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気概のある人が潰される社会になったのはなぜ?
お世話になります。 今の日本社会には、気概のある人が目立ったリーダーシップを取る姿がありません。 昔(戦後、高度経済成長時代)の政治家や起業家、大企業の社長クラスの人たちは、自分たちの役割を理解し、リーダーシップを発揮していたように思います。でも、彼らがリーダーシップを発揮できたのは、その人たちを支持する人たちがいたからに他ならないと思うのです。 それより以前の時代においても、ある一定の人物たちが、若いときから高い志でガツガツ周りを引っ張っていく、また、それを支持する人たちがいた空気はあったのではないかと思います(それぞれの時代背景があったので、現代を基準にした善し悪しの議論はここではご遠慮ください)。それぞれ方向性の違いや、微妙な考えの不一致などは当然あり、対立も闘争もしたとは思いますが、「公のために」「より多くの人が恩恵を受けられるように」ということを目指し、日夜議論を重ね、世の中を変えるエネルギーに満ち溢れ、尽力していたのではないかと思います。 でも、現代の日本では、そういった「みんなのために」という気概のある人は、「出る杭は打たれる」という言葉の元に、再起不能になるまでとことん打たれ尽くしてしまったり、その二の舞を踏みたくないからと、だまって使われ、搾取されるようになったりしているように感じます。昨今の顕著な事例としては、令和新撰組が勝ち取った議席が快挙だとは思いますが、それでも依然として日本のこの必要以上に他者を叩いて、意欲のある人間をも潰していく風潮はあまりに酷いのではないかと感じます。 みなさんは、「みんなで同じ目標に向かって頑張って行こう!」とより多くの人が思えるような、そんなリーダーが本領を発揮できるようになるためには、今の社会に何が必要だと思いますか? 気概のある人が、どうすれば潰されない社会になるでしょうか。 ご意見をいただければと思います。
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- happyhappyjjjj
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日本においては低欲求社会が長く続いたことが原因かと思います 他国に責められることもなかったし、大きな経済成長もなく、 多少の問題はあるにせよ、のほほーんと暮らせる社会が30年ほど続いたので 強烈な個性を持ったリーダーもいらなくなったのでしょう 皆でのんびりしているところで、一人鋭気を吐き頑張る人がいれば、 まぁまぁそんなに頑張るなよ、落ち着け、ということではないでしょうか 尖がった個性を含め、多様性を認めてないんですよ でも、別にリーダーシップが不足していてもいいじゃないですか 国民がある程度思考停止でいてくれたほうがコントロールしやすいですからね 残念ながら日本はいまだに米国の占領下にあるのですからね
- ノーバン(@nobound)
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個人的に思うのは、ずっと同調圧力の時代だったということ。同調と協調の違いを最近感じたんですが、同じような言動をとることで仲良くする同調と、考え方、価値観の違いがあっても仲良くできる協調。 今や同調から協調の時代なんですが、「表現の不自由展」のように、お互いの話し合いもなく、有無も言わさずやめさせようとしたり、排除論理が働いたり。 ずっと同調からくる排除論理のことを考えていますが、少し同調から協調の変化も起きている兆しは感じます。 同調→自己中→協調ではないかとも。 みんな最初は自己中でいいんじゃないでしょうか?
