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【将棋】なぜ将棋は袴?着物を着て打つのですか?

【将棋】なぜ将棋は袴?着物を着て打つのですか? 将棋の袴?着物文化はいつからですか? なぜ着物を着て打つ必要があるのですか? なぜ棋士が着物を着て将棋を打つ文化になったのか将棋の歴史を教えて下さい。

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回答No.7

将棋の場合 ×打つ 〇指す ですのでお間違えの無いように。 タイトル戦などで棋士が和服を着用するのは、江戸時代の「御城将棋」の際に、将軍に対して失礼にならないよう「羽織・袴」を着けて江戸城に登城したのが起源と言われています。 その頃は、もちろん洋装などはありませんでしたが、一般的には着流しなど当時の普段着で「御城将棋」以外の練習対局などが行われていたようです。 当時は「終身名人制」で、いわゆる「家元制度」でもあったので、当然格式にはうるさく、「大事な対局には羽織・袴で」となっていきました。「実力名人制」になった現代でも、そうした伝統は受け継がれており、タイトル戦で和服を着用する文化が定着していったのです。

umidigia5pro
質問者

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その他の回答 (6)

  • unnoun
  • ベストアンサー率16% (409/2496)
回答No.6

相撲と同じで、そう言う方法格式があるからです。

回答No.5

伝統文化であることを強調したいのでしょう。タイトル戦では、和服が多いですね。やはり注目度が高いからでしょうか。 カメラマン弦巻勝が撮った(参)第1期竜王戦で、島朗さんがアルマーニの背広で対局し、当時驚きでした。 参) https://www.shogi.or.jp/photo_gallery/025.html

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.4

和装は日本古来の服装です。「いつから和装になったのか?」じゃなくて「最初はみんな和装で、そのうち洋装が増えてきた」ということだけのことです。 日本の伝統の世界だから、正装といえば和装であるのが正式とされているのです。

  • y-y-y
  • ベストアンサー率44% (3067/6901)
回答No.3

男の和服は、着てみると分かりますが、腰ひも以外はユルユルです。 洋服の様な厳格なサイズ無く、大ざっぱな大きさでいいのです。 (女性の和服は、重ね下着1枚ごとに紐で1本づつ縛るので、男の和服の様なユルユル感はありません。) 格の高い将棋の場合は長時間になり、映像にな残るので正座が出来にくく、時には「あぐら」もしたいしょう。 正装用の袴は、男もスカート状の「行燈(あんどん)袴」ですので、たぶん「行燈袴」だとすれば、足は「あぐら」をしていても分かりません。 https://www.google.com/search?q=%E8%A1%8C%E7%87%88%E8%A2%B4%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0&hl=ja&sxsrf=ALeKk01kCOUus8jXnoY6y_UJ5Epxl_mkhQ:1601890563882&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiut52wk53sAhUMBKYKHUXfC_QQ_AUoAXoECAwQAw&cshid=1601890648987357&biw=1283&bih=765 【参考】 足を左右別々に入れる袴は、「馬乗り袴」といいます。 https://www.google.com/search?q=%E9%A6%AC%E4%B9%97%E3%82%8A%E8%A2%B4+%E6%A7%8B%E9%80%A0&sxsrf=ALeKk02BwjDujjdH3KWPB1lW5xKnyRT0PA:1601890215285&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjws4CKkp3sAhW9IqYKHWtWB6AQ_AUoAXoECAwQAw&biw=1283&bih=765

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 古来、囲碁が将棋よりも一格上として扱われてきました。  例えば紫式部や清少納言などの書いた物にも書かれていますが、宮中で行われていたのは囲碁でした。  余談ですが、紫式部はその日記の中で、「清少納言が偉そうに囲碁について書いているけど、彼女はヘボよ」と書いているとか。実際、紫式部の方が実力は上だったらしい、という話もあります。  閑話休題  江戸時代、囲碁棋士のまとめ役を「囲碁所」、将棋棋士のまとめ役を「将棋所」と言い、両方とも幕府の役人でしたが、囲碁所が将棋所の上席(上司?)とされ、禄高も倍くらいもらっていたそうです。  庶民でも、囲碁は金持ちのご隠居さんたちがヒン良く打つ程度だったのに対し、将棋の多くは半裸・フンドシ一丁の男たちが「夕涼みよくぞ男に生まれけり」とかいいながら、団扇片手に縁台将棋をやっていたのでした。  明治・大正時代になっても、賭け碁もありましたが、賭け将棋の方が多く、読み書きできない棋士や、女房に逃げられたりした将棋棋士もいたのです(歌:吹けば飛ぶような将棋の駒にぃ賭けた命を笑わば笑え~…)。  以上のような歴史を踏まえて、以下は私の推測ですが、  将棋の普及発展を図り、文化の向上に資することを目的として1949年設立された日本将棋連盟が、長年にわたり囲碁の下に見られてきた将棋(フンドシ一丁の縁台将棋)からのイメージ脱却のために「タイトル戦では和服着用を原則」としたのではないでしょうか。

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