冷静になってしまった自分を意識的に変えることは、わたしにとっては簡単なことです。演じればよいのですから。演じながら相手の内心を探ってみたり、隠している深い悲しみを覗きみることをわたしはできます。経験者ですからね。
躁鬱のころの子供でやんちゃなわたしは、まだまだ存在していますが薬のチカラを借りて大人のフリをするのもいいかなと思ったりします。
元に戻ることもそう難しくはないとは思いますし、変幻しなくてはならないときもいつか来るかもしれませんが、まあ、その時はその時です。いまは、大人な自分を気取ってます。双極性って手のひらを返すように裏の自分も表の自分も思いのままなわけですから、無理に双極性にこだわることもないとわたしは思うのです。
昔は、確かに自分がなくなったと違和感を感じましたが慣れです。慣れ。人を幸せにするには、冷静な自分も躁な自分も必要だと思います。とは言ってもまだまだ、躁鬱の経験が足りないのなら薬は禁物かもしれませんね。わたしなんかは、双極性なのにうつの薬を飲まされて悪くされたぐらいです。飲まないくらいいいかもですよね。医師会いい加減にしろ!です。
躁鬱の経験は、決して悪いものではないとわたしは思います。ただし、死を乗り越えられればですけど。
なかなか、答えってないものです。これも双極性を経験した上での答えでもあります。
お礼
回答内容が難解で、おそらく私はほとんど理解できてないと思います。