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日本はすごい国でしょうか。だったのでしょうか。

大学4年生女子。 昨日は終戦記念日でした。 毎年、テレビで昔のことをやっていますが、今よりも人口は少なかった時代に、戦艦や空母、大きな潜水艦まで作ってアメリカと戦争した、というのは無謀な気もするし、犠牲も大きかったからよくなかったのかな、と思わないでもないけど、4年近くアメリカと喧嘩していた、というかできた、と考えると、日本ってすごい国だったんじゃないか、と思いませんか? 逆に今の日本とどちらがすごいんだろう、と素朴な疑問を感じました。

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noname#250245
noname#250245
回答No.11

すごい国ではあったが外交が下手な国であったということですね。 本来、外交というのは求めることが100であったとすると、あえて200の要望をし、妥協したと見せかけて100で通すというのがセオリーでした。 ただ、当時の日本はバカ正直に200の要望を叶え続けてきたせいで疲弊し、最後はブチ切れて太平洋戦争を始めたわけです。 あの頃、もう少しのらりくらりと身をかわす方法を知っていたら、原爆を落とされることもなかったかも知れません。 その点はやはり未熟だったと言わざるを得ませんね。 ただ、だからこそ日本はそれを反省し、今の日本はあらゆる国に手を差し伸べて味方を多く作る外交を行っているわけです。 現代のモラルを持って過去を断罪するのは傲慢というもので、過去の日本とその犠牲があったからこそ、今の我々は平和に暮らしているんだと認識しておかないといけません。 戦争を美化することなく、かといって先人たちを蔑むこともなく敬意を払って生きるべきだと思います。 靖国神社を首相が参拝すべきだとワシは思っておりますが、それは戦争を美化するためではなく、戦争の犠牲となった先人たちに必ずこの国の平和を続けてみせると国の代表として誓いを立てるためにです。 首相が参拝をしなかったとか公人ではなく私人としてとか言い分けするたびに、この人はもしかして戦争をするつもりだから首相として先人たちに顔向けできないという意味なのかなと不安になってしまいます。 今の日本がすごいかは我々次第ではないでしょうか? だって我々も「今の日本」の一部ですよ? どうして他人事のように国が悪い政治が悪いと言える人が多いのかが不思議です。 少なくとも昔の日本は未熟ながらも何とかしようとしてた人が多くいたはずです。 その人たちが築き上げてくれた平和の上にあぐらをかいてヘラヘラと生きた結果、生活が困窮したら国が悪い政治が悪いというのはお門違いかと。 「今の日本」として我々はもう少し気を引き締めて生きないといけませんね。 そのために毎年終戦記念日は、そういったドキュメンタリーなどを流しているわけです。

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  • kuni-chan
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回答No.15

 太平洋戦争の4年近くをどう考えるかです。  確実に勝ち損害を少なくするためには、戦力を整えるのは重要です。  そのために時間がかかったという事がありますので、日本が善戦したという事ではない気がします。  アメリカは原爆を投下するまで終わらせる気が無かったと思います。  原爆が無差別大量虐殺兵器である事を知っていたのですから、それを使わなくて終わらせる努力をするのが当然ですが、やったという話を聞きません。  私はすごい国だったとは思いません。  終戦の仲介をソ連に頼みました。ソ連は日本と戦争したくてたまらない国でしたから、仲介する気は全くありませんでした。そんな事も知らなかったのですから「アホな国」と思います。

  • tzd78886
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回答No.14

>どっちも微妙にズレていたので、ネジを入れるときはネジの山の中からちゃんとサイズが合うのを探さないといけなかったのです。 当時の新聞記事から面白いものを見つけたことがあります。以下はその抜粋です。 「アメリカの飛行機は日本の物より性能が高そうに見えるが、大量生産品で他の連合国に売るために実際の性能より高く宣伝している可能性が高く、せいぜい7、8割程度とみるべきだろう。それに対し日本の飛行機は一つ一つ手作業で組み立てているから信頼性が高く、性能表通りになっている」 部品を全て誤差を定め、その範囲内に生産してどの部品でも使うという発想は当時の日本の工業製品には無かったようです。これを製造技術と言います。昭和30年代初め頃までは日本製の工業製品の評価はアメリカにおいて極めて低く、製造技術がまだ十分浸透していなかったからでしょう。その後輸出する物に対しては製造技術が導入されて信頼性が高くなりましたが、国内でしか使用しないものについては導入が遅れ、昭和40年代に製造された電気機関車はオーバーホールの際に一部の部品はそれぞれの機種に使ったものをすべてチェックしておき、同じ部品で組み立てるようにしないと微妙に合わないということが多かったのだそうです。同じ型式でも製造メーカーによって細かい仕様が違うということなどはざらでした。

