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茶道もお茶の味ともてなす心
茶道はティー・セレモニーと訳されるほどに儀式的、様式的ですね。また、「茶道の心」という物を語ると客がまんぞくをしていただくこと」と聞きました。しかし、茶道を知らぬ客がよばれたとき、彼は茶碗のもちかたから、懐紙やお菓子の食べ方も知りません。複雑な儀礼を一夜づけでまなんだとしても(そもそも茶を飲むのに事前勉強をしなくてはならないことが変) 当日、粗相をしたらどうしようかと不安がいっぱいです。 思うに、このような思いをさせてしまう茶道の儀礼というものは本当に必要なのでしょうか? また、複雑な手順のわりに、お茶の味という基本的なことがあまり問われないような気がします。 茶道がお茶を楽しく飲むこととするならば、お茶の味そのものに注意を向ける必要があるようにおもうのですが、どうなのでしょう。 同じお茶でも、イギリスのアフタヌーン・ティー・パーティは気さくで、楽しく恥ずかしい思いもすることもなくまず、聞かれたのは「お茶がおいしいかどうか。」でした。この差はなんなのでしょうか?
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茶道は「客をもてなす」と捉える根本に誤解があるのではないでしょうか。その定義?は私も聞きますが、そうやって茶道の心を人に伝えるくらいの茶道家となると、亭主となることが多いため、亭主としての定義を仰っているだけなのではないでしょうか。本当はこれには対となる客としての定義もあって、結局は「お互いを思いやる心」になるのだと思います。亭主は客に満足してもらい、客も亭主のその心をくんで亭主を思いやる。亭主と客が一体となって、その一期一会の時を楽しむためのものです。茶道口が狭く頭を下げて入ることもそれの表れではないでしょうか。もし、ただ客が気持ち良くなるだけが目的ならそんなことするはずがありませんから。 例えが変かもしれませんが、男女がデートするときだって男の人がデートコースを全て計画して演出したって、女性 がそれを当たり前と受けとって、受け取るばかりで好き勝手して気遣いや思いやりがなかったら、お互いが楽しいデートなんでできないはずです。ですから茶道でも、客の側も気遣いや勉強が必要になりますし、知らなければ不安になって当たり前です。初めてのお茶会は生まれて初めてデートに行くようなものだと思います。 その勉強ですが、#1の方のおっしゃるとおり、全ての技法が相手を思いやる気持ちの表れです。相手とは、亭主と客であったり、客同士であったり。その場に居合わせたみんなが気持ち良くそのときを過ごすために必要な技法です。稽古をはじめたころはただの形としか見えませんが、1つの礼にしたってちゃんと意味があるのです。その心を知って私は茶道の奥深さを思い知りました!…でハマったんです(^_^;) この茶道で学んだ相手を思いやり、表現する心や技術というのは私の人生に大きな影響を与えています。知ると知らないでは人生違ったと思います。お茶の師は人生の師です。 ここで、実際にお茶の技法にどんな意味があるのか1つ1つご説明すれば御納得いただけるのかもしれませんが、とても語り尽くせません。一部の方からは反論があるかもしれませんが、私はお花は師範の免許をとってすぐに辞めました。他人に教える気はなかいので、技術さえ学んだ以上あとは自分でなんとでもなると思ったからです。一方、茶道も師範の免許を頂いていますが、まだまだまだまだ青いと思ってます。一生稽古を積むつもりでいます。心を学ぶからです。 ちなみに、お茶の味も同様、昔は苦いだけと思っていましたが、ホントにいいお茶にはすごいコクがあって美味しいんですよ~!立て方でも全然違いますよ~!「茶カブキ」といって、利き酒のようにお茶の銘柄をあてる茶会もあります。私は紅茶は詳しくないので、缶紅茶もティーパックも専門店のものもその差がよく分からないのですが、質問者さまがお抹茶の味に差がないように思われるのも、それと同じことではないでしょうか。 子供のころから、稽古が憂鬱でした。でも「心」が見えだしてから本当にハマリました。茶道を「稽古」と思っているうちは憂鬱です。「修行」と気付いた日から楽しくなります。それが茶道だと思う今日この頃です。
