「欲」とは心が方向性を持った状態だと思います。
言い換えれば、「欲」のない状態とは心が方向性を持たない状態でしょう。
「欲」には人を上昇させる「欲」と下降させる「欲」にも「分類できます」
「欲」の方向性が問題であって「欲」自体には必ずしも善悪はないと思います。
「善行を成したいとか、智恵を磨きたい」とかは上昇へ導く「欲」でしょう。
「正常」と考えてる状態から外れる行為へ導く時に「狂わせるもの」と表現できるのでしょう。
例えば、深く本能的ともいえる程に根付いた「欲」もあれば、表面的な決意もあります。
嫌悪や性欲や食欲、名誉や権力などなど、たくさんのレベルがあります。
「呼吸」すら「生きたい」とかの生存の欲求の現れであり、欲求かなければ「呼吸」もしなくなるそうです。
さて、宗教や哲学のカテゴリーなので、加えます。
ご検討下さい。
世俗的な欲を無くすことを修行の目的する場合も「欲」は必要だそうです。
解脱とか修行の達成をするぞ!という「欲」です。
仏典にも「四如意足」「四神足」という修行方法の言葉があります。
その4つの最初は「欲如意足」「欲神足」であり、修行・解脱に対する欲求・決意を培う修行だそうです。
「欲」を滅尽するのに「欲」を持つのは矛盾ではないか?という質疑応答がシャカと弟子の間でされたと聴いています。
答えは「旅人がある所に行きたいと考えたとして、そこに辿り着いたら、その欲は消えるでしょう」というものでした。
つまり、解脱・修行の欲は、達成したら消えるそうです。
ちなみに、「愛著は苦しみの原因であり、愛著を滅することにより苦しみも滅尽できる」そうです。
さらに偉大な聖者は「他を苦しみから解放する」という「欲」「発願」を持ち、そのために修行し活動されるそうです。
「欲」を否定的に考える事のできる貴方の「心の成熟」や偉大な修行者や聖者の持つ優れた方向性の「欲求」は素晴らしい✨
利益の大きい質問、この機会に感謝します❤️
このカテゴリーに沿っての内容ならば、
お礼
Shakawotataen様、おはようございます。 まあ、私は、このような場所で、このようにしているだけが、精々と思って居ります。 (こんなことを書くと、なんだか女々しいですが)出来るだけ(自信過剰気味に・・・)、やってきましたし、皆様のスレや文章を拝見する機会も多く、大変に勉強になってきたと思います。ありがとうございます。