数学者ではないので別の見方があるかもしれませんが,学問を長年やってくるとその分野の特徴的な性質が自分の基本になってしまうことはよくあると思います。我々生物系,医学系の人間は観察が大事である為,このようなご質問を受けてもその質問者を観察してしまいます。この人は大学関係者かなとか大学院生の友達がいるのかななどと文字から観察したり推察したりしてバックグラウンドを思い描くのです。それは生物学においてはよくあることで,そうしないと自分の観察事実が局所的な物になり,発見の理解が広がりません。生物学の悪い部分でもあり特徴的なところは,今例えば人間という生きている事実があるのに,その内部構造はよくわかって居らず,一つの発見にたいしていろいろな解釈がなりたつのです。
例えばコロナウイルスは水で死ぬ。は試験管内の有る局面では正解ですし,それを患者にためしたら意味の無い行為です。
一方数学は我々の分野からすると対極とも言える,誰がどうみても同じ答えが出る学問だと思います。その数式に複数の解釈答えがあるとは私には思えないので。
なので「定義」つまりあなたがそれをそうだと思う基準が一緒じゃないと話が理解できないと言ってみたり,「具体的」という言葉で,あなたが思っているダイレクトな事を表現させようとします。
例えば
運送業の友人が私に「社会がまずい状況だよね」という言葉を発した場合に対して
われわれの分野では
「社会」はおそらくこの人が運送業なので,物流の話を中心に見ているのだなと思い,「まずい」 のは届け物をするときの感染のリスクのことを言っているのだろう。と推測して,それを確認するための幾つかの質問をしたりします。「コロナでの影響ですか?」とか,「届けるときにやはり怖いものですか?」といった事をいって自分の仮説を証明するという学問だからです。
たぶん,数学者は
「社会」の定義は? 「まずい」のが具体的になに?
とその言葉を正確に理解することからはじめるのだと思います。それは相手からはせられたことを理解しないと思考が始まらないという学問上の性質によるものかもしれません。
まあこんな長文もあなたにはまどろっこしいでしょうけど,何かのご参考までに。
お礼
とてもわかり易い説明をありがとうございました.私は工学の人間ですが,工学のほか数学,物理学,生物学それと時々医学など,複数の学問的視点から物事を多角的に捉えて,そこから掘り下げていくため,数学者の方からの発言はびっくりしました.でもうちのうちの学部長が著名な数学者ですが,教授会でけっこう曖昧な表現を使うことが多いです笑