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利休の点てたお茶はまずい?お菓子とお茶
茶道を習っておらず、独学で茶の湯を追及する素人です。 自分で点てた、お茶を飲んでわかったことは、今のような、暑い日はぬるめのお茶を点てますが、茶の湯で食べる、冷たい葛餅や水羊羹を食べたら、いつもと同じ温度で点てたお茶は熱く感じ、常温の鮎の形をしたお菓子を食べると、ぬるい。 また、現代人の嗜好として、お菓子は、甘さは薄味になり、老舗のお菓子屋も薄い甘さで作っているとのこと。昔の人は、とにかく甘党だったそうで、お菓子の甘さが変化しています。 ということは、当然、今と昔では、お菓子の食べた後の、舌による抹茶の味も変化しているはずです。 利休が生きた、安土桃山時代のお菓子とはどのようなものだったのでしょう。 織田信長や豊臣秀吉のような、天下人なら、南蛮から来た、カステラを食べれたかもしれませんが、一般庶民は手に入らなかったことと思われます。 以上から考察するに、千利休のお茶とは、お菓子によって茶筋を変えたかもしれませんが、薄い甘さのお菓子を好む現代人にとっては、もしかしたら非常にまずく感じるお茶かもしれません。 現在において、大勢が集まる大規模な茶会を催すとき、主人は、客人により、抹茶の味や、抹茶の温度を変えるのでしょうか? マニュアルどおりにお茶を点てても、いろいろな要素がからみ、まずく感じることがあり、また、そこに茶道の奥深さを感じております。 茶道をされている方で、一期一会の客人をもてなすため、このような、配慮をされている方の回答をお待ちしております。 茶道も温故知新と思っております。 私は、更なる独学の修行に励まないと、一期一会の、お客様のために、お茶が点てられるとは、到底思えません。 ご教授いただければ幸いです。
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- tea-toki
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長々書いてありますが、ご質問は、現在において、大勢が集まる大規模な茶会を催すとき、主人は、客人により、抹茶の味や、抹茶の温度を変えるのでしょうか?ということですね? その日の気候等によって変えることはあるでしょうね。 そして、何人集まろうとも、お席はお正客のもので、それ以外はお付という考えですから、お正客のお好みに合わせるという配慮があろうかと思います。 ただ、大規模なきゃかいですと、お好みがわからない人もお正客になることがありますから、100%対応できるものでもありませんが。 横になりますが、利休の時代、お茶は薬ともいわれ、一般庶民の飲むものではなかったのではないでしょうか? ですので、お菓子も、砂糖がふんだんに使われたお菓子を食べれる人がお茶をしているのだと思います。利休にしても堺の豪商ですからね。 果物も水菓子として使われました。果物は昔のものより、今のもののほうが甘いです。 あとは、野菜や果物を干して砂糖をまぶしたものなどもありますね。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
昔のお菓子は基本的に今と違った物に成ります。 信長が食べたであろう金平糖。京都で再現して販売されています。今みたいな大きな突起はなく、ちょっとでこぼこした物です。 砂糖は貴重な物で果物などの甘みを使う事も多いです。カステラも今の形ではなくもっと固い物だったようです。 駄菓子。それも昔から有る駄菓子とか調べると良いかな。 砂糖も今はサトウキビからだけど、他にも甘みを持った植物を使ったりしていたようですね。 伝統的な和菓子を調べると良いかな。京都だと八つ橋とかも古いね。 水ようかんも今は夏の食べ物ですが、本当は冬の食べ物。冷蔵庫が無いからね。 和三盆糖とか。
お礼
