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民間テレビ放送の政治的中立性について
放送法の第四条には、「放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。」として、「二 政治的に公平であること。」とあります。 また日本民間放送連盟の放送基準には、第2章(法と政治)に「(8) 国の機関が審理している問題については慎重に取り扱い、係争中の問題はその審理を妨げないように注意する。」また「(11) 政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する。」とあります。 しかし、昨今のテレビの情報番組では、国会で審理中の案件でも「政権の批判」が頻繁かつ堂々となされています。 このような情報番組は、どのような免責事由(判例でもある?)によって、「政治への干渉?」が許されているのでしょう? 私は工学系の研究畑で生きてきた人間なので、「批判は、『後知恵』による『後出しジャンケン』だから、批判する方が優位になるのは当前。それを敢えてやるのは、良く言って『行儀が悪い』、悪く言えば『卑怯』である。だから、批判したいときは、『相手への助言』とか『客観的根拠を示した反論』の形をとりなさい」という躾をされてきました。それゆえ、昨今のテレビの情報番組でやっている「批判」に違和感を覚えています――上記について、どなたか御教授願います。
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- sutorama
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意見表明であることは理解しましたよ 先の先の回答に書いてあるのですが、その内容にも触れないでの主張は、どうもこうも・・ですね(ΦωΦ) あくまでも質問サイトですから・・・
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
大幅に話が逸れた感がありますが・・・ 書かれている前文にある「諸国民」とは、いわゆる「中国・北朝鮮・韓国・ロシア」であるわけで、現在、その国々が信頼に値せず、協和もとれていません これ以上話を進めると、憲法問題になってしまうので、もう少し「質問内容」を精査され、本当は何を聞きたいのか?整えられてください
お礼
お解りになりませんか? ストレートに申し上げれば、(1)日本は議会制民主主義の国であるので、国会議員を通して(つまり選挙において)国民の不平不満を表明すべきであって、「後出しジャンケン」の批判をするのは如何かな?と思うということ、(2)マスメディアは国民に対する影響力が強大なので、不平不満を言うのは少しは自粛し、法律にしたがうべきである、ということです。以上 (;^ω^)
御教授乞う・・・ということですが、ごめんなさい 僕の回答は、読んでもなんの役にも立ちません。 それでもよろしければ、読んでみてくさい。 今後の質問者様の人生の質は、上がりません。 くだらない回答、本当にごめんなさい。 このご質問を読ませていただいて そういえば・・・ 放送法改正だ!・・・4条廃止だ・・・その前に 放送局の幹部を呼びだして、お説教だ!!! なんて話はどうなったの?・・・と思いました。 僕の感覚では、この辺りからご指摘の ※政権の批判が頻繁かつ堂々となされる ようになったような・・・? 判例も無ければ免責も確かない。 放送局の判断、法解釈により質問者様ご指摘の放送をしてる と思いました。
お礼
ご意見ありがとうございます。ただ、私の質問に誤解されている方もいましたので、私の長ったらしい弁明をSailormoon7さんのところに、まとめて送信しました・・・・・・ご参考下さい!