- zakogun
- ベストアンサー率56% (69/123)
少し追記致します。 質問者様はしっかりと周りが見えておられるのですね。 松下幸之助といった方々が戦後努力をされた、財閥を作り上げた方々に続いて誰も変化を望まず、今の大きな財閥を維持するので手一杯だったことが起因すると思います。 当時の方々には天才がいた、半導体等新しい分野をどんどん開拓されたからこその大企業なわけですが、新しい分野が少なくなってからの勝負に勝つ術がなかった。すなわちこれが変化に強いかどうかなのだと私は考えています。 戦後あれだけの方々が礎を築いた日本ではありますが、それを維持するのではなく時代の流れに乗ってより良く変わり続けていくことを切望します。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
昔から、日本はこんなもんだよ。 出る杭は打たれる。 こんな、ことわざが生まれるくらい、当たり前のことなのです。 しかし、逆に「出過ぎる杭は打たれない」と言った人もいます。 頑張って、出過ぎる杭になりましょう。
- zakogun
- ベストアンサー率56% (69/123)
今時そこまでお考えの方も珍しく貴重な方だと思います。 私個人の考えではありますが、日本人全体が「変化に弱い」という事実に気付いていないからだと思います。 目まぐるしく変化する世の中に対応しないのが問題なのだと。 例えば、質問者様が仰います暴力やパワハラの問題。 昔は確かにそれでよかったんです。ただし、あれやこれやと世論が暴力やパワハラに物申す以上は対応できなくてはいけない。 これも変化です。 「最近の若いやつは」「俺が若い頃はこうしてた」 そんなことを言っても果たして世の中が納得しますか? 私はサラリーマン時代、17の会社を転々とし独立しました。 どこの企業も上司の考え方や会社のルールを変えないというのが問題だと思います。 今やそれでは通用しないようになってきているのです。 今のマーケットの流れは現場でお客様の声を聞いている人間にしかわかり得ないことです。 そのお客様の声をいかに拾い上げるか、また拾い上げようと努力したい環境を作れるか、これが出来ないと生き残りようもないのですがなかなかそれが出来ている企業は少数だと思います。 例えば、今の通信の主力はスマホになりました。 今の世の中でポケットベルを商材に起業する方はいらっしゃらないと思います。時代の流れだからですね。 今時の若い世代にやれ根性だやる気だと言ったところで無気力になるだけです。 昔はそれに対して「このやろう!」と頑張る人が少しいれば良かったのですが、今はそれでは若い世代が無気力になります。 選挙にも行かず、買い物もせず、欲しい物もなく子供や結婚ですらはなから諦めている人も多々いらっしゃいます。 もう1つ言うと、高度経済成長の時など簡単に金儲けが出来た時代です。 大手と言われる企業ですら崩壊していくのは、やはり変化に弱いからだと私は思います。 一部の天才を除けば、ほとんどの人間は変わっていき続けないと生き抜けない時代になったのだと気付いていない。例えば、スティーブ・ジョブズはまだ折り畳み携帯が主力だった頃から「次はスマートフォンの時代だ」と社運をかけて世界の流れを生み出しました。これは天才だからこそなし得た技だということです。 そのセンスがないなら、そういった大きな流れを見つけて自分がそこに合わせるしかない。 今の日本人にはその力が足りないと感じます。 国という大きなグループになっても同じことだと。 憲法改正も出来ず、外交に関してもようやく他国と同じような対応が出来始めたぐらいです。 戦後の敗戦した直後、発言力がなかった時代からそう大して変化していない。 戦後、先人の方がアメリカ相手であろうが対等に話が出来るようにと努力された結果が今の経済大国日本なのだと思います。 悪いことすら悪いと言えなかった時代は終わったのにそれをできない。 それは男気や気概というよりも、広い視野を持って情勢を見据える力だと私は思います。
- jack-a3
- ベストアンサー率40% (361/901)
昔の日本はいまと比べて「必要以上に他者を叩いて、意欲のある人間をも潰していく」社会ではなかったと思ってますか?それホントですか? 坂本龍馬、伊藤博文、犬養毅などは知ってます?彼らはどうして死んだか知ってますか? 堀江貴文さんは証取法違反で逮捕され実刑判決を受けてますがその後もいろいろ活躍されてます。青色LEDを開発した中村修二さんや企業に勤めながらノーベル賞を受賞した田中耕一さん、IPS細胞の山中伸弥さんは現代人ではないということですか? そのほか、NHKの「プロフェッショナル」という番組では今の日本で活躍する多くのリーダーが紹介されてますが知ってます? 周囲が悪いのではなく、周囲の雑音や妨害に屈してしまう人が多くなっただけでは? いつの時代でも、もっと言うとどこの国でも「気概のある目立ったリーダーシップ」を持つ人はそれなりにいるのですが、そのうちの大部分の人は道半ばで失脚したり周りに潰されたりしてます。ですから「出る杭は打たれる」という格言があるのです。 いつの時代もそういうモンなのです。その中で周囲をうまく味方につける交渉術に優れていたり、理想と現実のギャップにうまく折り合いをつけることができたり、あるいはそういうものを吹き飛ばすだけの圧倒的なカリスマ性を持つことができた人が何かを成し遂げることができた、ということではないでしょうか。 ですので、「出る杭を叩く世の中や風潮が悪い」と嘆くよりも、「そんな周囲の雑音に負けないような交渉術、調整力、カリスマ性を持つにはどうしたらいいか?」という方向で研究した方がよっぽど有意義だと思うのですが、いかがでしょう?