kyo-moguさん 暑中見舞い申し上げます。 現在、一時帰宅し、お礼を書いております。ご回答ありがとうございました。 和三盆糖なるものの存在を初めて知りました。一度購入し試してみます。 私の40代の世代は、まだ駄菓子屋なるものがあり、例えばいろいろな味の「うまい棒」が10円で駄菓子屋に売っていて、良く食べたものです。しかし、現在は駄菓子屋など見かけず、スーパーに沢山入った「うまい棒」を見かけることがありますが、駄菓子屋の1本、10円でないと買う気がしません。 甘みを持った植物ですが、私が子供のころは、桑の木があり、甘い桑の実を食べたものです。その桑の木にしか、ハラビロカマキリは存在せず、私達、子供の頃の友人仲間では、秘密の木であり、昆虫採集に明け暮れましたが、現在は高速道路が出来ることにより、伐採され、カブトムシもクワガタも見かけません。 すでに昭和40年代に川端康成は東山魁夷に、このままでは「日本の美」」は失われると警告し、東山魁夷は「京洛四季」を描きましたが、その後、日本はバブルの開発を経て、今頃になって、環境問題と言い始めるとは、kyo-moguさんはいがが思われますか? 私は、自分が点てた抹茶の緑色に、子供の頃の自然豊かな、山の緑を思い浮かべ、また、昆虫採集した子供の頃の好奇心を失わないようにと、抹茶の入った、茶わんの見込みを眺めております。 私の好奇心を満足させる、ご回答をありがとうございました。 他の方のご意見も聞きたいので、もう少し開けておきます。
お礼
tea-tokiさん 残暑見舞い申し上げます。 茶道において、正客の好みに合わせるとは、初めて知りました。 そんな茶道素人の私ですが、現在、使用する茶碗の色により、使用する抹茶の種類を使い分けている、凝りようです。しかし、色の明度をあげようとすると、味が落ちてしまうのが難点。 暑い、今は、茶櫛4杯の抹茶をなみなみとした、ぬるめのお湯で、茶の湯を楽しむので、抹茶がすぐになくなってしまいます。茶道は、やはり、お金がかかります(笑)。 しかし、お茶は薬とありますが、日本において本格的にお茶を広めた、鎌倉時代の臨済宗の禅僧、栄西の「喫茶養生記(1211年)」によると、 五臓(肝臓・肺臓・心臓・脾臓・腎臓)の中で心臓が王者である。日本も中国の宋国も、料理の味は同じであるが、いずれも苦味が足りない。しかしながら宋国では茶を飲むが、日本では茶を飲まない。宋の人は心臓を病むことがなく、寿命も長い、それに対し日本人は、心臓を病み、長患いして、やせ衰えることが多い。これは茶を飲まないことに起因するのである。心臓が快調であれば、たとえ他の臓器が不調であっても、さほど害にならないのである。 とあります。 現在において、科学的に、お茶に含まれるポリフェノールの一種である「カテキン」はコレステロールを下げて、血液をさらさらにして、高血圧にも効果があることが報告されてますが、今から800年も昔にお茶の効用がよくわかったものと、うならされます。 お菓子の話ですが、秀吉が北野大茶会を催した時、「真盛豆」なるものを庶民にふるまったそうですが、このお菓子に合わせるには、どのような、茶筋が合うのか?現在販売されているものと味(甘み)は違うかもしれません。 また、当時はお茶は栄西が持ち帰った、茶の種を禅寺で細々と栽培されていたと思いますが、北野大茶会で使用された量の抹茶はどのように調達したのでしょう?日本産ではまかなえず、中国から、お茶の葉を輸入したのかもしれません。 徳川美術館が所蔵する「銘 松花」という茶壷の名器がありますが、封が切られていません。もしかしたら、中国から輸入した、お茶の葉と共に、千利休宛の手紙が入っているかもしれません。 千利休は、茶会のたびに、自分で石臼でお茶の葉を挽いて、お客をもてなしたのかもしれません。 茶道は想像力が膨らむロマンにあふれていてやめられません。 tea-tokiさんのお手前を「待庵」にて、味わいたいものです(笑)。 とにかく、今年の夏は暑く、抹茶をがぶ飲みしているため、抹茶代が、ばかになりませんが、もうしばらく猛暑も続きそうですから、ご自愛ください。