- nekosuke16
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人間が問題を解決する際に最も重要なのが、貴方の言う公平性であり、それを端的な言い方をすれば「良いものはよい、悪いものは悪い。」ということになります。 それは、人間同士の争いの中で、お互いの言い分を聞いているうちに、一般常識や専門知識などの情報の中で公平という一種の枠組みを超えた論調や手法といったものが現れた際に、公正で中立な立場に立つ人間が判断を下す時点での基本的な姿勢となります。 それこそが、弁護士バッジのデザインでもある「公平と平等」を象徴する天秤であり、その思想の根底にあるのが、誰かの幸福のために別な誰かの幸福を阻害してはならないという精神であり、それこそが太陽に向かって真っ直ぐに咲くひまわりが象徴する「自由と正義」。 さて、本題に入りますが、ここ数十年の政治の動向を眺めていてよく言われるのが、まさに仏教用語から発展した中立を表す中道という保守でもなく革新でもない政治勢力が政党を問わずに存在していたが、今はそうした言葉も廃れ、本来保守政党であった筈の自民党の基本姿勢は変わらないとしても、安部一強という現実の中で、先ず第一に自民党内の空気が硬直し、それまでは様々に闊達な議論が行われてきた党内から、誰一人として声を上げる者がいない状況にあり、これが一つの公平さの欠落の結果です。 また、安倍長期政権は党内で誰も声を上げられない現実から自然なかたちで独裁色を強めながら、結果的にこれまた自然なかたちで保守というよりも安倍総理個人の方向性に流されるように右傾化しているなどとも言われている。 そうした中で、民間の放送番組では日々散々に、貴方の言う放送法の第四条や日本民間放送連盟の放送基準を無視したかたちで「政権の批判」が頻繁かつ堂々と行われているとするならば、そこには理由がある筈です。 NHKなどは、貴方の思い描く中立という立場で政権批判をしない模範的な報道姿勢ということになるのかもしれませんが、一方で、放送という万人が視聴できるメディアの本質が何処にあるのかと考えたとき、その根底には国民目線というものが必ず存在します。 それこそがジャーナリズムの本質であって、そこにこそ、国民目線、国民の代表者である国会議員を監視する視線、国民がそうした代表者たちの行う議論を見極める意味においても、その現実をテレビ画面、放送内容を通じて紹介し、視聴者である国民に判断を委ねる。 つまり、国民の持つ立場こそが、公平の象徴である天秤の上で侃々諤々と議論する国会内外での政治の行方を見守ることだと思いますよ。 「政治への干渉?が許されているのでしょう?」ということに対して、政治を見守る国民が政治が間違っていたなら「良いものはよい、悪いものは悪い。」ではないけれども原点に立ち返るためにも批判、干渉をしなければならないというのが本筋であって、そうしなければならないほどにまで現政権が公平中立という立場から逸脱してしまっているということでしょう。 ここ数年だけを捉えてみても、厚労省の調査データ問題や、森友加計、イラク派遣の日報隠蔽、最近の「桜を見る会」から、現在はあからさまな保身にしか見えない検察官定年延長問題、果ては、国民が全く不在の閣議決定で何でも押し切る様など、あまりにも問題が多過ぎる政権だからこそ、批判にしかならないのが現状です。 貴方が言うように批判が『行儀が悪い』『卑怯』として、メディアや国民が黙ってしまったらこの国の行く末は独裁国家にしかならない。 国民が一言も言わない国の代表格が北朝鮮であり、国民が声を上げることができるけれども、あからさまな批判を展開したときには当局によって身柄を拘束連行され二度と日の目を見ることができないのが中国。 今現在、これ程までに政権が批判されるのは、彼らのあらゆる手法が公平中立や自由と正義という理想からかけ離れ、いまや天秤から転げ落ちてしまっているからであり、盲目的に政治批判を否定するのは間違いだと思いますよ。 悪いものは悪いのです。 それよりも重要なのは「批判」に違和感を覚えるのではなく、貴方が一国民としてメディアの政治批判ではなく、個々の問題点に対してどう考えるのかという主張の問題であり、貴方に政治に対する明確な意見があるのであれば、メディアの音声など全く耳にも入らないということであり、批判などあって当たり前のことに目くじらを立てる自体、視点、論点が違うのではないですか? 放送メディアに左右されることなく、きちんと貴方ご自身の目で今の政治の有り様を見るべきだと思いますよ。
お礼
ご意見ありがとうございます。ただ、私の質問に誤解されている方もいましたので、私の長ったらしい弁明をSailormoon7さんのところに、まとめて送信しました・・・・・・ご参照下さい!
