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【千両船】北前船は1回の航海で1000両を稼いだの
【千両船】北前船は1回の航海で1000両を稼いだので千両船と言われたそうですが、千両って物凄い大金では?今の価値で幾らの貿易をどこと何を売っていたのでしょうか?
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江戸時代の1両は今の価値で10万円~15万円くらいと言われていますから、1000両なら1億円~1億5千万円くらいを稼いだという事でしょう。
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- jkpawapuro
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額として大きいのは米と俵物でしょうね。 米は東北北陸会津の米が大坂の消費地に運ばれ、一部はさらに菱垣廻船に乗って東京まで運ばれました。 俵物とは北海道の海産物で、乾物にされ長崎から中国へと輸出されました。 そのほかあらゆるものが運ばれました。 いかんせんエンジンもなければ馬車もない時代ですので、輸送といえば船でその主要航路です。 ニシン昆布などの海産物、各地の工芸品、紙や蝋、陶磁器、砂糖、漢方の原料、藍をはじめとした染料、麻をはじめとした繊維製品、むしろ商取引される商品で運ばれないものは無いくらいじゃないですか?
- fujic-1990
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1000両は大金ですね。 北前船は、北陸~北海道(松前)で米や海産物を買い、下関海峡を経て瀬戸内海に入り、そこ(特に大阪)でその米や海産物を売り、逆に酒や塩、茶ほかの雑貨を仕入れて、北陸~北海道(松前)で売る、ということをやっていました。 カラ船ではなかったのです。 茶は、営業的な茶栽培の北限地は新潟県の村上市(村上茶)のはずです。当時、東北や北海道の人には高く売れたでしょう。 さらに、関東と関西で出汁の味が違う(関西では昆布などが中心)だったと思いますが、それは北海道の海産物が北前船で関西へ行ってしまったせいだったと記憶しています。北前船が味覚を変えてしまったのです。 で、北前船の特徴(儲かる理由)のもう1つは、船主が直接商売に手を出し、売買問屋を兼ねたということです。 カゴに乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋をつくる人、という具合に利益が分散せず、利益が船主一人のところへ集まる仕組みでした。なので、非常に儲かったのです。 残念ながら今の価値はわかりません。 歴史小説などだと、おおむね「米一俵=1両」となっているようですので、1000両はざっくり米俵1000俵分ということになりますが、いま米俵1俵いくらですかねぇ?
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