回答No.13

確かに、あの時代に欧米列強の殖民地となっていない、独立や近代化、民主化を果たした点ではオスマントルコと近いかも。

  • eroero4649
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回答No.12

話を広げるとキリがないので、ある程度限定して回答します。 >今よりも人口は少なかった時代に、戦艦や空母、大きな潜水艦まで作ってアメリカと戦争した 当時、アジアで自前で戦艦や戦闘機を設計して作ることができた国は日本だけでした。その点においては大日本帝国というのはアジアの中で突出していた存在であったのは間違いないです。 しかし、ではその技術レベルなどが欧米と匹敵していたのかというと、それは残念ながらそれなり以上の差がありました。現代でネジやナットなんかは何ミリとサイズが決まっているならどのネジを入れてもきちんと入りますよね。でも当時の日本はそうではありませんでした。どっちも微妙にズレていたので、ネジを入れるときはネジの山の中からちゃんとサイズが合うのを探さないといけなかったのです。 戦争中、アメリカのトラックを分捕って整備した日本軍の整備兵が、アメリカのトラックのエンジンはどのネジを外してもきちんと入るのを見て「この戦争は勝てない」と思ったといいます。 名機と呼ばれるゼロ戦のエンジンも、工場から出てきたときには品質のバラつきがあまりに大きかったので整備兵が時間をかけて整備しなければならなかったそうです。 工場などの生産現場では、ある一定の品質の中に製品を収めることを「QC(クオリティコントロール)運動」といいます。この「クオリティコントロール」という考え方は、戦後にアメリカ軍が日本に持ち込んだものなのです。それまでの日本にはそのような思想がなかったのです。 ですので大日本帝国の技術力というのはアジアとしては突出していたものの、アメリカやイギリスやドイツ、ついでにいうとソ連にも劣る程度でした。意外に思うかもしれませんが、ロシア(ソ連)というのは金属冶金の技術は昔から高いんですよ。チタンを発明したのはソ連ですしね。 当時のアメリカの生産能力は桁違いなんですよ。戦争中に20隻の正規空母を生産したのですが、それを戦争期間で割ると、おおよそ2ヵ月に1隻の計算になります。ジープ空母と呼ばれた小さな空母は、週1ペースです。なので軍事マニアの間のジョークで「隔月刊正規空母。週刊ジープ空母。特別増刊軽空母」なんていわれます。 戦争前に、日本軍参謀本部のエリートが、アメリカの生産能力の計算をしたそうです。そうすると天井を突き破るような生産能力になるから「これは何かの計算間違いだ。いくらなんでもこんな数字は非常識だ」と思ったそうですが、実際はその予測通りになったそうです。 >4年近くアメリカと喧嘩していた、というかできた、と考えると これはちょっと難しい問題です。実は真珠湾攻撃で日米戦争が始まったとき、イギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領との間で「まずは対ドイツ戦。日本はドイツが片付いてから」という合意がなされました。 対日戦で反撃をするのは、ナチスドイツに勝った後にする予定だったのです。その英米連合軍がヨーロッパに上陸した、いわゆるノルマンディー上陸作戦が行われたのが1944(昭和19)年6月です。 本来はそれまで対日戦では本格的な反撃はする予定にはなかったのですが、虚栄心の塊で戦争中は抗戦の英雄で国民的人気が圧倒的だったマッカーサー元帥が(主に自分がアイゼンハワーより目立ちたいために)「反撃させろ!」とうるさかったのと、開戦半年後のミッドウェー海戦で思わぬ勝利をあげたことなどから、予定を前倒しして反撃していました。 1945年まで戦争が続いたのは、アメリカがそこまで本気にならなかったからいう言い方もできます。アメリカ軍は日本陸軍に比べると圧倒的な火力を持っていたのですが、それでもドイツに派遣された部隊に比べると太平洋戦線に投じられた部隊の装備はそんなにいい方ではありませんでした。 「太平洋戦争の転回点になった」といわれるのはミッドウェー海戦ですが、それは1942年6月に行われました。開戦が1941年12月ですから、わずかに半年後です。開戦当初の大日本帝国は確かに圧倒的でしたが、それはたった半年で終わってしまったのです。 日本海軍が「最後に勝った」といえるのは南太平洋海戦ですが、これは1942年10月に行われました。日本海軍は局地的な勝利を得ましたが、優秀なパイロットをほぼ全部使い潰して日本軍はこれ以降にアメリカ軍に対して有効な損害を与えられなくなってしまいます。 1943年から1945年の終戦までは、ジリジリとした負け戦が続くことになります。