- sutorama
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まずは余談として昔、「料理の鉄人」という番組があり、味の審査員に必ず食の素人(タレント)をひとりいれることで、どのような結果が出ても結果の責任が番組側にもプロの審査員にも及ばないシステムでした 同じように、今の番組作りのシステムは番組調べに「アンケート」を軸に放送しています この国民・市民?のアンケートを元に番組を構成していますから、どのようにも編集できます つまり、アンケート結果の代弁者として出演者もセリフを言いますから、免責でしょう もうワイドショーやニュース番組なんて、冒頭で上記のアンケートや世論調査、街角インタビューやTwitterのトレンド上位ワードなどなどなど、番組を構成(編成)したいものを選んで抽出していますから『素人の叫びVS政治』という構造にして、マスコミの大原則である両論併記を盾にしているのだと思います
お礼
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- Sailormoon7
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マスコミが政権を賛美・擁護してたら国はどうなりますか? マスコミによって政権よりの産経新聞社の様なマスコミも有り、常に批判的な朝日新聞もある。 全部政権を賛美する報道になってしまったら、昔の大日本本営発表をそのまま流してるだけと同じで、国民に真実は伝わりません。 敗戦迄は朝日新聞は、軍国主義日本の宣伝新聞社でしたが、敗戦後、戦争の起きた背景や国民を懐柔してしまった反省に立ち、政権の監視役に徹しているのです。 「ぺんは剣よりも強し!」有名な言葉が有りますが、報道機関というのは、真実を国民に伝えるのが、あるべき姿であり、悪い政権を擁護して国民を欺く事は、マスコミの存在意義を失くします。
お礼
ご意見ありがとうございます。しかし、どうも、最近はやりのネウヨの方々と間違われたようです。私が言いたいのは、日本は、次の「憲法前文」をもつ日本国憲法を有する議会制民主主義の国であり、法治国家であることです。 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。(後略)」 すなわち、国民は「主権者である国民の代表者=国会議員」に国政を信託し、その「国民の代表者」のみが国政に直接関わる国であります――こう定められた理由は、「前文」にあるように「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」ためであります。くどく言いますと――既にご承知かもしれませんが、約八十年前、日本の軍国主義者やドイツのファシストがマスメディアを通して国民を扇動し、狂信的愛国者となった国民の「大政翼賛会」や「ナチス党」に引きずられて、政府が第二次世界大戦(世界中で6000万人を越える死者・行方不明者が出た)を始めたからです。 現在の日本は、新型コロナウィルス感染症が今後もたらすだろう世界的不況に引き続き、万が一にも東南海大地震が起きたならば、第二次世界大戦の発端となった経済的大不況――第一次世界大戦後の戦後不況(一九二〇年)、関東大震災(一九二三年)、そして金本位制復帰にともなう円の急騰(一九二五年)が引起した「昭和金融恐慌(一九二七年)」に続いて「世界大恐慌(一九二九年~一九三〇年代後半)に襲われた――に匹敵する政治・経済的混乱に入る可能性が大きいと懸念されています。さて、そんなとき、ナチス党がマスメディアを介してチンチンドンドンやった「無能な政権批判」と「第三帝国宣伝」のような動きが、もし日本で起きたとしたら、それを抑制し、秩序を守るのは国民の理性的行動と法律以外にない、と私は考えますが? 「アベさんが悪いから、何をやっても良い」という考えは、ネオ・ナチス的(ゴメンナサイ)では? 私は戦中生まれの鹿児島育ちですが、小学校のとき1クラスに最低2名は父親が戦死した者がいたことや、敗戦国民として味わった惨めさ貧しさを未だに記憶しています。戦争は絶対にゴメンです (;^ω^)
お礼
残念ですが、この辺りでギ(議 o r偽)論はやめましょう。とにかく、半ボケ爺の意見表明?(私は法的な免責事由を知りたい気持ちから質問したつもりでいたんですが!)にお付き合いいただいたことに謝意を表し、チップを更にお送りします。ところで数日前、「何とか反対」に1~2日の間に470万件のツイートが集まったらしいことを思うと、現代哲学の基礎を築いたハイデガーの言うところの「空談」の恐ろしさをつくづく感じます。もっとも私は、あと数年で男性の平均寿命に達しますので、10年後、20年後の日本がどうなろうとも「後は野となれ山となれ、ホーイホイ!」の身でありますが・・・・・・。