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神社の参り方
私は神社にいっても、どうやって参ればいいのか分からなく、後ずさりしてしまいます。 手を合わすだけでいいんでしょうか? 縄みたいのを揺らすんですか? 色んなのがあるにせよ、1番伝わってやり方を教えて下さい あと、寺に行く場合は墓地を通ってからじゃないと入れないんですか
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神社でのお参りの仕方にこだわりまくり、できるだけ正式にやろうと思ったら、鳥居の前から、あれに気をつけこれに気をつけ、こっちを行く時はこっちの足からで、そうじゃない時はこっちの足で、などとものすごくややこしい作法にのっとるやり方もありますが、神主でもない人がお参りする場合には、基本的なところだけ押さえればいいと思います。 まず鳥居の前で一礼して進みます。鳥居はここからが神社の結界であることを示したものなのです。いわば家の玄関のようなものですので、ご挨拶して入っていくわけです。 神社には拝殿に行くまでの参道がありますが、参道の真ん中は神様が通られるものですので、人間は真ん中を避け、真ん中よりも右か左を歩いて行くのです。そして、拝殿に行く途中に手水舎がありますので、そこで略式で身を清めるのです。 まず右手で柄杓を持ち、水を受けて、柄杓の水で左手を洗い、次に柄杓を左手に持ち換えて右手を洗い、最後に柄杓を右手に持ち換えて、左手に水を取って口をすすぎます。これが基本で、人によっては残りの水でもう一度左手を清めたり、柄杓を立てて残りの水で柄杓を清めた後、元に戻す人もいます。ハンカチを持っていれば、濡れた手を拭いてもいいでしょう。ややこしいと思う場合は、多少間違えても構いません。要は手と口を清めればいいのです。神様は寛大ですので、多少間違っていても笑って許して下さるのです。 神社のお参りの仕方は、二礼二拍手一礼が基本です。賽銭箱に賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二回お辞儀した後に二回パンパンと拍手を打ち、神様に御祈願し、最後に一回お辞儀して終わりです。 帰り道も真ん中は避けて歩いて下さい。最後に鳥居を出て一礼すれば完璧です。お参りの際は、常に神社の神様がいらっしゃることを念頭に置き、神様に失礼の無いように振る舞うのがよろしいと思います。神様に一番通じるのは、自分自身が、その神社に、まさにそこに生ける神様が実際にいらっしゃると思ってお参りすることです。形だけ整えて、「神や仏なんていないんじゃねーの」などと思い、「どーせお参りしても賽銭の無駄だ」と思いながらお参りすると、それなりの伝わり方となると思います。物に例えるならば、神様は太鼓のようなもので、太鼓を己の魂で真剣に大きく叩けば大きな音が返ってきますし、半信半疑で小さく叩けば小さな音が返ってくるのです。叩かなければ、何も音はしないのです。 お寺には墓地を通っていくところもあれば、浅草寺のようにお店の間を通っていくところもあります。お寺によってさまざまですので、墓地が嫌いな場合は、そんなところを通らずにお参りできるお寺を選べばいいでしょう。
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- chiychiy
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こんにちは こちらを読むとよくわかります。 「二拝二拍手一拝」が基本ではありますが 全てではありません。 >※「二拝二拍手一拝」が参拝作法の基本ですが、神社によっては特殊な拝礼作法を行っているところもあります。たとえば、出雲大社は、通常は「二礼四拍手一礼」で、大祭礼では「二礼八拍手一礼」になります。 https://allabout.co.jp/gm/gc/220578/ お寺に行くときは墓地を通ってからでなくても 大丈夫です。
- cactus48