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#8です。ごめんなさい。長くなりすぎて大切なことを書き忘れました。 結論は・・・ 招かれた方が、客をもてなそうと心を尽くした亭主の心をくんでそれに応えるように、居合わせた連客も一緒に楽しめるように・・・そうやって振舞えば、必ずしも作法どおりではなくてよいと思います。そしてそれを完璧かつ一番シンプルにやろうとすると、実は作法どおりになるのではないかと思います。 #6さんがおっしゃっているとおり、作法そのものではなくその裏にある心さえお気をつけになれば、作法そのものが異なっていても、それを批判する方はいないと思いますよ。
- nosugar
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先生の家へ入門の挨拶に伺ったときにが初めて抹茶を飲む機会でしたが、「作法は気にせず自由に飲んでください」と仰ってくださいました。自由にとは言っても赤い敷物の上で見るからに高価そうな楽茶碗(本当に高価だったらしい)では緊張せずにはいられませんでしたが。 また私の町では慈善茶会があり、お茶を習っていない大人はもちろん、子供も来ています。もちろん作法は強要されません。 茶道を学びたい人には「儀礼」が必要ですが、そうでない方向けの場もあるのです。(場が少ないのが問題なのですかねえ。) イギリスでも正式の場である社交界パーティーは(もちろん知っているわけではありませんが)儀礼的・様式的であると思いますよ?
お礼
社交パーティは言ったことがないのでわかりませんが、名刺の渡し方からどちらが先にどちらを紹介するかなど、ずいぶんと大変だと聞きます。野点なんか行ってみたいと思います。
こんにちは。 確かに、正式な場では砂糖を注文するのは無理ですよね。 私は、厳かな雰囲気にも意味があると思います。 高級フランス料理のレストランに行ったとします。 ナイフとフォークを使えないお年寄りが、箸えお注文します。レストランは、箸をお年寄りに渡します。 さて、それを観ていた若い人が、 「ナイフは使いにくい。箸をくれ」と言ってきたとします。店としては、前の客に箸を出した手前、出さなければなりません。 そして、周りの人がワラワラと箸をくれ!!と言い出したら? そのレストランに初めて入ってきた客はビックリするのでは?「ここは、しきたりも守らない。けしからん店だ」と。 まぁ、これは大袈裟ですけれど、お茶は味も楽しむし、雰囲気も楽しむものです。 私は、まだお茶を始めたばかりで、お茶会に行った時、緊張して、自分が何をしているのか分からないくらいでした。 そんなとき、お家元様が(そう呼ぶんです) 「緊張して、作法の囚われ、茶や菓子の味が分からないのでは意味がない。」 と、家元に「お」まで付けた上に「様」を付けちゃう理由が分かった気がしました。 懐の深い人なんだなぁ。って感じました。 質問された日から、だいぶ立っていますから、もうお茶会にいらした後かもしれませんが。 どうぞ、楽しんでいらして。
お礼
堅苦しさのなかにある清涼と緊張感は十分感じました。 幸い、招待主も形にこだわらない方でこちらの気持ちを和らげようとしていただくのが良く感じました。 楽しかったです。
- ogura-an
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アフタヌーン・ティーと茶道とは比べられないと思います。茶道が海外でも芸術性、精神性の高い日本独特の文化として認知され、東洋の神秘みたいに紹介されることが多いのも、欧米のティーパーティーとは全く違うものだと外国の方も感じているからでしょう。私も最初はあまりにもきまり事が多くついていけないと思ったこともあります。ただ、室町時代から近現代にいたるまで多くの一流の政財界人、芸術家、外国人らが茶道にのめり込んできました。茶道が単に堅苦しいだけの作法やおもてなしのためだけのものであれば、現代にはとっくに滅びているのではないでしょうか。