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テクノロジーと人類の幸福

他人のSNS見て自殺する若者がいるらしいですね。 ブータン国民にスマホ渡したら、幸福度ガタ落ちしたらしいですね。 中国では超監視社会が構築されてますね。 テクノロジーが人類を幸福にできないのはなぜですか?

みんなの回答

  • SI299792
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回答No.3

 幸福とは、いろいろな考えがありますが、欲しいものを手に入れられる状態ではないでしょうか。  誰だって衣食住が無ければ共通で不幸です。しかし、それ以外は…知らなきゃ欲しいと思わない、欲しいと思わなければなくても幸福です。例えば、テレビ・冷蔵庫などは普及する前は、無くても幸福でした。今はみんな持っているから、無いと不幸です。  テクノロジーが進歩すれば、欲望が出てくる。テクノロジーを使えない脱落者も出る。だからどうしても不幸になる人間が出てきます。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12513)
回答No.2

>他人のSNS見て自殺する若者がいるらしいですね。 ブータン国民にスマホ渡したら、幸福度ガタ落ちしたらしいですね。 中国では超監視社会が構築されてますね。 テクノロジーが人類を幸福にできないのはなぜですか? ⇒以下のとおりお答えします。 文明の利器に対応する際にはそれなりの心構えが必要だと思います。例えば、IC製品、PCやスマホ類はその代表格ですが、我々はその便利さだけを利用することに走って、その利器の特徴・原理・性能・応用性能などのリテラシーはほとんど何も持たず、気にも留めずに利用だけしますね。そこに重大な問題と原因が潜んでいるように思います。 昔、ある先哲(ノルダウ)は、「文明が進歩するほどに精神文化は退歩する」(『退化論』)というような警告を発しています。あまり多くの注目を引かなかったようですが、さすが夏目漱石先生、ロンドン留学中にこの書物を発見し、人類の愚かさについて言及していたようですね。人間、歩き出すと走りたくなり、走り出すと飛びたくなり、ついには空中分解するに至る…とか。確かに、無批判に文明の利器をただ利用するだけで考えることをしないと恐ろしいことになりそうな予感がします。言い方を変えれば、人間知識だけを利用するのでなく、知恵を働かさなければ、いずれは自分で自分の首を絞めることにもなりかねない、ということです。 一説によると、我々人類はかなり高い確率で自滅するという。その信憑性のほどは定かでないが、少なくとも「人類の行く末が、己が頭脳の産み出した兵器等の破壊力によって運命づけられる可能性がある」とは言えるだろう。そんなわけで、我々、今のうちによく知恵を働かせて、自滅の道だけは避けたいものですね。ちょっと話を広げすぎましたが、とても大切な問題だと思いましたので、敷衍させていただきました。 結論:「文明の利器に関わる不幸は、それを使う際のリテラシーと知恵の欠如に起因する。それは、人類滅亡に危機にもつながりかねない。」

  • staratras
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回答No.1

>テクノロジーが人類を幸福にできないのはなぜですか? 技術そのものが、人類を幸福にしたり不幸にしたりするわけではないでしょう、人類が技術を使って自分たち自身を幸福にしたり不幸にしたりしているのです。 これは昨日や今日始まった話ではなく、ヒトが道具を使い始めた当初からです。例えば弓矢の発明は狩猟を容易にして食糧事情を改善したという点では人類に幸福をもたらしましたが、他人の殺傷をも容易にしてしまい、争いの犠牲者を増やしたという点では人類を不幸にしました。 最近の国際情勢を見ても、テクノロジーの急速な進歩の割には人間の道徳性は進歩していないことがわかります。老若男女を問わず市民を殺傷させるミサイルを発射して敵方を攻撃しても良心の呵責を感じない現代の軍人と、敵の勇者を倒してその心臓を食べれば自分も強くなれると信じていた昔の戦士と、どちらが野蛮かと聞かれたらどう答えたら良いのでしょうかね。