- ベストアンサー
過剰な謙遜を嫌味だと感じますか
すごく絵画の出来がいいのに「私が書く絵なんかぜんぜんダメです。」などとやたら言い、過剰に謙遜する人がいます。 その人は絵画が得意でいろんなコンクールでたくさんの賞をもらっています。なのに私なんぞ、ぜんぜんダメなどと言ってたら、同じように絵画をしている人で賞をとれない人たちは嫌な気分にならないでしょうか。 自慢するよりは謙遜することのほうがいいです。 ただ謙遜も程度がすぎるとまわりの人はバカにされたような気がしないでしょうか。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
これは私の印象なのですが、過剰に謙遜する人って実は内心「もっと褒められたい」って思っているんじゃないかなって気がするんです。 「いや、こんなの全然たいしたことないですよ」と本人がいった後に続く言葉ってどうなるでしょうか。まあ99%は「そんな謙遜しちゃって。いや本当にすごいと思いますよ」という更なるお褒めの言葉となるでしょう。それが分かっているから過剰なまでに謙遜してもっと賞賛の言葉を引き出そうとしているのではないかなっていう気がします。たぶん、本人は自覚していないと思いますけれども。 おっしゃるように過剰なまでの謙遜は、むしろ嫌味ですよね。「小さなコンクールで優勝しただけです」なんていったら、本気で取り組んで優勝できなかった人に対して失礼です。ってことは、本人も無意識のうちでは「こんな小さなコンクールくらい、俺は優勝できて当然なんだよね」と思っているということでしょうね。 しかし我が国の文化では「自分はもっと向上したいと思っているから、ここで喜んでいる場合ではないよ」というのは世間で悪くとられてしまいます。だからそこはとりあえず謙遜しておくんですね。 ところで、そうやって褒められたときにはベストの振る舞いがあるんですよ。それは冒頭に「ありがとう」の言葉を入れることです。 「この絵は素晴らしいね」「ありがとう。でも世の中上には上がいるから、まだまだだよ」・・・どうでしょうか。ありがとうの一言で全然嫌味にならなくなりますよね・笑。褒めたら「ありがとう」といわれて逆ギレする人もいないでしょう。ちなみにこの言い回しはビジネスやエンタテインメントで成功しているアメリカ人がお約束で使う手法です。
その他の回答 (5)
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
その方を知らないので何とも言えません。 周りがどんなに称賛しようとも、時間が経てば自分の作品の粗が気になる方はいると思います。 そういう意味で、本当に今の自分に納得できていないかもしれませんから。 >私なんぞ、ぜんぜんダメなどと言ってたら、同じように絵画をしている人で賞をとれない人たちは嫌な気分にならないでしょうか。 正直、誰がどんな謙遜をしようとも、それで自分の作品の評価が変わるわけではありません。 落ちたものは落ちた。実力が足りなかったから落ちた。それだけです。 「あの人ですら満足できていないのか」と思って、発奮材料にする人もいるでしょう。 というか、本気で賞を狙いに行くなら、それくらいの気持ちで挑まないと無理だと思います。 むしろ、賞以外のところで褒められたほうが、素直に嬉しいと思うんじゃないでしょうか。
お礼
お答えありがとうございます。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6877/20339)
若い 漫画家 作家 画家 などが大きな賞をもらったとき 会場には 大先輩たちが居並ぶ中で感想を言うことがありますが そんな場面では 謙遜しか言えない。 でも それ以外の場面では 嫌味に感じますね。少しぐらい自慢すればいいのにと思います。 私も得意分野では ちょっと自慢します。
お礼
>でも それ以外の場面では 嫌味に感じますね。少しぐらい自慢すればい>いのにと思います。 >私も得意分野では ちょっと自慢します。 私も少しぐらいは自慢したほうが、人間関係が円滑になるように思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
実際にそういう人が居るのですね? あなたが少しいやな感じを受けているということでしょうか? 美大などに入る人はほぼ全員が何かしらそういう子供時代というか経験の持ち主だと美大の先生に聞いています。 ですので謙遜ではなくてたぶんその上のこと(少々上手いなどは関係無い世界)も見ていてそう言ってるんではないかなあと私は思います。 それとそうは言っていてもこの作品のこの部分は譲れないという自負も持っているのではないでしょうか。 美大予備校などに行くと他の人の評価とか才能が羨ましく見えたりジェラシーとかも大いにあります。そういう葛藤を自分の中でどうとらえておりあって行くかは大事だと思いますが、主に自分の中の問題だと私は思います。人が評価を受けていることよりその作品と自分の作品の違いや、自分の良いところをどう見せて行くか、制作のこととして見て行ったほうが良いと思いますが、影響を過剰に受けてしまって自分の良さを見られなくなることがそういう競争的環境の弊害だとも思います。 けっこうつらい局面もあると思いますが自分のおおもとの気持ちを大事にして良い作品とか高い物を目指してはいかがでしょうか。 人のスタイルはそれぞれなんで、他人のそういう上っ面のことは気にしなくていいと思います。
お礼
>あなたが少しいやな感じを受けているということでしょうか? そうです。はじめは謙遜されても嫌味だとは思いませんでした。しかし、賞をとったりするたびに「私の絵なんぞ、たいしたことない。」と何度も聞かされているうちにだんだん嫌味に感じるようになってきました。
- okwavey2
- ベストアンサー率15% (251/1593)
そりゃそうです。 だから過剰なんですよ。 それを過剰というんです。
お礼
過剰ですね。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
謙遜でも自慢でもやはりほどほどでないとダメですし、ほどほどの目安は会話が成立するかどうかぐらいではないでしょうか。 「お上手ですね」 「お解りですか。これは私が魂込めて描き上げた自信作です。凄いでしょう」 「とても上手く描けてると思います」 「評価してくださってありがとうございます」 「お上手ですね」 「いやいや、私の腕なんかまだまだです。賞はいただけましたが、バイヤーの目に止まって売れるような絵にならないと」 「いやー、ですがやはりお上手ですよ。私にはこんな感じで描けません」 「そうですか。そこまで褒められると恐縮です。ありがとうございます」 このぐらいのやり取りで収まる自慢や謙虚なら、聞いていられますが、これ以上度が過ぎるとだんだん嫌味に感じてくるようになるんだと思います。
お礼
>謙遜でも自慢でもやはりほどほどでないとダメですし、ほどほどの目安は>会話が成立するかどうかぐらいではないでしょうか。 お答えありがとうございます。 何事もほどほどの目安が大切ですよね。
お礼
>おっしゃるように過剰なまでの謙遜は、むしろ嫌味ですよね。「小さなコ>ンクールで優勝しただけです」なんていったら、本気で取り組んで優勝で>きなかった人に対して失礼です 私も優勝できなかった人たちに対して失礼だと思います。 >これは私の印象なのですが、過剰に謙遜する人って実は内心「もっと褒め>られたい」って思っているんじゃないかなって気がするんです。 たぶん過剰な謙遜の裏にはもっと褒められたいという気持ちがあって、それで無意識的に過剰に謙遜してるのかもしれません。 そういう感じだとだんだん人から嫌われるでしょうね。