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年を取ると博愛的な思考を失うのか
- 年を取ると博愛的な思考を失うのか
- 最近は、関わらず放っておこうと考えることが増えた
- 苦手な人と会わなくて良い嬉しさが先立ち、自分でもドン引きしてしまった
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いろんな意味で限界を知ったからでしょう。分別がつくようになったと言ってもいいかと。 例えば、生きる時間の限界。死ぬことを意識するようになったりはもちろん、やらなければならないことの多さに比べ、時間の有限さで悩む社会人は多いでしょう。睡眠や食事は必須ですし、家族のための時間などもからんで、ウルトラマンやエヴァンゲリオンほどでなくとも活動限界はあります。であれば、取捨選択・時間や労力という資源の振り分けを意識するようになります。もちろん、ストレスからの制約も感じることは多いでしょう。 対して、若いと自分の力量なども分からないし、無限と言うか有限を意識しないですよね。可能性を信じる力に溢れていますし。モチベーションというものを意識する必要がないんですよね。 若い頃には、なぜ多くの人がインタビューなどで、モチベーションがどうのこうのと言うのだろうと思っていましたが、大人になって、やる気元気勇気を維持することの大事さを知りました。有限なんですよ。
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- zabusakura
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私も結婚するまでは、話し合えば全て解決するって思ってました。 結婚して舅と接するようになって世の中には話の通じない人、判り合えない人が居るんだと驚きました。 娘にしてみれば小さい時から、そういう人間が身近に居るわけですから、早くに、そのことに気付いていたと思います。 年齢と言うか、経験なんでしょうね。娘とかは、早くに達観してましたから。
お礼
ご回答ありがとうございます。経験の差…もあったんですね。かつての自分が「頭の中お花畑過ぎた」のかと心配した面もあったので、このような経験談を聞けてよかったです。
ストレス無く生きるすべを学習したのだと思います。私も年取って同じ事していますよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。成長?に伴うものだと確信がもてました。
- pipipi911
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千人千様。 ケース・バイ・ケース。 アナタ様は、自身の 個人的な体験や思考を過度に 一般化するご趣味があるのでしょうが、 サンプル数を 100万件程度に増やして フィールドワークしてみたら、 また、違った状況になるのでは ないでしょうか。 ふろく: 「過度の一般化」に就いて、 丁寧に、知ってみませんか。 Adieu.
お礼
ご回答ありがとうございます。 過度の一般化について検索してみました。 大変勉強になりました!
- sakura-333
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折り合いをつけた結果なんじゃないですか? 浮かれてしまう自分が全てを物語っており、相手にだって好き嫌いがあるなら同じだろうと… 時間や労力、その他延長線上にあることなども考慮すれば自然と出てくる答えなのかもしれません。 そうも言ってられないのが仕事上での人間関係なわけですけど。
お礼
ご回答ありがとうございます。そうも言ってられないのが仕事上の人間関係なので、その束縛から逃れられたから浮かれてしまったんだなとよく理解できました。
- izumi044
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社会人になれば、学生時代よりも他者の人生が複雑になりますから、簡単に理解することが難しくなります。 それだけに、自分ががんばる必要がなくなるんですよ。 自分が時間をかけなくては理解できないことでも、すっと理解できる人がいますから。 気の合わないAさんのことは、Bさんに任せよう。 そういった場面が増えていきます。 博愛的な思考を失うというよりは、己の限界に気づかされ、他者を信頼したほうがうまくいくことを学ぶからじゃないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 気の合わないAさんの処理を、気の合うBさんに任せてしまおうというのは、なんだか申し訳ない気がしますが、信頼しているともいえますね!
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
良くも悪くも若い時は夢や希望があふれていたということです。だから、そういうことに努力をしてみたこともあった。 しかし、年をとるにつれ、現実を思い知ることになります。年を取ると自他ともに頭も固くなっていき、考え方を変えるのは大変な作業となるために自分の信じた方向しか許容できなくなってきます。 その中で、一番穏便に事を進める方法は「合わない人とは関わらない」となるのです。ネット上で相手が何歳か解らない中でバトってることはあれど、そこでも最終的には解り合えるという最終点に落ち着くことは稀です。 年をとれば、無駄なことに時間を費やすのも嫌なことが多いです。だから、関わらないことを選択するようになってくるのは自然なことだと思います。 そういった意味において、年を取るとはこういうもの、と割り切ってもいいかとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 歳をとって自分も頭が固くなっているんだなと気付かされました。 また知らず知らずの間に人生の効率化を図っているんだなということも気づけました。
- human21
- ベストアンサー率37% (938/2476)
大学生ぐらいまでの、苦手な人とうまくやる願望を持っていた 事が良くなかったと思われます。 そう思ったのは、「苦手だと思う同僚と暫く・・・上機嫌に 過ごしました、」と言う文章を読んで、無理をしていたと 感じたからです。 本来の自分の意志に反して無理にうまく交流しようとした為、 その反動がビールなどの行動に表れたのでしょう。 自分の気持ちに正直に行動した方が、自分だけでなく、 相手にも良いと思います。 友人、同僚、上司、後輩だけでなく、彼女など異性とも 相性があります。 相性が悪い相手と過ごすのは、お互いに不幸な時間になります。
お礼
ご回答ありがとうございました。「相性が悪い相手と過ごすのは、お互いに不幸な時間になります。」これに気づくのに時間がかかりました…。
- purius_1125
- ベストアンサー率38% (36/94)
こんにちは。 質問者さんは理性的思考で対人関係を築こうとしてきましたが、 本能的な気持ちに正直に従う大切さに気づいたのだと思います。 確かに理性を持って相手との信頼関係を築くことは社会人として大事な ことですが、そこには限界があります。ある程度、 限界を超えてきた段階で、自分の直感に従った判断を ねじ曲げて付き合っていくことにうんざりしてきたように思えます。 みんな自分のことで精一杯、生きている中で 博愛的思考を大切にする質問者さんは人格者として素晴らしいです。 私自身の回答として結局、優先的に自分の正直な気持ちを容認するこ とが、いい意味で楽なのかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。お褒めの言葉?まで頂いて恐縮です。努力しようという理想主義が一応間違ってなかったんじゃないか……と思えました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。年をとるとはこういうものなんでしょうか。 そうとも限らないと思います。 2。それとも、「私と関わりたくないであろう人の意思を尊重してあげよう」という、多様性への尊重を私ができるようになったのか。 それはあるでしょう。 3。それとも、大学生まで=友人から、社会人=ただの同僚 だからなのか。 いいえ、そうでもないと思います。 3。それとも、単に私がかなりストレスを感じていたのでしょうか(笑) そうかもしれません。 4。僕は昭和一桁の生まれなので、九十路に入った者ですが、友達は、各年齢層にいます。幼稚園からのも、退職してからのもいます。日本人も、今いるところのアメリカ人もいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。御長寿の方のご意見参考になりました
お礼
ご回答ありがとうございます。 スッキリしました! モチベーションが今後より下がって、諦めの境地を極めていく可能性があるのですね…。 それは気をつけたいと思います!