- ベストアンサー
貿易品としての生糸について
織田信長や豊臣秀吉が日本を治めていた時代の外国貿易は輸出品が銀で輸入品が生糸だとあります。しかし日米修好通商条約などを結んで鎖国が終わりイギリスなどと貿易するようになると輸入品が毛織物や綿織物や軍需品で輸出品が生糸となっています。 鎖国をしてる間に何があったんですか??輸入品だった生糸が輸出品になるなんて…………
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
信長や秀吉の時代(16世紀)は、世界史の表舞台に立つことが少なかった辺境地域が、中心地域と活発な交流を持つ時期です。 中心地域が4大文明が起きたユーラシア大陸だとすると、西の辺境がヨーロッパ(大航海時代)、東の辺境が日本です。地力をつけて、海外に進出するだけの力を得たわけです。 ただ、文明の差はまだ大きく、当時貴重品とされていた生糸と絹織物、茶、砂糖などは中心地域が圧倒的な生産性を誇っていて、辺境地域で大した交易品もないヨーロッパや日本は、ただただ貴金属とそれらを交換するしかありませんでした。 今で言えば、貿易赤字を垂れ流していた状態ですね。 日本は、その状況に対して鎖国、つまり貿易を制限して金銀の流出を防ぐ道をとりました。結局、生糸などこれまで輸入に頼っていたものは、自給自足するしかありませんでした。こうして国内需要をまかなうために色々な産業が発達し、生糸などは開国時には輸出できるほどの産業に発展していました。 蛇足ですが、こうして大量産出される貴金属に頼らず、国内産業の育成を江戸時代を通じて行ったことが、結果として開国後して不平等条約下でも、日本が経済的従属の地位に落ちずに独立を保ち、近代化に脱皮できた遠因となっています。 掘り出すだけ掘り出したアフリカ・メキシコ・南米や、植民地の貴金属をあてにして産業を育成しなかったスペインやポルトガルは近代化に大きく出遅れたことを考えれば、鎖国は歴史的英断だったかもしれません。
その他の回答 (2)
- ss79
- ベストアンサー率33% (258/765)
鎖国時代日本は本質的に自給自足を強いられていました。 しかし絹、綿織物の需要は増加してきて、需要に応えられず高級用の生糸は中国から輸入し、一般用の生糸は国産に頼るべく養蚕業を各地で奨励しました。 この間国産技術も次第に改良向上して良質の生糸を生産できるようになって着ました。 開国以後、羊毛、綿花などの民需用の輸入や消費が増加しこれらの支払いに充てられるのは金銀か生糸しかありませんでした。 金銀貨の産出には限度があり、既に良質の評判の高い生糸を増産して支払いにあてるしかなかったのです。
- nemosan
- ベストアンサー率22% (582/2598)
鎖国している間=内戦時代が終わって平和になった江戸時代には、 絹に対する需要も供給も大幅に変化しています。 詳しくは、ここが参考になるのでは? 「目で見る農業技術の発達史」 第1章 養蚕とは http://trg.affrc.go.jp/v-museum/history_text/history06_t/h06t_01.html