江戸時代に宮将軍が考慮されたというのは真実か?
江戸時代の5代将軍に関する質問です。
江戸時代、4代将軍である徳川家綱が子がなく死去した際、時の大老・酒井忠清が有栖川宮幸仁親王とかいう宮将軍を迎えようとしたという話を聞きました。
酒井忠清が綱吉を将軍にしたくなかったために、鎌倉時代に宮将軍を迎えていたという話を持ち出したそうです。
しかし、初めての武家政権であり、武士の地位がまだまだ低かった鎌倉時代とはわけが違います。
また、江戸幕府には鎌倉幕府の北条氏に当たるような存在もありませんでした。
鎌倉幕府は北条氏の力があったから開けたのですが、江戸幕府開府にあたってはそのような存在はありません。
江戸時代のトップは東照大権現の正式な子孫のみがなれるはずです。
綱吉を将軍にさせたくなかったとしても、綱重の嫡男・綱豊、尾張の綱誠、紀州の綱教がいます。
宮将軍を迎えるくらいなら、家康の男系の直系子孫である水戸藩主を将軍に押した方がずっとましです。
徳川家康を神と称え、徳川に忠誠を誓っているはずの、徳川譜代の大老・酒井忠清が5代将軍に宮将軍を迎えようとしたという話は真実なのでしょうか?