• 締切済み

体罰について

体罰行為について意見を聞きたいです。 私はどのような理由や状況であれ、体罰行為は認められないと考えます。理由としては被体罰者の心身に悪影響を及ぼすからです。 しかし、A氏と会話した所、彼は体罰行為についてある一定の条件下ならば認められると主張しました。 彼の主張は、体罰を与える対象が言うことを聞かない場合、例えば幼児や小児というような理論やルールなど理解できない場合、又言っても聞かない場合は、平手打ちなどをする必要があるというものです。 彼はその主張の際に、「小さい頃はわからないかもしれないがいずれ理解できる時が来る。されたことがあったが、自分に原因があったので、される必要があったと私は思う。また叩く方は楽しくてやっているわけではない」とも言いました。 私はそれに納得できなかったので、とりあえずweb等で体罰の必要性について検索した所、恐らく彼の主張の根幹には不条理な行為に対する心理的防衛機制の同一視を行った結果があるのではないかと感じました。しかしその分野に明るくないので判断ができません。 あなたは彼の主張についてどのように考えますか?また、これに限らず体罰についてどのような考えを持っていますか?

みんなの回答

  • abiwirang
  • ベストアンサー率39% (52/133)
回答No.9

私は、どのような理由や状況であれ、体罰行為は認められないと考えます。体罰は、被体罰者の心身に悪影響を及ぼし、暴力や虐待につながることがあります。そのため、体罰を教育手段として用いることは適切ではありません。 A氏の主張については、根本的に誤りがあると考えます。幼児や小児など、理解力が未熟な子どもたちは、言葉で説明することが難しい場合があります。しかし、そうした場合でも、体罰を用いることは適切ではありません。代わりに、子どもたちが理解できるように、適切な言葉や表現を用いて、何が正しいかを教えることが必要です。 また、体罰を与えることによって「自分に原因があった」と感じる必要があるという主張も、誤りだと考えます。子どもたちは成長過程で間違いを犯すことがありますが、それは成長するために必要な過程であり、体罰を受けることによって改善されることはありません。代わりに、子どもたちに対して適切な指導を行い、良い行動をすることを褒め、悪い行動をすることを注意することが必要です。 総じて、体罰は、子どもたちの育成に適切な教育方法ではありません。子どもたちが正しい行動を取ることを促すためには、適切な指導を行うことが必要です。

回答No.8

私の見解としては、どのような状況や理由があっても、体罰行為は許容できないと考えます。体罰は被害者の心身に深刻な悪影響を及ぼす可能性があるため、社会的に許容される行為ではありません。 特に子どもに対する体罰は、心理的なトラウマや身体的な損傷を引き起こすことがあります。子どもたちは成長過程において、世界を理解するための経験を積み重ねている段階にあります。体罰を受けることによって、彼らは信頼関係や自己肯定感を損なうことがあり、長期的には人格形成に悪影響を与えることがあります。 A氏の主張については、理解できない子どもに対しては体罰が必要だとする考え方には反対です。子どもたちは、成長段階に合わせて理解力が進化していくため、彼らが何かを理解できない場合は、それに対応する方法を模索する必要があります。例えば、コミュニケーション方法を変えたり、他の教育方法を採用することができます。 また、体罰を与える側にとっても、その行為によって心理的な負担を抱えることがあることを指摘しておきます。自分が体罰を与えたことに対する罪悪感や後悔感が生じる可能性があるため、そのような行為を選択することは望ましくありません。 総じて、体罰は子どもの育成において有効な手段ではありません。代わりに、コミュニケーションや他の教育方法を模索し、子どもたちが健康的に成長するための環境を提供することが求められます。

OkS_12
質問者

お礼

質問の両方に答えて頂き感謝いたします。 非常に納得のいくご意見で、概ね同意いたします。 回答ありがとうございました。

  • ishi_saya
  • ベストアンサー率27% (84/310)
回答No.7

A氏の主張は、全く間違っています。 相手が幼児や小児であればこそ、体罰はしてはいけないのです。 1)結局は「なぜ怒られているのか」は理解しません。「怒られて怖かった/悲しかった」というような感情だけを覚えています。 2)体罰を何のためにすのか、です。罰としてするのか。更生のためにするのか。多分前者でしょう。体罰をしたからといって、更生には繋がりません。 3)ものごとは「何をしてはいけない」のではなく「何をしたら良いのか」を学ぶことによって、人間というのは成長するのです。「してはいけないこと」を十並べても「すべきこと」も「した方が良いこと」も出ては来ません。 結局、体罰はされた方の心に歪みを生み出すだけです。そして、自主性を奪うことになります。「言うことを聞け」と強制しているのですから。もし何かしてはいけない事を子供がしたのであれば、「なぜしてはいけないのか」「された人はどういう気持ちになるのか」を考えさせることが重要なのです。体罰はそういう思考を邪魔することになります。

OkS_12
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 更生を考えるのは重要なことです。 それをするととても怖いことが起きるのでしない、それでは理解が進んだとは言えないでしょう。そうだとすると自分の行いを振り返り反省させることが最も効果的なのかもしれません。 確か少年院でも、客観的に自分の行いを振り返る取り組みがされていたはずです。 回答に感謝いたします。

