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受験戦争

よく受験戦争といいますが、戦争という言葉を使うくらい大変なものでしょうか? 学生は勉強するものであり、その上で様々な活動をするものと思ってました。 さすがに幼稚園とかの”お受験”はどうだろうと思いますが・・・。 私は今大学生ですが、私の感覚では受験のとき(高校を含めて) 戦争というような感覚は無かったように思います。 戦争をするがごとく勉強していた人もいなかったように思います。 この質問には関係ないコトですけど、ゆとり教育だって絶対におかしいと思います。 皆さんはどうお考えでしょうか?

みんなの回答

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.10

僕は、無理に目標(進学、就職)を与える事がいけないと思います。戦争になるかどうかは個人の能力と希望によりますが、大半は大変でもないでしょう。中学生は高校生(学生)になることを目標として与えられます。学校でよかった事は友達ができる事ですが、200人の学年で友達は何人いましたか?同じ学校に友達は何人いましたか?先生と呼べる先生は何人いましたか?僕は大切な友達15人と先生0です。(中学)(ネタになる教師はいますが)今思うと、40人の学校で15人の友達、もしくは、15人の学校で15人の友達は無理だったのかなぁと思います。今の授業時間に対して授業時間半分、授業内容選択、学校拘束時間なし、他学校との交流多数。高校進学率40%、高校を通らず大学に行く人多数。中卒生多数。小学校授業時間半分。小学校改善点、山ほど。  重要な点はアレですよ、学校が休みになると大半の人が喜びます。そして、学校が好きな人は休みでも学校にきます。あと、運動部のあり方がかなりひどい。あんなのは、中国の纏足(てんそく)むりやり小さい靴はかして、骨格を変えてしまうようなやり方です。    愚痴:ぼくはそんな教育を受けて怒ってます。高専を中退しましたが、親はこうです。「どうやって生きていくんだ」僕はこう考えます「社会のあり方も変わる、お金のあり方も変わる、その点は問題ない。今すぐにでもあなたが、僕が見えなくても見守ると言う「態度」をとってくれるならば。」  一世代で思考は大きく「進化」するものです。現在の社会は子どもに干渉しすぎです。ゆとり教育より「開放教育」にするべきだと思います。そうしないと稚拙さが大人になっても残り、そのため我欲的で、自立心のない、決まった社会でしか生きてゆけない、受容力の小さい、社会性の低い社会人を生み出します。はっきり「最近の大人は心が狭い。」あれで、よく教育ゴチャゴチャいいますね、まずみんなで背広着るのはやめなさい、人は外見で仕事をするんじゃありません。そんなものがないと人と向き会えんのですか?礼儀?あなたたちのは体裁であって礼ではありません。心の狭いもの同士だから、ほっとくとそわそわして仕方ないから、あんなものにはめられるんです。あなたたちの忘年会だとか、低俗な習慣を貫く態度というのは、皆で同じ流行を追う若者よりひどいです。なぜならあなたたちのは流れもしてないからだ。何故か考えますか?もっといろんな人と付き合える心をみにつけなさい。今までした事ないことをする努力をしなさい。クーラーがんがんつけるな、若い子をエロイ目で見るな!なにがモラルだ。社会を引っ張っているのはほんの一握りじゃァないか、何故か考えなさい、あなたたちは未熟なのです。あなたが50歳なら20歳のわたしはあなたより100年はなれた思考です。時代も流れているからです。そんな思考じゃぁ50年のrealityも「カラカラに渇いたダニの死骸」程度の役割しか果たしません。喘息ですワ。 生活に困らなかったら今の仕事を続けますか?お金のない生活は考えられますか?インターネット?そんなものは別にどうでもいいです。適応するんが大事なんじゃないんです。認知する事が大切です。わからなぁ~い♪ですまさない。  家族のない生活は考えられますか?子どもが先にいなくなる事だって十二分に考えられます。「家族のため一点張り」にならないように。その事で自分を安定させようとしない事!心配しなくても親でなくなることはありません。あとぎこちなく太って、昼間からカラオケいって、姿見たら生活が一発でわかるような臭気がでてます。はっきり言ってやめてくれって感じです。理想だけ持っててもあかんのです。妄想か知らんけど、、、。ええかげんかんべんしてください。子育てするのにいやいやな顔しないで下さい。家事?もっとよく考えなさい。働きゃいいのと違います。 目細くしてわらって、ほんとに見えてるんですか?

