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ルッキズムはなぜダメなんですか?
より良いデザインやより良い風景は求めるのに、より良い見た目を否定するのはおかしい気がしています。イケメンや美女は妬まれやすいですよね。 あと、たまたまラジオで男性のメイクが流行っているとの事で特集していたのですが、パーソナリティーの方も最近はルッキズム批判があるので云々と言っていました。 メイクで好感度アップ!はルッキズムではないのでしょうか?
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- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
ルッキズムの本質は見た目が残念な人に対して、ブス・ブサイクと言って差別しない事にあると思います。良いものは素直に良いと言っても問題はないと思うのですが、一部の狂信者は全てを完全に平等にしなくてはならないという狂信の元、良い見た目をあえて下げて、平等に従っているのだと。 >メイクで好感度アップ!はルッキズムではないのでしょうか? 捉え方一つですね。そもそも論として、自分自身が容姿に対して、どのような考え方を持っているのか、そしてその考え方をベースにメイクをすることに対して、どう思うのか。だから、答えは一つではないと思います。
- timepointstreem
- ベストアンサー率41% (108/263)
ルッキズムは、人を見た目だけで評価することや、外見に基づいた偏見や差別をすることを指します。ルッキズムは、人々が自分の外見に対して不安を感じる原因になり、人々の自尊心を傷つけ、社会的不平等を引き起こすことがあります。また、ルッキズムによって、才能や能力に基づく人々の成功が阻害され、表面的な美しさに基づく不公平な競争が生じることがあります。 もちろん、より良いデザインや風景は求めるべきですが、それは外見だけではありません。外見を重視することで、他の要素が見過ごされたり、人々が偏見を持つことがあります。また、イケメンや美女は妬まれやすいというのは一部の人々の偏見であり、外見に基づいた差別や嫉妬を正当化することはできません。 男性のメイクに関しては、メイクによって見た目を変えることができるため、ルッキズムの要素があるかもしれません。しかし、メイクが好感度をアップさせることがあるとしても、それがルッキズムであるかどうかは、個々の状況によって異なります。例えば、面接などで自分の外見を整えることは、自己表現や自信を高めるための手段として機能するかもしれませんが、職場で働く人々を見た目で評価することはルッキズムであり、適切ではありません。
- ishi_saya
- ベストアンサー率27% (84/310)
多分、「外見だけ取り繕って中身が無い」ということを批判しているのでしょう。 しかし、それが「外見を良くしている=中身が無い」という捉え方になる可能性があるということです。ということは、実は「外見云々」を言う人がものごとの中身を見ていないということになります。 結局は中身=本質を捉えようとしないで(あるいは捉えることが出来ないので)ケチをつけているのでしょう。
- kairibaka
- ベストアンサー率27% (148/547)
ルッキズムに明確な定義はないです。 ただ、あんまり見た目ばっかり一所懸命になってる人を見てると、この人ホントに中身スッカラカンなんだな、と思います。 頑張って化粧すればするほど、周りの他の人間と同じ。自分の中身のなさを自分からアピールしている、そういう自覚ってゼロなんだろうな、まあ、元より中身スッカラカンなんだから、仕方ないか。 女はまあ派遣で事務で一生満足の人もいるんだろうから(今時そんな感じの同じ見た目の人ばっかりだし)、まあ、どうぞお好きに、ですけど、男でそれは、痛いですよね。
- kon555
- ベストアンサー率51% (1843/3560)
実際の所「ルッキズム」に厳密な定義はないし、それを批判的に用いる場合も人によって『何がダメなのか』がフワフワしていたりするので何とも言い難いですね。 私個人としては、人間の本能的な部分ですから、美的意識や美的感覚、それに伴う好感度の上下は避けられないと思います。 それが無意味な場で強要されるか否か、労働などの評価に影響するか、という点のみを問題にすればいいと思うんですよね。 例えばですが、事務員の社員の採用基準に、事務能力よりも服装や容姿の美しさが影響するのは生産性を落とす行為なので不当です。また労働者に対して会社や上司が求めるのも不当でしょう。 しかしブティックや化粧品の店員が美しければ、当然客層の購買意欲に影響を与えるでしょうから、ある程度配属や採用の基準に影響するのは合理的でしょうから、批判にはあたらないでしょう。 結局のところ、ルッキズム自体を批判しようとすると「美しい物に好感を覚えるのは悪だ」という話になりますから、これは無理です。 必要のない、不適切な場面でその評価軸を用いる事はダメだ、というところに落ち着く話ではないかと思います。