回答No.6

ひとくくりに体罰と整理されて悪とされてしまうと何もできませんが、私は体罰は程度により容認されるべきかなと思います。 もちろん一方的な暴力といえるような、殴ったり大ケガに至るような体罰はNGかと思います。もちろん理不尽な理由も。 実際は難しいですけどね。 ここでいう体罰で必要なのは、個人的な思いで痛みを与えるというより一般常識として悪いことをした際学校であれば必要な程度の体罰を受け、皆の前で恥ずかしい思いをさせられるということと、悪い事だという自覚を与えることかと思います。 まぁ、私も体罰が特に問題視されていない世代の人間ですが、皆の前で棒で叩かれたりすることで、恥ずかしいということで同じことはしないと反省する場面や思いが生まれたようにも思います。 個人の性格によりますけどね。真剣に自分の行為を考える子はそれで気づくチャンスが与えられるわけですし、変わらない、変われない子は別にそれはそれで変わらなければ変わらなくてどうぞ、とも思います。 この変われるきっかけを与えない事、つまり悪いことに対して何もしないことは後者の扱いを受けているのだと思います。 運動会で順位をつけないことも同様で、いざ社会に出た時に否応なしに成績で評価される。これまで平等と扱われてきて、いきなり社会に出たとたんに差をつけられる社会にとびこむ・・・これはこれでかわいそうに思います。 話がそれましたが、刺激が無いと人は気づけないし変われないと思います。 刺激を与える(この場合は適切な体罰)側も大変だと思います。 与えない方が楽かと思います。

OkS_12
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 一方的で理不尽な暴力は許される余地はないでしょう。 体罰が晒し台のように機能するということでしょうか?そうであれば皆の前での叱責という形でも問題ないように思えます。 きっかけがないと人は気づかない、それは本当にその通りですね。 回答感謝いたします。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.5

昔は体罰する先生は普通でした、でも近年は児童が 〇〇に追い込まれたりしていますので、原則禁止に されています、つまりしてしまうと犯罪者にもなり えます、暴力行為は容疑者にもなりえますので、許 されていません。 追伸伏字にしないと規制が入ります。

OkS_12
質問者

お礼

伏字について理解しました。それについては非常に懸念される事案です。 最終的には何事も法律に委ねられるのでしょう。時勢と共にそれにあった内容に変化する法律によって禁止されているのならば、それが大多数の意見と考えて差し支えなさそうです。 ご意見と回答に感謝いたします。

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2753/12076)
回答No.4

体罰とは何かをよく考えてみましょう 教育者が指導の際に振るう暴力を体罰と呼ぶ中で二つの種類があると思います 一つは「痛い目にあわせる罰」です 素行が悪いと殴られるわけです もう一つは「感情の昂りの中で出る暴力」です これは同じ立場同士だと喧嘩になりますが、教育者がやると体罰になります 同じ暴力を体罰という言葉だけで表現すると混乱すると思います もっと他のパターンもあるかも知れません こういうところを考えないと,答えは出ませんし混乱もすると思います 私は罰としての体罰は軽いものなら悪いこととは思わないかな 感情の高ぶりで振るった暴力は、状況によっては仕方ないとも思います

OkS_12
質問者

お礼

暴力と感情は切っても切り離せない関係性ですね。 ご意見と回答に感謝いたします。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.3

結果、自分が経験したことだから体罰は正しい としか、読み取れませんでした つまり、その方法しか知らない人の意見は、正しくないということです おそらく、そのような人とは議論にさえならないでしょう これを一般的には年齢関係なく 老害 と呼びます この場合の 老害 とは、再現性がないことを正しいこととして持論展開する行為です 昔はこうだった・・とかですね 今の世相では当てはまらないことまでも、正論であると言っている時点で、もう考えが変わること無いので、ますます 老害 です 誰でも再現することが出来る方法を示さず「自分のときはこうだった」が、正解としか言えない人からは、離れたほうが良いですよ

OkS_12
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 Aが変わり続けようとする人であることを願うばかりです。 回答に感謝いたします。

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1842/3559)
回答No.2

 私個人としては、体罰は良くも悪くも心理的な影響が大きい劇薬的な教育方法である、と考えています。  要は『用法容量を守って正しく用いましょう』であり『素人判断でやっていい事ではない』ですね。この場合の素人というのは親であり先生でありコーチです。  医師及びカウンセラーの監視のもとならいいんじゃないかな、という事で、実質的には『全面禁止した方がよい』と考えています。  これは心理面の話になるんですが、人は平静な状態では人に暴力を振るえません。平常心を保つ、などというのは格闘家や武術家でも時間をかけて習得する技術です。  また過度に傷つけずに打撃する、というのも同じです。どちらも技術としては高度です。しかしその高度な技術がなければ、児童に過度の害を与えてしまいます。  そうした心理及び技術的な訓練を積み、児童の心理面にも配慮し、教育的な意味合いも含めて最適な体罰を加え、かつアフターフォローも適切に行えるならやっても良いでしょう。  つまり現実的には不可能であり、全面禁止すべきだと考えます。

OkS_12
質問者

お礼

興味深いご意見ありがとうございます。 最適な体罰を行うための様々な事に膨大なコストをかけるよりも、他に問題を解決する為の良い方法を模索し努力する方が建設的ですね。そして現時点では誰も体罰を適切に行う為の免許を取得していないという訳です。 回答に感謝いたします。

回答No.1

正しいことを聞いてもだめなやつには体罰してOKである。

OkS_12
質問者

お礼

回答感謝いたします。

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