  • mayuclub
  • ベストアンサー率41% (575/1384)
回答No.9

受験戦争… おそらく今はそこまで大変ではないと思いますが、 バブルの頃はかなり大変だったようです。 これもマスコミ等が使う言葉なので あまり気にしなくていいと思います。 受験戦争=大学に入るのに必死な事 というイメージがわくための言葉だと思っています。 よく芸能人の恋愛に「熱愛」 とうい言葉が書かれます。 本当に熱愛かどうかなんてわからないけれど 熱愛というとわかりやすいんですよ。 言葉の定義が変だなぁというのはありますね。 けれどわかりやすいという事で、許してあげましょう。 ちなみにゆとり教育、おかしいですね。 私も反対派です。 食わず嫌いはどうかなぁと思いますし、 食べてみたらおいしいじゃん!!というのもあります。 あとは嫌いな科目、つまり嫌な科目もこなす努力は必要ですね。 いずれ雑学として身に付くわけだから、大切だと思います。

  • uglyel
  • ベストアンサー率18% (8/43)
回答No.8

勉強させたいんだと思います そういっとけば 勉強させるだろうって 親や先生やメディアのいろいろな言葉を聞いてると そう思います ゆとり教育って言うのも その親とかが 騒ぎ過ぎて 親たちが今度はそれを政府のせいにしたから出した 形だけにちょこちょこって何かした 痛み止めみたいな物だと思います でも 親などに受験戦争の思想は根付いていて 政府的にウハウハでしょ でも 子供は情報の反乱に振り惑わされて 学力低下は叫ばれてるけどね

  • mimorita
  • ベストアンサー率44% (151/343)
回答No.7

戦争という感覚もなく、自分の興味の赴くまま、 自分の自主性に委ねながら勉強が出来てきた人は とても幸せだと思いますし、また、いい勉強をしたのだと 思います。 学校で色々な事を知りたい。たくさんの発見をしたい。 そういう期待はきっと誰しもが抱くとは思います。 ですけど、そういう期待に応えてあげることも出来ず、 もしくはそういう方向性の追求を視野から外し、 「エリートと呼ばれる為」の号令のもと、訳なんて 分からずともとにかく他人よりも一歩二歩前に出ないと という勉強のあり方は、私から言わせてもらえば「戦争」以外の 何者でもありません。そういう事も必要な事ではありますけど、 何を求めてそこに向うのかすら見つめさせる事が出来ないのでは、 戦場で善悪の判断もさせずに「ただ殺しときゃいんだ!」というのと 私は大差を感じません。 そこで「ゆとり教育」なんですよね。本当なら・・・。 でも、ゆとり教育という言葉が間違っているのではないと思うんです。 その理解に問題があります。「多すぎ単元を少なく削減する」必要性が どこにあるのでしょうか? 「少なくして生まれた時間」は何に 使えば良いのでしょうか? そこの方針が全く抜け落ちている 気がしてなりません。そのようにお感じになりませんか? 何故円周率は3でなければならないのか。 出来たゆとりで、何故円周率は3.14・・・となるのか、それを みんなで考えていく為に「ゆとり教育」はあるべきだったんです。 私は「おまえらはバカばっかりだからこんな事ぐらいしか覚えられ ねえだろう。」と言い放っている行為に見えて、腹が立ちます。 彼らがどれほど高次元の疑問を抱くのか、どれほど大変なテーマを 知りたがっているのか、現場を知らなすぎるにも程があります。 そういう曖昧な方針の下で、ただ負い抜け追い越せを演じる子供達、 今はこれしか出来ないんだと情熱を押し殺して「言いから覚えろ!」 に徹しつづける先生方、決して本意ではないのに人を蹴落とす人間に 「今だけはなって欲しい」と願ってしまう親御さん方、 こういう環境の中で推し進められる今の受験のあり方は、やはり戦争 と呼べる一面があるようにも思えるんです。 どの様にお感じですか?

  • israfil
  • ベストアンサー率6% (5/79)
回答No.6

 私はあまり両親から勉強しろとは言われないで育ちました。普通に勉強し、普通に受験したので受験戦争なんて感覚はありませんでした。塾には行ったことはありますが、予備校には行ったことがありません。私にとって高校までの勉強は、わからないことがあるとくやしいので勉強していたという感じです。ですので他人との競争という感覚はまったくありませんでした。点数を取るために勉強するわけじゃないのですから。でもそうなってしまった人にとっては戦争だったかもしれません。