  • tzd78886
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回答No.10

日本は結局アメリカの属国になり、何をされても実質何一つ対抗策が取れない。国際的にも戦前とは発言力などでも大きく後退したのは間違いなく、はっきり宣戦布告は大失態としか言いようがない。「やるだけのことはやったのだから結果大敗北してもこれはこれで成功だったのだ」などと考えている日本人がいるのだろうか。

  • smoon465
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回答No.9

間違った理由をダラダラと並べている人がいますが、凄い国だったら戦争なんかしない。 間違った事をした国、人間が凄い事だと考えるのは無知だと思います。 何故だらけですが、出来れば深く考えて欲しいと思います。

回答No.8

太平洋戦争については、様々な論者が居ますが、ただ1つだけ言えることは「日本は決して戦争をしたくて始めたわけではない」と言うことです。アメリカの卑劣な行為により世界同盟から脱退せざるを得ない状況に追い込まれ、資源が枯渇してだんだん身動きが取れなくなってくる日本に対し、アメリカは「4等国になれ」と脅迫してきたのが正しい歴史です。当時のアメリカ大統領「ルーズベルト」は大の黄色人種嫌いで有名でしたし、ヨーロッパ諸国が持っている植民地をアメリカは持っていなかったのです。言い変えれば「植民地欲しさ」に日本を追い込んだ訳です。 当然ながら日本が戦争を起こすのも、ルーズベルトのシナリオに含まれており、日本の暗号は真珠湾攻撃以前からバレバレ。結果的には、アメリカの手の平の上で戦争をしていたに過ぎません。 戦争をしなかったら植民地になるのですから、日本は戦争をせざるをえません。しかも、資源も無いので短期決戦の道しかないのです。 結果、本土決戦まで追い込まれ、2発の原爆を実験を兼ねて落とされ、無条件降伏となりました。これで、日本はアメリカの植民地となるはずだったのですが、東京裁判で万条一致の結果にならなかったため、植民地にする事が出来なかったのてす。これについては、インドのパール判事に感謝せざるを得ません。 日本がいま平和なのは、当時の日本帝国軍人の尊い犠牲があったからからであり、何も争いを放棄・武力行使の放棄をしたからではありません。また、巷で聞く戦争経験者の殆ども、身内が軍人になっていない方々が多くなり、正しい歴史が伝えられなくなっています。「戦争は恐い」は誰も言えますが、軍人として戦地で命を落とした話は全くと言っていい程聞かれなくなっています。日本の歴史としては、それが一番重要なのにと、だんだん歴史が捻じ曲げられ消えていく事に不安を覚えます。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.7

北朝鮮は雀の涙ほどのGDPの20%を軍事費に当てているそうです。そのうち40%を核爆弾の開発とミサイル開発にあてています。子供の頃から優秀な子供には将来のミサイル、原子核開発や、インターネットをハッキングして情報操作、妨害、金融詐欺するための人材育成をするし、閉鎖された国の中でも世界に対抗するために英語教育にも子供の頃から力を入れている様です。核開発に関してははったりと言われつつも、できないと言われていた固体燃料ミサイルや潜水艦発射ミサイル、アメリカまで届くICBMを次々と実現し、水素爆弾が本当にできたかどうかはわかりませんが、長距離を運搬できる原子爆弾の小型化にも成功している様です。他国からの技術情報や、部品、燃料の調達の不自由さやGPSなどの衛星測位システムへのアクセス制限がある中で開発しているのだから不思議なくらいです。 結果として、世界でももっとも貧困な部類の国が、世界一のGDPと軍事費を持つアメリカに対抗しています。 戦前・戦中の日本が国民の自由と平和を奪い、労働を搾取して、軍事に国民の金、資材、人材を投入して兵器を開発・製造してアメリカと対抗した事がすごいのであれば、北朝鮮はもっと称賛すべきでしょう。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.6

考えようによりますね。実際にそうかは別にして、伝説の中から今に至るまで一つの家系が続いていることになっている国なんて他にはありません。これができたのは実際の政権を握る人物は別にいて、傀儡として存続させることを望んだからです。海外だったら政権を取った人物は自分を脅かしかねない前の王朝の一族は皆殺しにします。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.5

