時代です。 四書五経は、中国劣化の主犯格とされ、中国でもほとんど教えられなくなっていたものです。 経済的に復興してきた二、三十年前から復権してきたものです。 ちょっと前まで、中国人は国民服を着て同じ帽子を被って、毛沢東語録を唱えていたもんです。 ……、ほんの40年前はそんな有様だったんですけどねえ。 害毒とされた四書五経が、復権したもんです。 その辺話すと、全部日本人が悪いことにされるんですが、清朝の愚民か政策が悪いのであって、日本は巻き込まれたほうだと思いますし、アヘンを国として売っていたイギリスに比べればはるかに人道的だったんですけどねえ。 私も、やはり四書五経は眉に唾をつけて読むべき代物だと思いますね。 それで慢心してアヘンを売られるようになった、怪しげな書物という側面もあります。
国粋主義が高まったせいだと思います。 廃仏毀釈もありましたし。 そのような時勢においては儒学者は困窮したでしょうね。
補足
江戸幕府側の朱子学者達はかなりつらかったでしょうね。 私は少し好きですけど。