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は別に、坂本龍馬のような人物が気概のある人物だとは一言も述べてはいません。 私が考えていた気概のある人物とは、福沢諭吉や松下幸之助といった人物たちですし、田中教授や山中教授が気概のある人物でないとは全く申していません。誤解のないようお願いします。 また、「プロフェッショナル」や「ガイアの夜明け」「がっちりマンデー」などで紹介されている方たちにも気概があると思っていますよ? 私が述べているのは、政治家や、大企業の社会など、世の中を大きく回す立場に立っている人たちの気概がなくなった原因は、それを支持する人たちの意識の問題ではないのか、ということです。 気概があり、かつ交渉術や現実的な段階的施策ができる人間が叩かれず、リーダーシップを握っていける、というのは、普通の考えです。というか、そうあるべきではないですか? でも、今の日本の目立つ立場の人たちは、交渉術しかなく、気概も、段階的に物事を実行していく視野もない。 それは、そういった状況を許している支持者層の問題ではないですか? 私はそう感じるのですが…。少なくとも、「支持されるべき人は他にいる」と私は思います。 また、この質問は、全体に蔓延っている風潮に対する批判ではありますが、別に私個人のことを主張している質問ではないので、何か誤解が大きいような気がしていますので、その点はご理解ください。 ありがとうございました。
いまの企業に必要なのはパワハラです。 私の視界の範囲でいま人を育てることができるのはゼネコンやプラント工事の現場事務所などパワハラが根付いた現場だけです。なぜ彼らにパワハラが必要かと言うと、彼らは設計もせず仕様書も書かず電気工事もコンクリ打設も溶接もパネル張りもせず、ただ工程表を持って怒鳴るだけが仕事だからです。簡単だと思うならやってごらんなさい。人を動かすのは最も難しい。しかし才能次第で100人を動かすことができます。怒鳴るだけの仕事だからこそ、彼らの仕事ぶりが最高でなければ入札から完工までを生き残れない。 エンジ会社やメーカーに行くと途端にパワハラが無くなります。なぜなら彼らは偶然手に入った技術や商品に食わせてもらっているからです。売り物の一時的な有利さがあるので仕事が最高でなくても食えるのです。しかしこんなのは一次の偶然にすぎない。 メーカーでヒット商品を持って儲けているうちは、なんか努力と英知によってヒット商品を生み出したみたいな呑気なことを演説していますが、実はみな偶然の産物です。ウソだと思うならSONYやトヨタの商品情報から売れていそうな商品を数えてごらんなさい。ヒットがヒットでなくなった時、人並みの働きでは食えないと言う正常な姿に戻ります。 偶然の幸運が無いならば、仕事が最高でなければ生き残れないという現在の姿には理由があります。今は30年前と違う価格ドットコム的競争の世界です。30年前は、出張と言えば同僚に現地のホテルを聞いて同じところに泊まった。そのホテルがどんなボロぼったくりホテルか知らなかったのです。いまは楽天トラベルで、自分の目的に最高に合ったホテルしか泊まらない。朝食がどう、ベッドがどう、フロントの女がどう、すべて予約前に調査済みです。スナックも同じ。今はすべての商品・サービスの中から自分にとって最高のものを簡単に選んで、最高しか買わない。2位は生き残る資格がありません。それでも複数の商品が生き残る理由は人や状況によって最高の尺度が違うからです。2位でも生き残れるからではない。 ハラスメントを無くそう、というのは一見素晴らしいような気がする。今は部下が上司の能力を批判することさえハラスメントだそうです。では企業間のハラスメントは無くせるんですかね。ぼろい商品を馬鹿な能率で作る企業がつぶれないように、競合他社は手心を加えてくれますか。外国との競争は? 高い生活費が必要な日本人労働者に対するハラスメントにならないように、発展途上国は安い製品を輸出しないように手心を加えてくれるのか。パワハラは違法でも会社が無くなるのは合法です。こんな正しさを誰が欲しがるんですかね。 企業間や国家間が相手を抹殺することを目標に経済戦争を戦っているのに、企業内だけが互いにお客様のようにいたわりあって安楽に暮らしています。これで生き残れると言う計算式が私には分からない。 いまメーカーやエンジ会社に行くと、何をしなくても叱られませんよ。上司は本人が居ない所で、あのひとダメだねぇと笑ってるだけです。一方で、仕事ぶりが最高かどうか常に監視され棒で叩かれる職場も、一部にはある。どちらが将来安楽に暮らす道か、労働者も真剣に考えて選ぶことです。これなら俺にも出来そうだという仕事は、5年後にはもっと若くて可愛くて安い労働者に取られてしまう。 つまり私の主張は、正しいパワハラを育てなさいと言う炎上間違いなしの旧時代的思想です。