それなりに凄い国だったと思いますよ。 何しろ、日清・日露戦争と世界中の何処も日本の勝利を予測できなかったにも拘らず勝ってしまいましたからね。 ただ、太平洋前夜の当時の強国の一つだったロシアの動向を絡めて満州事変などを契機に日中戦争に突入していくなかで、満鉄建設などによる多くの産業への進出を含めて当地のインフラの充実などの実現には貢献したものの収益はそれほどではなく、盧溝橋事件を切っ掛けに南下する中での軍事費の増大もさることながら、資源に乏しい日本にとって長引く戦況は初めから不利な状況。 当時の中国というのは清時代の最後にあたりますが、そもそも、国家の概念が崩れてしまうほどの脆弱な運営体制であり、日中戦争に蒋介石が国民軍を創設するに当たっても、中国全土に散らばる各地域の有力者をかき集めての俄か部隊でしかなく、そういう中国を圧倒したのは、ある意味当然のことでしかない。 しかし、そうして出来上がった俄か部隊も年を重ねるごとに抗日運動というかたちで中国全土に広がりを見せ、民間人を含めて全中国人が日本を敵と看做し始める頃には毛沢東などが登場し、そうした経緯の中でも蒋介石はアメリカへの支援を度重なり行っていたものの、日本や中国という極東のみならず、ヨーロッパなどの動向も注視していたアメリカとしては、中々腰が重い。 そうした中で当時の内閣総理大臣であった近衛文麿がその地位を投げ出して軍事色一色の東条英機内閣が誕生したが、山本五十六などの有能な海軍族にとっても、明治の頃からの陸軍上位という雰囲気は変わらずに存在していて、結果的には戦争反対を唱えていた五十六を含めた海軍も本腰を入れて戦況に踏み込まなければならない状況に陥ってしまった。 そこで五十六が考えたことが真珠湾攻撃という奇襲攻撃を持って短期決戦に掛けることだったが、実際には航空母艦など主要な軍艦の損害はなく、逆に宣戦布告の文書も届かず仕舞いの状況から、完全にアメリカを怒らせてしまった。 ただ、こうした当時の戦時状況の中でも、特に日本軍が優れていたことは、日本人の持つ精神性だけではなく、軍事力としての性能、とくに零式艦上戦闘機、即ち、ゼロ戦の性能は世界一であり、当時の航続飛行距離は2200km、最高速度は時速500km以上という他を寄せ付けない性能を持つばかりではなく、初期の段階ではアメリカのグラマン戦闘機などを撃墜するために頻繁に行われていた宙返りによってグラマンの後方に付くという離れ業はゼロ戦の最大の特徴。 こうした世界最大級の戦艦大和や武蔵やゼロ戦を代表とする航空機などの軍事力も、所詮は資源に乏しい日本にとって燃料という意味でも限りがあることを気付いていた筈。 それに対してアメリカの最大の強みは、まさに豊富な資源。 戦況が悪化する太平洋戦争末期では、軍艦や航空機などを含めた軍事力は開戦当初はそれほどの開きはなかっらものの、劣勢に立ち続けなければならない日本の状況を示すように軍事力の減少は凄まじく、その一方でアメリカの軍事力は年を追うごとに増加し続けて、終戦間際には既に日本の十数倍にも肥大化していたことを考えると、たしかに日本が仕掛けた真珠湾攻撃ではあったけれども、あくまでも、それは短期決戦が条件であり、五十六が予想していたように戦争が長期に及ぶものならば、初めから勝ち目がなかったということを知っていたのだと思いますよ。 ただ、東条英機をはじめとする軍国主義者、戦争賛成派にとっては、神風だの武士道だのといった何の役にも立たない精神論ばかりが全体を占めながら戦争に踏み切ったという意味では無謀と言わざるを得ないでしょうね。 まあ、少し中身が違う方向へ向かいましたが、軍事的技術や戦争の展開などの読みなどを含めて、当時の日本は、たとえ無謀ではあったにせよ凄い国だったと思いますよ。 現在は産業の発展や様々な技術の進化などを含めて比較にならないほどにまで成長しましたが、只一つ平和ボケして国を守るという意識の低さが中国との尖閣列島や韓国との竹島に問題でも、借りてきた猫のような対応しか取れないことを見ていると、戦時中にはその横暴な一面が開戦から敗戦に繋がったとはいえ、当時の日本人ならば、もっと強力に対応していると思いますね。 まあ、時代が時代ですから、中国やロシアなどを含めて、まだまだ戦後の国家体制というものが構築される以前の状態でしたから、そんな中では日本は凄い国だったのかもしれませんね。 長々と失礼しました。

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