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なぜ都営浅草線5000形の更新に10年も掛かった?

都営浅草線5000形の旧塗装車両が91年頃まで走っていて、 未更新のまま廃車になった車両もあるとの事ですが、 なぜ5000形の塗装変更と更新工事に10年もの年月が掛けられたのでしょうか?

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  • kuzuhan
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回答No.1

運用上の問題ですかね。 非冷房車であった5000形を置き換えを目的に作られたのが5300形で、一部は置き換えも実施されました。1991年の北総・公団線(現在の北総鉄道北総線)への直通も始まったこともあって冷房車である5300形でサービス向上を目指したかったと考えられます。 しかし、1993年に乗り入れ先の京急線のうち、京急空港線の羽田駅(現在の天空橋駅)延伸では、この5000形が乗り入れて5300形は乗り入れできませんでした。 いうのも、羽田駅に設けられた引き込み線が当初は8両編成に対応しておらず、それよりも少ない編成でなければ運用できなかったことから、羽田駅(京急空港線)~千葉ニュータウン中央駅(北総線)間は都営車としては5000形が主力として用いられたのです。それも見越して全車置き換えができなかったのかもしれません。 1994年に羽田駅の引き込み線が改良され8両対応になってからは5300形と一緒に運用が続けられ、1995年には全車が営業引退となっています。 最高速度が110km/hと乗り入れ先も含めて「遅い」電車ではありましたが、2両・4両・6両・8両編成と組成できたことから、(都営浅草線としては)先頭車が多く使い勝手が良かったのかもしれません。とはいえ、「都営」なので都の予算の都合がつかなければ塗装変更などは一番後回しです。 1991年ごろは6両または8両化されていて、このときまでにあぶれた車両が一部廃車されています。

その他の回答 (1)

noname#252929
noname#252929
回答No.2

都営線って、料金が高くて、営団の経路があれば営団の方を選んで使う人が多かったですからね。 なので、お金がなかった会社です。 なので、何にしても進まなかったんですよね。 私自身、都営線。と聞くと、営団で行けるルートないかな?と思っていましたからね。

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