  • a1107r
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.5

あなたの考える学校の存在理由とは?他の価値観の人とはどのようなギャップがあると思いますか? 学校の存在理由は二つあると思います。 1:授業・講義などを受け、勉強するところである。 2:同世代が集まるコミュニティーである。 1については以前からおっしゃっていましたが、2に関しても広く認められています。 部活動やサークル活動はどうでしょう。大抵の学校では推奨されています。授業の、言い換えれば受験のための活動でしょうか?大学受験自体には遠足は必要ないです。 >学校を勉強以外の面で”自分の可能性を見つける場所”として考えている人たち というのは2番目の役割に期待しているのでしょう。が、もしかして1番目を軽視する逃げの姿勢にも見えているのかもしれません。でも、そう言いながらもそれなりに単位をとって卒業していく学生は1番目を軽くは見ていないことになりませんか?本当に軽く見ている人間は確実に留年もしくは中退していきます。それが良い結果になるか悪い結果になるかは本人次第かと思っています。 で、僕自身に関しては、いろんな人に迷惑をかけ良いことも悪いこともたくさんあったけど、おおむね有意義な留年生活を楽しんでいる、っていうところです。たまには「こんなんでいいのかな」って考えたりもしますが。 >伝わりにくい文面で申し訳無いです。 気になさらないでください。こういった問題は、議論の中で質問者や回答者の意図がわかればいいだけの話です。

gods-twilight
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 お礼、遅くなってすいません! 学校の存在理由に関しては、難しいですよね。 自分または教師や他人が、こうだ、と思っても絶対的に正しくないと思います。 ただ、ある程度は共通認識があってもいいと思います。 私が考えるに、まず勉強あっての学校だと思います。 その上で課外活動をしたり、同世代が集まるコミュニティーになったりするものだと。 つまり存在理由は、知識的・体力(技術)的な向上を目指す場ではないかと考えました。 社会適応能力や精神的な向上を期待するなら、学校(授業)で教わるものではなくて、それ以外の場所でもいいハズです。 以前(2年以上前)友達と受験戦争や勉強について口論したことがあり、それでここで色んな人の回答をみてみようと思ったわけです。 特に、昔学生であった方々の意見は貴重だと思います。

  • a1107r
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.4

大学在学中です。留年もしっかりたっぷり(?)しています。 受験勉強は、親からやれと怒られながらもほとんどしていませんでした。 学生の本分は勉強すること、とよく聞きますが、それを望んで学生をしている人はどれだけいるでしょうか?すべての人が勉強がしたいから高校に行っていますか?逆に、すべての中学生や高校生に自分の進みたい道を決めさせますか? これは現実的ではありませんね。なんせ、大学を卒業してもなかなか決めれるもんじゃありません。 「お受験」に関しては、マスコミがおかしく取り上げただけなような気がしますが、どうでしょう。地方に住んでいるせいもありますが、実際にしている人は聞いたことがありません。 戦争かどうかなんていうのは、実は当の本人にはまったく関係ないことだったりしませんか?違うと思い他の道に行く人は戦争には巻き込まれなかったと思い、つらいがやらねばならないと思う人は戦争と感じないのでは。「受験戦争」の無意味さは、今の僕らの世代にはすでにわかっているように思います。 でも、留年生には「巻き込まれた」と感じてしまう人は多いかもしれません。実際にどうかは別ですが。(笑) 今一つ質問の中心が見えにくくはありましたが、教育について真面目に考えていらっしゃることはわかります。教育について考えるにはまず、自分自身が他の人の色々な考え方にふれていかないとだめかな、と漠然と感じていますが。 あー、算数で電卓を使うのは、ありゃいけません。算数は数学的考え方を教えるためにあるわけで、電卓なんてのは教えられなくても誰でも使えるように作ってあるもんです。あんなのは時間の無駄です。

gods-twilight
質問者

お礼

回答ありがとうございます! a1107rさんのおっしゃるとうり、すべての人が勉強したいからという理由で 学校に行っているわけないのは経験上わかります。 学校を勉強以外の面で”自分の可能性を見つける場所”として 考えている人たちが沢山いるのもわかります。 ただ、私の考える学校の存在理由と、かなり価値観のギャップが激しい人が いるので、この場で質問してみようと思いました。 伝わりにくい文面で申し訳無いです。 わかっているつもりでも文章にすると指が止まってしまう。。。 もうすこし、色々な人の質問や回答、そしてHPを見てまわって 自分の考えをきちんと伝えられるようになってきます。 ありがとうございました。