私に今の仕事を仕込んだ人は京葉工業地帯の製油所に入った工事会社の現場事務所で半ヤクザと言われた所長で、自分の目で見てないのかよ、ちゃんと面倒見てんのかよ、風邪を人に感染すんなら帰れ、とさんざん怒鳴られましたが、私が今どこに行っても食えるのはあの人のおかげだと感謝しています。 部下が互いに協力し合うよう監視して、出来る者を顕彰して出来ない者を排除するリーダーなしに、世界の製造業と戦って生き残れますか? 公平で業務に精通して恐れられるリーダーのパワハラなしに、長期間生き残る組織が存在するとは私は信じません。 写真はいまトランプの攻撃を受けているファーウェイの創業者任正非が社内に掲示している写真だそうです。『累々と傷痕が無いならどうして皮が堅く肉が厚くなれるだろう。英雄は古来傷だらけ。(第二次大戦中障子のようになるまで撃たれた渾身弾痕累々のイリューシンIl-2攻撃機は、依然として飛行を堅持し、ついに安全に帰還した)』 社員にこんな精神を要求するなんてパワハラじゃないんですか。残業を減らして給料を増やすのが経営者じゃないんですか。ファーウェイは数年前までは安い携帯を作る新興企業だと思っていましたが、トランプの攻撃目標になるほどの通信技術の巨人になりました。任正非は一人でスーツケースを持って出張に出かける変わった人だそうです。
お礼
ありがとうございます。 一部共感します。 「正しいパワハラ」という表現にはちょっと笑ってしまいましたが、根性を育てるための社員教育は絶対必要だと思います。 支援したり援助したりしなけらばならないのは、生まれつきや、事故などで障害を負った一部の人たちだけであって、 健康で元気な健常者にさえ「無理しない範囲で、気楽にやればいいよ」で、育つわけないですよね。配慮が必要な人への支援と、健常の自分のサボりの違いすら理解できないのかと思うことは多々あります。 そういった風潮が気概を生まなくしている。「っしゃあ‼やるぞ‼」っていうエネルギーを生み出さなくなった。 自分以外の人たちのために、自分の能力を発揮するのは美徳です。 それなのに、今はみんな、自分のために人の労力を利用することしか考えないですよね。 やはりそんな世相では、気概のある人がリーダーになんかなれないですかね。 回答者さんが、述べているパワハラは、現代の日本でこそ一般的にはパワハラとされてしまうものなのかもしれませんが、そこにいる人たちが、「これは自分たちに必要なことだ」と心から思っていて、その気持ちを共有し、孤独でないのなら、パワハラではないと思いますよ。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (7026/20695)
労働で人々を疲弊させる政策ばかりやっている安倍をつぶせばいいでしょう。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1512/3682)
ご指摘の点はよくわかります。大つかみで言うと次の3点が主な理由であると思います。 1.時代の違い 日本で気概のある人が目立ったリーダーシップを発揮し得たのは、社会が大きく変化して、それまでのやり方ではうまく対応できなくなった時代(例えば戦国時代・幕末から明治維新にかけて・敗戦後の復興期)だけです。そのほかの比較的安定していた時期には、その時代のルールを破らない「有能な官僚」が重用されています。 2.価値観の違い 「みんなで同じ目標に向かって頑張って行こう!」という考え方自体、社会で万人が認めるものではなくなっています。目標に関して「総論賛成・各論反対」という事例が多々あります。企業では「できるだけ多くの利益を上げる」ということでは一致できても、そのための方策では意見が分かれてまとまらないことが多くなっています。これに日本企業の弱点としてしばしば指摘される「判断の遅さ」が加わると、「危機的な状況に対して決断が遅れ、決断したときには状況の変化で結果として「不適切な判断」となったり、「もはや手遅れ」になったりしてしまいます。 政治の世界になると「みんなで同じ目標に向かって」ということはさらに困難になっています。できるだけ規制を少なくして自由競争を促進させ、その結果としての格差は自己責任として甘受すべきだという立場もあれば、社会の公正・公平さを確保するためにはある程度の規制は必要でこれ以上の格差の拡大は容認できないとする立場もあります。どちらか一方の立場だけが100パーセント正しくて他方が誤りとも言えませんが、根本的なベクトルが正反対なので単純に足すと「ゼロ」、何もやらないことになりかねません。 3.評価基準の違い リーダーを評価する際、加点主義ではなく減点主義の傾向があります。この結果、「短所もあるがそれを上回る大きな長所がある」人物より、「大きな長所はないが目立った短所がない」人物の方が高く評価される場合がしばしばあります。野球殿堂入りした著名な選手が「プロ野球の世界では「なんとなくいい選手」は要らない。投球でも打撃でも守備でも一つでいいから「これだけは誰にも負けない」というものを持っていないと大成出来ない」と述べたことがありますが、この逆の評価が行われているおそれが大です。 ※.ではどうしたらよいか 当然ながら「特効薬」はありません。「激動の時代になれば、当然それにふさわしい人物がリーダーとして台頭するからそれでよい」とするのも一つの考え方です。ただしそれでは消極的すぎると回答者は考えます。変えられるとすれば、上記の3項目の中では「3.評価基準」で、行き過ぎた減点主義を改め、せめて「得失点差」のようなバランスのとれた評価にすることが重要です。もちろんこれも簡単なことではありません。同じ得失点差+1でも、「得点10失点9」と「得点1失点0」では内容が異なるからです。しかしそこは考え方で、要は「適材適所」です。多少の失点には目をつぶっても攻撃力が求められる立場もあれば、得点はあまり期待しないが失点だけは防ぎたい立場もあります。 実はこの問題の本質は「気概のある人が目立ったリーダーシップを発揮できない」というより、リーダーを選ぶ基準が画一的すぎるため「平時のリーダー」と「有事のリーダー」が区別されず、「「有事」に有能な人物が真価を発揮できない」点にあるのではないかと考えます。とすると、昔軍隊でよく言われ、戦後も報道の世界などでは使われた「平時の考課はこれを取り消す」という言葉の意味をもう一度かみしめる必要があります。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
確かに、バブルと共に気概もモラルも崩壊気味にように感じます。 一致団結して、戦後の復興を高度経済成長によって成し遂げたまでは良かったですが、低成長の後に残ったのは贅沢を覚えたエゴイズムと権威的保守主義だけのようです。 SEALDsもそうでしたが令和新撰組も叩かれてます。 しかし、大リーグの大谷選手のように海外で活躍している人もいます。 おそらく、世間で目立たなくても、そういう人たちはいるでしょう。 気概のある人はどんどん海外に出れば良いと思います。 それが許されない環境の人間は価値観を共有した気概のある者たちで 小さなグループを作るしかないと思います。 日本は所詮内向きの島国根性なのです。 内弁慶の国です。 強い者にはペコペコし、弱い者には偉そうにします。 一方、窮鼠猫を噛んでボロボロにされたのが太平洋戦争です。 すでにそうなってますが、アジアのリーダーは、益々、中国になってゆくでしょう。 中国も欧米列強による分割統治から第二次世界大戦に至るまでに味合わされた屈辱を跳ね返そうと必死でしょう。 漢民族による中華思想よもう一度です。 ドイツと違い、過去の負の歴史を清算出来なかった日本はそのツケを払わせられるでしょう。
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お礼
ありがとうございます。 その通りですよね。本当、変化に弱いです。 ただ私は、吉田茂や松下幸之助のような、時代を築いてきた人たちには、広い視野のうえでの気概があったように思います。むしろ、広い視野が彼らの気概を支えたと言ってもよいのではないかと。 これまでの生活を残しながら、必要な部分をよりよくしていく方策や、自分の生み出した利益は巡り巡ってみんなの利益になるものだという意識をしっかり持った経営などです。 だから、広い視野に立った視点が足りないという考えには強く共感します。彼らほど、変化を受け入れ、柔軟に対応した人物たちは、その後の日本にはそういないでしょう。 今の人たちは、あまり人の話をよく聞かないんですよね。また、聞いたうえでじっくり考えるということをしない。物事を部分的に、「自分の都合のいいところだけ」を抜粋した勝手な解釈や早合点。自分の意見を持たないくせに、他者批判や中傷ばかり。「じゃあ自分はどうなんだ」と言いたくなる人ばかりです。 様々な視点の様々な人の話を聞いたうえで、全体像を掌握してから、「自分がするべきことは何か」という、自分の意見を「言論」にまで高めた意見を持たなくなった、というのもありますね。 自分のすべきことをわかったうえで行動できる気概のある人物たちではなく、 深く考えずに既存のものに便乗していればいいという考えが国民の大半を占めているから、政治家や起業家に、気概のある人物が現れないのかもしれません。 〉悪いことすら悪いと言えなかった時代は終わったのにそれをできない。 この言葉に少し感動しました。本当です!おかしいことをおかしいと言えなくなったら終わりです。今の日本では声を上げることができるのに、みんなそれをしないで自ら勝手に泣き寝入りしています。というより、ようやく声を上げることができるようになってきたというのに、ここまで来るまでにみんな疲れ果ててしまっている。 どうしてそんなに叩いて潰して、疲れさせてしまうのでしょう。 いったいこの先どうすればよいのでしょう…。 地道であっても、自分よりも若い世代に、やる気やエネルギーを持たせて上げるほかないのかもしれませんね。 ありがとうございました。