人々を魅了する奥深さがあると思います。一方、現在の茶道のあり方にいろいろな意見があることも確かです。自分の習ったやり方意外一切蛇道と思っているような人や、お道具や着物の方に興味がある人もいます。お流儀やお免状などから離れ、純粋に茶の道に精進しよう、というグループもあります。茶会に招かれたけれども作法を知らないドキドキ!というのは、例えばフランス料理のマナーを知らない人が初めて高級レストランに招待されたり、ダンスを踊れない人がダンスパーティーに招待されたりするのと同じ状況と考えればいいのでは?何も知りませんので皆さんの真似をさせていただきます。教えて下さい。と最初に言ってしまえば恥ずかしいことはありません。なお、抹茶の味ですが確かに苦くて飲めないという人は日本人でもいますね。例えばコーヒー好きが愛するエスプレッソも慣れない人には苦すぎて、コーヒー牛乳の方がが美味しいです。10万円以上するフランス産の赤ワインも私には渋すぎ、テーブルワインの方が飲み易いです。でも「このワイン渋いのでオレンジジュースで割ってください」とは言いにくいのと同じではないでしょうか。
お礼
お茶の味の好みと茶会での楽しみはまた別物と言うことですね。人の真似で何とかできました。どきどきでした。
- ikeda55a
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>抹茶はやはり苦く、正式な場で砂糖やミルクをお願いできるとはできるとは思いません。 抹茶は「苦さ」を味わうものです。ビールに砂糖を入れたり、塩辛を水で薄めたり、それぞれお好みもございましょうが、無添加自然の「この味」を楽しんでいただきたいというのが、それを提供する側の思いでしょうか。 この味で、「客をもてなすという気持ち」を表現しています。お茶がお嫌いならしょうがないと言えましょう。 >何か型どおり書かれた台本に沿って客がそれを演じるような変な気持ちを感じます。 確かに「台本」かもしれませんね。しかし、お客がたとえ「台本」どおりに来なくても、熟練のご亭主は臨機応変にあらゆる対応が出来ますでしょう。 それが「お茶」というものかと思っておるところです。
お礼
お礼が遅れて申し訳ありませんでした。 やっぱり苦いです。
- cha-chako
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回答ではありません。 私の茶道に対するスタンスの一例です。 ----------------------------- 「お気楽茶道なもので・・・」 チョット時間があれば、別にあらためて茶道を・・・なんて、 構えなくたって、お茶は楽しめる。 先日も桜を見に行くのに、お道具は、お抹茶、茶碗、茶筅、 お菓子(これだけは必須(笑、懐紙、ポットにお湯、 茶杓はコーヒーのスプーンで・・ ござ、お盆(トレー)を準備して、即席の野点とシャレこんだ。 お隣で見ていた、おじさんや、おばさん、お姉さんも、ちびっこまで、 「宜しかったら・・・・・」と、巻き込んでしまった。 おかげで、おやつを差し入れて頂いたり、チョットお茶会気分? これって我が家では「楽点前」って呼んでいる。(笑) 普段でも、お菓子があれば、おこたの上で一服。 茶室で点てるも茶道だが、これも茶道? ”喫茶去”の意味するところって、こんな感じかな? ------------------------- もう少し、肩の力を抜いて、 お茶を楽しんでいただきたいと思いますが・・・。
お礼
まさに、そのようなお茶は大好きです。 が、正式ななればなるほど敷居が高くなる。 粗相をしないために人のまねをして飲む必要を感じることじたいが、おかしく思います。 他に呼ばれた客人に不快な印象を与えてはいけない。というのは客人としてのマナーでしょう。主人よりもそちらのほうが厳しいのではないでしょうか。 少なくとも「苦いからミルクを」とお願いできる雰囲気ではありません。
- ikeda55a
- ベストアンサー率48% (55/113)