  • orimoto
  • ベストアンサー率32% (130/406)
回答No.3

ぼくはもう定年に近づいている中年なんですが、ぼくの中学入学から受験は結構激しかったですよ。とくにぼくは田舎の小学生だったので、何人かが都会の私立に入るために、5年生ぐらいから小学校の良い先生にお願いして、5-6人で夜勉強しました。都会にもまだ塾がなかった頃です。でも”戦争”という雰囲気は大学入学からですね。 ぼくの子供は、中学入学から”戦争”でしたが・・・。 ところで、よく受験戦争が悪者にされますが、アメリカでもハーバード大学を狙う人は、予備校に行ってますよ。ただ違うのは、一つだけ何でも良いから自分の得意なもので受験してもよいことです。たとえばコンピュータとか日本語とか、受験科目になくてもよいことです。 それから欧米では、エリートを育てることを非常に意識してます。ハーバードもそうですが、オックスフォードとかソルボンヌとか。日本もぼくの親父の時代(明治生まれ)には、旧制高校とか帝国大学があって、その卒業生は”エリート”だったそうですよ。それに較べいまの日本はエリートが育たなくなってしまって、それが首相でも平凡になってしまった原因だという人がいます。とくに留学した人はそう感じるようです。 なにが言いたいかといいますと、受験は昔も今も、外国でもあるのに、なぜ日本では本当の傑出した「エリート」が輩出しないかということなんです。特に今は受験”戦争”と言われるほど激しいのに、ますますエリートが輩出しなくなっている。これは最低ですよね。受験を改革することが目的でなくて、本物のエリートが生まれるような教育改革が必要なんじゃないでしょうか。 感想になってしまってすいません。

gods-twilight
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は、受験戦争はおおいに奨励されるべきだと思います。 それにしても小学生からっていうのはすごいですね! 昔の学生と今の学生を比較したら、もしかしたら学力に大変なギャップがあるのかもしれないですね。 エリート、昔にさかのぼればのぼるほど、ものすごい人が沢山いますよね。 哲学者でありながら数学者とか物理学者とか・・・。 私は若輩者でエリートでもないのであまり大きなコトはいえません。 でも、まさに教育改革は必要だと思っています。 ゆとり教育なんて教育機関の方々は一体何を考えているんでしょうか。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。 私の受験戦争?は、まさに戦争と呼べる?ものでした。 クラスメートとはテストの成績での競争相手であり、友人とはけ落とす対象でしかなかったような気がします。落後者も沢山いたし退学する人もいました。 学生は勉強が仕事・・・は私も同感です。しかし、丸暗記が仕事じゃないと思います。私たちの頃から今日に至るまで、勉強=丸暗記みたいな状態なのはとても悲しい事だと思います。かく言う私は、丸暗記が大キライだし出来なかったので、何とかの法則とかも必ず色々思考を重ねて自分で導き出すという勉強法を貫き、授業の早さに付いていけず落後しましたけど。 そういう意味で、今の学生は本来の仕事をさせてもらえてない存在だと思います。ある意味、教育行政を司る大人たちのおもちゃにされてるんじゃないか?って邪推しちゃいますね。

gods-twilight
質問者

お礼

友人は蹴落とす対象・・・・・すごいですね! 少なくとも私の中・高校時代にはそのようなことはなかったように思います。 回答ありがとうございます。 私は、高校以上になると、落後者がバシバシでてくるのが 普通なのではないかと考えてます。 高校以上は本来、勉強したい人がいくべき場所ですから。 退学者は・・・仕方ないことなんでしょうか。 私なら一度入学したら石にかじりついても卒業しようとしますが。。。。。 丸暗記の件は私もそう思います! ただ、丸暗記ではないですけど、暗記しなければならない個所はでてきますよね。 まあ考え方さえわかっていれば、暗記する事項は大抵参考書みることで解決しますからね。(周期律表とか。。)

gods-twilight
質問者

補足

すいません、お礼の場所にお礼を書くのをわすれてました。(^^; 補足の場所になっちゃいますが、すいません。 回答ありがとうざいます。

回答No.1

こんにちわ。 私は中学受験の為に塾通いを小学校4年からしていました。 「受験戦争」という言葉が似合いそうな体制での勉強でしたね。 高校受験や大学受験では個人の尊重のような物がしっかりと存在していますが、中学や小学校の受験では受験する学校を決めてるのは親だったりとあまり受験する人間の感情が尊重されるコトが少ないのでは?と思います。 私は6年生の頃にもう勉強がいやになってしまい、親しい友人の多くがそのまま上がる区立の中学へ結局いきました。しかしその中学がとても楽しかったので別に後悔はありません。でも親としては出来るだけ後々になって選択肢が広がる教育を受けさせたいと思うらしいです。 私は勉強が必要ないなんて思いませんが、学校は社会へ出るための準備だと思ってます。ある意味、学校の中って小さな社会ですし・・・ 質問の意図を履き違えていたらすいません。

gods-twilight
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 勉強は親がさせるものではなく、自分の意思でするものだと思います。 そういう意味で、まだ自我の確立があやふや(?)な小学・中学受験は 無意味なものなのかもしれません。 takataka1102さんの言いたいコトのわかります。 でも一つ言わせてください。 社会へ出るための準備って具体的になんですか? 勉強以外のところにもあるということでしょうか? ちょっとその辺がわかりずらかったです。 理解力が乏しくて申し訳ありません。 ちなみに私の家庭では、勉強については全く強制されませんでした。 というより親に”なんでここはこーなるの?”と攻撃されまくり だったのを覚えています。(^^;