- ベストアンサー
人の死の受け入れ方
お正月に祖父母の家に帰省しました。 私はとってもおばあちゃん子ですが、最近おばあちゃんが年をとったなと感じる様になりました。足取りもおぼつかないし足腰が弱ってきているみたいです。 私はおばあちゃんがいなくなった世界が怖くて仕方ありません。どうやって生きていったらいいかもわかりません。よく来たねといってくれるおばあちゃんがいない家を想像するだけでゾッとします。 どうやって人はいつか死ぬという現実と向き合っていけばいいのか教えて欲しいです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
hibiscus0611さんはおばあちゃんっ子なんですね。 死と向き合うって本当に大切な人が病気をしたり、自分自身が大病をした時に向き合えるんだと思います。 私も祖母や父が亡くなる前に生と死を考える事がありましたが、その時がくれば向き合えるものなんですよ。 足腰が弱くなってきたから死ぬわけでもないし、大切な人がなくなっても心なかで生き続けていくので生きている時よりも近くに感じたりする時もあるんです。 だから何も怖がらないでhibiscus0611さんも、おばあちゃんと一緒にいる時間を大切にする事でこれから先いろんな事にき合って行けると思いますよ。
その他の回答 (7)
- hareruuu
- ベストアンサー率37% (158/421)
私は去年に祖母が亡くなりました。 これで私の祖父母はみんな他界しました。 つまり父、母方の祖父母4人とお別れしたことになります。 死の別れは本当に寂しいけど、仕方ないものです。 祖父母は死について教えてくれる最初の人です。 今度は自分の親を見送ることになるでしょう。 親が終わったら今度は自分の番です。 死を乗り越え、大切に生きていきましょう。 あなたの幸せを願ってます。
お礼
hareruuuさんのおじいさま、おばあさまが天国で幸せにお過ごしになっていることをお祈りします。 当たり前ですけど、誰もが大切な人の死を乗り越えて生きて行っているのですね。 回答していただき、ありがとうございました。
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
人、人間、誰しも、生まれ。死ぬ勿論貴方もです、これわ動物、生き物もふくめ、皆向かえるものです、貴方も持つと生きたと思っても運命、その人のじみようにわどうすることもできません、でも、生きている時に色んな事を学び、ふれあいその人の心にのこります、悲しみでわなく、思い出なのです、だから、おばあちゃんも、貴方の思い出を思いながら、亡くなつていくのです、悲しみより、送ってあげると思う事です、だから生きている時は、色んな思いでをつくるよう、楽しみを作ることです、 人はいずれ、死ねば、忘れ去れます、貴方が生きている時は、貴方の心のなかで、思い出としてのこります、人は無、何も無いとこから生まれ、何も無いとこにかえるのです、だから生きているときわ、色んな人と、より良い付き合いを心がけましよう、憎しみ合うのでわなく、貴方もいつかわ死を、向かえるのです、それわ苦しみ、悲しみでわなく、思い出と楽しみを感謝を願っいましよう、
お礼
死ぬからこそ生きている時間により良い付き合いを心がけようという言葉、とっても素敵です。 今のうちにたくさんおばあちゃんといい思い出を作ろうと思います。 ありがとうございました。
両親が亡くなります、とか...また、きょうだいが亡くなると、貴方様はどう感じますか?親しい人が亡くなると寂しいですが、怖くもなりますよね...誰でも死は怖いです。死んだ経験が無いですからね! 人生を考えた時に「生」と「死」をしっかり見詰められる人は良い人生に繋がります。 人の死の受け入れ方は、様々です。視覚から心に留めて悲しみを受け入れます、自然に亡き姿や死を受け入れれます。 悲しみはずっと続きません。 切り替えていかないとね?! 亡き姿は生きてきた表情を見せますから悪いことをしてきた人は必ず苦しんだ死に方になり、良いことをしてきたら、死も苦しまない死に方になります。 幾ら怖くても人は寿命が決まっておりますからね。 日頃から良い行いを心掛けてね。
お礼
死との向き合い方全般についての回答をいただけて新鮮でした。 012341234さんのおっしゃる通り、私自身も死ぬときのことを考えて今後生活して行こうと思います。 ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
もし明日、お祖母ちゃんがお亡くなりになってしまったら、何を後悔しそうですか。もっとありがとうといえばよかったとか、あんなことをすればよかったと思うことでしょう。 それを今のうちにやっておくことですね。ついつい「いつでも会えるからまたやればいいか」と思いがちですが、「今日が最後かもしれない」と思いながら接することですね。 これを「一期一会」といいます。
お礼
一期一会、とっても素敵な言葉ですね。 もっと頻繁におばあちゃんの家に遊びに行って、祖父母孝行しようと思います。 ありがとうございました。
- e1077
- ベストアンサー率22% (114/496)
自分が生きている事前提で考えるから辛いのよ。自分も何時かは死ぬのだから。考えた事はないだろうけど、弱っているおばぁちゃんより先に自分が明日死んでいるかも知れないとなったら?残された人はどうやって受け入れる思います? 死んだらどこに行くのか?答えは個々人の心の中に残るのです。 忘れるわけじゃない。永遠に心には残るのです。 嘆いてばかりでも故人はうかばれないよ。
お礼
確かに命は儚いものですね。 今おばあちゃんも私も生きているという現実を大切にします。 ありがとうございました。
- skp026
- ベストアンサー率45% (1010/2238)
「おばあちゃんが居なくなった世界」を考えるより、「おばあちゃんが、どのように生きたいか、世界とかかわりたいか」を考えたほうが、質問主さんにも、おばあさまにも有効な方法となる気がします。 死に逝く人は「死」を恐れない?-彼らが本当に恐れていること https://www.huffingtonpost.jp/yumiko-sato/life-and-death_b_16194772.html 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
お礼
まだ起きていない未来のことよりも、今の時間をどう大切に過ごすかということですね。 確かにその通りだと思いました。 大変参考になりました。ありがとうございました。
- okwavey3
- ベストアンサー率19% (147/761)
経験じゃないかと思いました。 長く生きていれば、周りの人が亡くなることもあります。
お礼
ありがとうございました。 何事も経験ですね。
お礼
ありがとうございました。 その時が来れば自然と向き合えるという言葉に励まされました。 今はMoon47さんのおっしゃる通り、おばあちゃんとの時間を大切にしようと思います。