※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:一日一歩という考え方)
一日一歩という考え方
一日一歩進めば、何かあると思っていました。今きっかけがあって止めたのですが、実際は何も変化がなかったような気がします。
会社でも1日に1成果物を考え、日報につけていました。ホームページ関係ですが、その作成した1ページが果たして有用だったかというと、評価はさんざんたるものでした。
プライベートではネットゲームで非課金でも課金勢に迫る勢いでお金稼ぎをしていました。tomoはすごいねと言われていましたが、止めてしまって楽だなあと話すと、ゲームなんだからきつかったら続けなくていいと思うよと言われる感じです。
ショートゴールを作成して、それを乗り越えることは自己肯定感を高める効果があるそうです。尊敬する茂木健一郎先生の著書にも脳を強化する方法として、目標を達成してそれを喜ぶことを挙げていました。
最初は自分はダメなやつだと自己肯定感はなかったですが、そのトレーニングはもう不要ではないかと考えました。結局やった成果物がだれにも認められない今、昔ニコニコ動画でタグにされていた「努力の方向音痴」だったのではないかと思わなくもないです。
全てが無駄であったと悲観的になる思いはないですが、またこのサイクルに戻そうと思うこともありません。ただし、今していることが楽すぎて、また努力するサイクルに戻せない感じです。仕事のペースも1/3位に落として怠けているという自覚があります。
仕事に関してこの1日1成果の考え方を上司に言うと「ここは東京ではないからそのようなことはしなくていいよ」とさえ言われてしまいました。
唯一肯定的な意見としては、大して仕事の話もしないような飲み屋のお姉さんから「前向きに努力を怠らない人って珍しいね」と言われました。直接そういう努力のひけらかしはしなかったのですが、多くの人々を見てきた方からそういうイメージが会話の端々から取れたのだと思います。
私は今後、この辺をバランスをとろうと思っています。ですが、ここの人生の先生たちはどう思うか意見を欲しくなりました。よろしくお願いします。
お礼
過去に数字で結果をだしても評価を隠されたことがありました。数字を残してもゼロと評価されたことがありました。私は評価されにくい性格なのかもしれません。今は正当な評価課はわかりませんが、ダイレクトにきます。ある意味まっとうに結果を残すのみなのかもしれません。そういうフェーズなのだと言い聞かせて、もう少し努力を続けたいと思いました。