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職人の見て盗めとは、知らないのは自分が悪いからだと
職人の見て盗めとは、知らないのは自分が悪いからだという意味でしょうか? 例えば、自分の話ですが精神的な病気になるのは心というものを無視してきた結果だからかと。 勿論、自分の話なので精神病の方全員とは思いませんが。 知らないというのは、結局自分が全て悪いのかもと。
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「見て盗め」というのは言い換えれば「百聞は一見にしかず」と言えるかもしれません。 聞いたり読んだりするだけでは学べないことが多い職人の世界では見て覚えるということも重要。 つまり「勉強」の一つの形。だけどそれが全てではない。 知らないから勉強する。 だけど一から十まで全部人にき聞くというのは煙たがられる。 勉強というのは教科書に書かれていることを覚えることではありません。自分で考察し理解を深めることか勉強の入り口だと思います。 勉強というのは終りがありません。死ぬまで勉強が続きます。 精神的な病気と見て盗めは関係ないと思いますが・・・
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私はこの言葉を真っ向から否定する訳じゃないけど、科学者や何かの専門家は、きちんと座学での勉強しつつもなお現場で実践してきている人たちです。(大抵大卒や客員教授もいる)コツを教えてもらうことはあります。それに加え、なぜそう言うことをするのかも教えてくれます。原理はわかってるけど、体得するのが難しいんです。だから、専門家や職人がいるんです。寿司が食いたくなったら寿司屋に行き、鋳物がほしけりゃ鋳物を扱う問屋にいきます。 また、もと寿司職人やシェフのお笑い芸人がもてはやされるのは実際に調理場にたっていろんな技を盗んできてご家庭でも簡単に美味しい料理ができるものを紹介してくれたりします。 自分だけがわかるんじゃなく、分かりやすく人にレベルを合わせてものを教えるのも職人の務めだと思ってます。 そこに、「精神で学べ」など時代錯誤ですよ。それで、向いてない、お前の精神が曲がってるからなどまことしやかオカルトチックです。きな臭い話ですよ。 なんにでも、原理現象にはすべて名前があり、自分じゃ説明できないからとりあえず見て感じてくれの時代は終わりを告げようとしています。いまでこそ、寿司職人になるには寿司職人専用のスクールがあるくらいですから。鋳物を作りたければ大学の工学科もあるし、宮大工になりたければ大学に宮大工や建築科の科目のある大学にいけば学べる。 体得するのが難しいのであって自分なりの創意工夫のもとに同じようにできるようになるにはそれなりの習練は何でも必要ってだけです。
- metame
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あくまで私の考えですが、 仕事に集中しろと言う事だと思います。 現場では教科書に載っていない事がたくさんあります しっかり見て自分が作業する時に役立てろみたいな 質問するにしても、ただ【どうやるんですか】ではなく【この前の現場では○○さんがこうやってたので同じやり方良いですか】とかの方がこいつヤル気あるなって思うしね
- maiko04
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職人の技は言葉では言い表せない部分があるのです。 では、山と積まれた本を読んで職人が務まると思いますか? やっている姿を見て言葉で言い表せないところを体得しなければ 職人の技は伝わらないのです。