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まず神社と御寺では参拝の方法が異なります。これを知らない人が 多くなっています。 神社では二拝二拍手一拝です。2回頭を下げ2回柏手を打ち1回頭 を下げる事を言います。ただし一部の神社では異なる事があります が、一般的にはこの方法が正式となっています。 鳥居から拝殿までは右または左側を歩くのが正しく、真ん中は神様 の道だから通らないようにと言われています。また鳥居を潜る際は 一旦立ち止まってから一礼するのが正しいとも言われています。 二拝二拍手一拝をした後に垂れ下がっている縄を持って左右に揺ら して鐘を鳴らし、手を合わせて拝みます。 礼拝が終わったら後ずさりをして再び一礼をして立ち去ります。 礼拝が終わって向きを変えて階段を下りると、神様にお尻を向ける 事になり神様に失礼とされていますので、このような事はされない ように注意しましょう。 御寺では神様ではなく仏様ですから、礼拝はしますが柏手は打ちま せん。鐘があれば一礼をした後に縄を使って鳴らし、その後に手を 合わせて祈ります。 御寺によっては墓地を持たれている場合があります。でも御寺にあ る墓地は御寺の本堂の前にはなく、本堂の横か後ろにあります。 御寺の場合は山門を潜れば本堂に突き当たりますので、別に墓地を 通らなくても行く事は出来ます。なんで墓地を通らないと入れない と思うのでしょうか。
- chachaboxx
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既出に追記させていただくとすれば お参りは超ご先祖へご挨拶と考え、訪問した際はチャイムを鳴らす代わりに鈴を鳴らし、ゆっくり深く二礼してご挨拶し、ゆっくり二拍手して注意をこちらに向けていただき、一礼し頭を下げた状態でご自分の住所・誕生日・氏名を心で申し上げ、本日参拝のお礼や願い事などを唱え、最後に一礼して失礼します。 お賽銭は手土産みたいなものなので無いとダメなわけではありませんが、要はどういう気持ちで訪問したかのかということだと思います。 なので、賽銭箱に投げ入れるのがいいのではなく両手で差し入れる(賽銭箱に落とす)のが丁寧でいいと思います。
- marukajiri
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>賽銭って言うのは100パー入れなければいけないのでしょうか? 面白いことを言いますね。賽銭を入れずに、お祈りだけしても一向にかまいません。多くお賽銭を入れたから、絶対大丈夫ということはありませんし、賽銭をケチって入れなかったからバチが当たって、次々と不幸な目にあうことになったなどということもありません。 本当にお金が無ければ、出世払いということで、神様におことわりしても構いませんし、語呂を担いでご縁があるようにと5円入れてもいいし、百倍のご縁で500円でもいいし、ご縁が重なるように555円でもいいですし、本当に真剣に身銭を切って1000円入れてもいいし、もっと真剣な場合には正式参拝して、神社の場合玉串料としてそれなりの金額を払って、神主さんにお祈りしてもらうこともできると思います。賽銭の額は本人の自由なので、お好きになさればいいと思います。1円も出したくなければ、お祈りだけして賽銭を入れなくてもいいのです。 でもよく考えてみて下さい。あなたが神様だったとして、そこにやって来た根性の曲がったドケチの参拝者が、1円も入れることなく自分の都合のいいことだけ神様にお願いして、果たして神であるあなたは、このドケチを積極的に助け願いをかなえようと思いますか?神様であるあなたから見て、願いをかなえるよりも根性を叩き直す必要があると感じて、このドケチの願いとは違う、このドケチにとって本当に人間として必要な事が何なのかをわからせるために動こうと思うのではありませんか?結果、このドケチの願いはかなえられず、別の願い・・・すなわち神様が必要と思ったことが起きることになるかもしれません。 神社のお賽銭というのは、自分の真心を込めて神様に差しだした誠意のあかしのようなものです。お金が無い場合は体施・物施・法施など世の中の役に立つことでお賽銭の代わりとすることもできます。神様が見ているのは、本人の心の内なのです。神様は最終的にその人にとって、必要な事を後押ししてくださるのです。
- eroero4649
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今は、二礼二拍手一礼というのが定番とされていますね。お賽銭を投げ入れたら、2回頭を下げて、2回パンパンと手を叩いてお祈りをして、最後に一礼して去ってゆくという形です。 だけどこのやり方、一般に広まるようになったのは平成に入ってからなんだそうです。確かに、昭和の頃はみんなてんでに勝手にやっていましたね。 柏手(かしわで)は神様に「まいどー、やってまいりましたー」と挨拶する行為ですから、お寺ではやりません。そうはいってもお寺でもそうする人も少なくないですけどね。 お祈りする心が大事なので、手を合わせておけばなんとなくサマになります。どうしても不安なら前の人を見て同じようにすればいいですし、誰もいないなら誰も見てないので好き勝手にやっていいです。
お礼
よく分かりました🙇ありがとうございます🙇
お礼
ありがとうございます🙇賽銭って言うのは100パー入れなければいけないのでしょうか?