No.1の方の回答でかなり答えられていると思いますが、わたしなりに付け加えてみます。 私は少し千家流のお茶のお稽古をしているところの者です。 「お茶の味」はやはり大切で、亭主が最も気を遣うべきところであるのはいうまでもありません。 ただ、一般的な「お茶会」は「薄茶」といって本来の「茶事」のごく一部分に過ぎません。お芝居で例えるなら「一幕一場」、音楽の「一楽章」にすぎません。 本来のお茶の「お濃茶」を味わい尽くして、後の気楽な雰囲気のお茶がこのお薄です。ですから、やはり味そのものより、気楽な「ブレイクタイム」的なものであります。 茶道に「不安」を持っておられるのは、茶道家の責任とも申せましょうが、社会の偏見のようなものもあると感じています。 英国の午後のお茶同様、日本のお薄を楽しんでいただきたく思います。逆に英国人は日本の茶会にも、気楽に来てくれるのではないでしょうか。そう信じます。 あなたが気楽になれないのは、予備知識(変な?)がおありになるからではないでしょうか。執着を捨てて、お茶会においで下さい。 そこで興味をお持ちになれば、幸いである。茶会を主催するご亭主はみんなそんな気持ちですよ。
お礼
いわゆる、正当なところでの正式なものと内内で招待するものとはまったく違いますよね。抹茶はやはり苦く、正式な場で砂糖やミルクをお願いできるとはできるとは思いません。が、私の友が「ちょっと飲む?」で招待するときは、一緒に砂糖、ミルクがでてきます。 私としては断然後者が好ましいし、客をもてなすという気持ちを感じますが、正式の場合は何か型どおり書かれた台本に沿って客がそれを演じるような変な気持ちを感じます。 この違和感は何でしょうか?
- mm46
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こんにちは^^ 茶道を少しですが昔たしなんでいました。 茶道の心・・そうお客様に満足していただくこと。そして、教えに「一期一会」という言葉があります。 確かに、作法や手法に儀礼的な部分はかなりありますが、質問者の方がどういった方からお茶会に誘われたのか・・。お茶会を主催し、招く方を「亭主」といいますが、本当に茶道の心を心得ている方なら、同席するお客様もそうですが、粗相をしたからといって、叱責することはないはずです。 亭主がお客様にお茶を差し上げるときはお客様に器の正面をみせて差し上げるのは、お客様にキレイな部分を見て頂きたいから!お客様が器を手に取り、その一服に礼をするのは「お茶をたてていただいてありがとう。頂きます」と感謝の気持ち。器を回して頂くのは周りの方から正面が見えるように(器をみんなで楽しむため)だったり、正面を汚さないようにする心配りだと思います。 茶道の手法をじっと見てみてください。手は右・左・右・・・と、無駄のないような動きになってます^^ 茶碗を洗ったり、拭いたり、茶杓を拭いたりと、これもすべておいしい一服を差し上げるための手法です。 お茶の味そのものに注意を向けるために必要なことでもあるのです。 確かにアフタヌーン・ティー・パーティは気さくですが、茶道にはこの手法があるからこそ、奥深いものになると思ってます。 いずれにしても、質問者の方はあまり気にせず、回りの方がやっているのを見よう見真似でもかまいません^^(と、私は思います)気を張り過ぎなくてもいいんじゃないのかな! 私が教えて頂いていた先生は、慣れない生徒さんが茶菓子を早く食べてしまった時に、「そういう時は「あまりにも美味しそうなので、食べちゃいました^^」とおっしゃればいいのよ^^」と、言っていました。 正座も辛ければ、崩してもいいんですよ! 手法が違っても、亭主が客人をもてなす心に違いはありませんから^^作法がなってないと叱責するような亭主であれば、心得がたりないんでしょうから、「茶道の心も知らずにえらそうにやってんのね^^A」と、心の中で笑ってればいいんですよ~^^
お礼
なるほどそうですね。しかし、庭先に打ち水がしていれば用意ができているとか、釜や掛け軸の讃え方とかこれは素人にはまったくわからない約束事の世界です。粗相をしてしかられることはないと思いますが、 「粗相をしてはいけない」という脅迫感をもってしまう雰囲気というのはあると感じます。
お礼
なるほど、初めてのデートの例え、良くわかります。 客もまた主人を思いやることは言われてみれば確かにそうですね。