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いじめられるやつが悪い

いじめはは、各々の社会でおきる犯罪行為の一つです。 これらについて論議すると「やられる方に原因がある」「やられる方が悪い」という声を耳にします。 いじめとは別に「強姦」について考えます。昔はいじめと同じような声を耳にしましたが、時が経つとそのような声は、聞かなくなったように"思います"。 強姦被害者に「やれられる方に原因がある」例えば、偶々強姦魔好みの体型や年齢だった、性的嗜好を満たしていた"このような要因を持ったあなたに原因がある"と言ったら社会通念上にどうなりますか。理由はどうであれ、そうであるにせよ 口にしたり書き込んだりすることではないし、心情を考慮すれば当然です。少なくとも私は、考えるだけで憚ります。 しかしいじめとなると「やられる方に原因がある」という言葉を良く目にします。強姦と比べて憚るものが少ないのか。 同じ犯罪行為ですが罪の重みから刑の重みを決めるのが裁判官、見立てが弁護士、何の資格も持たない素人が強姦と犯罪を比べているのです。傲慢です。 なぜこのような差があるのか。蔑みたいのか、嗜好が欠如しているのか。みなさんは、この差は何故生まれるものだと思いますか。

みんなの回答

回答No.9

論点がおかしい。 強姦といじめは別物 原因があっていじめられるその原因は些細なことであり、取るに足らない又、優しい性格でもいじめの対象になります。 いじめるやつは自分の立場を固定したいだけに利用するわけです。 時代が差が時代なら、えた、非人、であなたはいじめられます。むかしのいじめと今のいじめは陰湿さが違います。昔のいじめは暴力なら強姦と通じるとこがあり、おかしい 手錠もんですわ。 いじめは犯罪だからやったって良いことない 例えあんたが保身しても、アンタの家族の誰かが因果応報刑を受けるわけだ。 ミニスカートを履いていたら強姦、お菓子が陳列されていたから万引き あんたの脳はそれっぽっちしかない。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (179/319)
回答No.8

 例えば強姦に関しては、「てめぇ~のために、ミニスカートはいてんじゃねぇ~よ!」って意見があります。好きだから、やりたいからやってると。もっともだ。  いじめについて言えば、生き方がその集団とたまたま合わなかったという事で、「てめぇ~らのために、自分は生きてるんじゃねぇ~よ!」という事になります。それはそれで絶対に否定できないと思う。  「やられる方に原因がある」場合もあるでしょうが、圧倒的多くは理不尽な理由です。なので「そう生きてて何が悪い!」です。  日本の裁判員制度は、裁判官,検察官,弁護士という専門職の傲慢さを抑制する制度です。いちおうそう考えたいです。もちろんその弊害はあります。それはアメリカなどの陪審員制度を見れば良くわかりますが。なので裁判員制度は今後とも見張ってる必要はあると思います。

回答No.7

ネアンデルタール人が滅び、クロマニョン人が生き残った時点で、人類のDNAは弱肉強食、一夫多妻制、強い者が正義であるというアーリア人のゾロアスター教がこの世を支配してきました。 よって、勝ち組が負け組をコントロールするために、苛めは駄目だ、強姦などはしてはならないと言いながら、金で弱い者を苛め、女性をたくさん抱いている現実があります。 これは、仕方が無いことでしょう。 現実に、肉食なんて、何の抵抗もできない家畜、家禽に対する最悪な苛めです。

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.6

ちょっと被害者の言い方は、似ていますが 加害者がちょっと違うので、話が違うのかな。 とも思います。 大まかに いじめは、集団的ないじり、暴力 強姦は、男性による性的な衝動における暴力 になるので、ちょっと動機が違うような気がします。 強姦は、そんな格好をしていたら性的な衝動を 抑えられない愚かな人も出るだろう。とか いじめは、そんな性格、態度をしていたらなどと言う とても理不尽な根本を否定する言い方になります。 暴力の種類も違うし、理由も違ってくるので 同じ犯罪行為でも、部類が違ってくるでしょう。 強姦は、完全に暴力になるのですが いじめは、差別の部類になるので なかなか比較が出来ません。 場合によっては、いじめは色々な要素を含めているから 沢山の要素を含めた解釈なら罪も重くなるし、沢山の要素が含まれない解釈なら、罪もそこまで重くなりません。 犯罪行為として、罪の重さを決めるのは難しいです。 いじめを広い解釈にしたら、例えば、芸能人の悪口をSNSに書いて拡散して炎上したら、いじめと言えばいじめであり、政治家を批判した内容をたくさんあげたらいじめと言えばいじめです。 それで自殺したら、世間全体が罪に問われるし、マスコミも罪になります。 週刊誌なんかでデタラメな情報を載せたら、いじめになります。 なので、強姦とは部類の違う、解釈の幅が難しい問題です。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.5

どちらもそれほど差はないと思います。あなたの注目度の違いなのでは?と思ってしまいました。実際に統計をとったわけでもないのでこれも私の個人的な意見ですが。 さて、でも差があると仮定しましょう。 一点だけあえて 「やられる方にも原因がある」を意味があると捉えようとすれば、 女性に対しての「やられる方にも原因がある」は、とにかく次は注意しなさいであり、決して前向きに捉えられる言葉ではありません。すでに取り返しのつかないことが起きてしまったのですから。まあ痴漢被害のときにもよく言われますが、そんな短いスカートを履くのはやっぱり問題では?と言われるのも同じだと考えると難しい問題ですね。 さて、一方いじめももちろん取り返しのつかないことになっている場合もありますが、 一般には、まだ改善の余地のある、犯罪行為になっていない時点で言われる言葉になります。 「やられる方にも原因がある」は、いじめられて困っている子供に、周りにやめてくれというのも大事だけど、例えば新しいところに移ったときにも、同じようにいじめられるのであれば、変えられるところは変えてみればどうかな。 という意味ですよね。決してお前が全部悪いと言っているわけではないのがニュアンスとして理解してもらえるでしょうか。 いじめが、一人の影響力のある悪意をもった生徒から派生して起こる場合もあるので、この意見も万全ではありませんが、いじめというのは強姦とちがい、数多くの生徒が同情すらしないで、むしろ個人個人は私達はいじめられた人から害を受けた。というといった思いを持っているところに特徴があります。もちろんそれ自体数の原理からして許される行為ではありません。袋叩きはそれでもやめないと行けない行為なのです。 でも被害者もそれぞれの人に対して、なにか不快な思いをさせたことはなかったのか? それを振り返って自分を成長させることも、訴えて周りを反省させ、謝罪させることと同じぐらい、被害者にとってその次のステップに移るために大事だから、あえて指導者のなかにはそういった言葉で奮起を促す場合があります。 例えば、いつも不潔にしている。人の悪口をよく言う。だから避けられ始め結局いじめっ子に殴られたりしはじめ、みんなからは無視された。 確かに殴られ無視される必要はありませんが、例えば転校して新しい生活をはじめるときには、風呂に毎日はいって、人の悪ぐちは言わないようにしようよ。 というのは、成長過程の子供にとっては大事なことですよね。 あなたの想定している「いじめ」とは違うかもしれませんが、 いじめのきっかけを自分のために取り除こうとすることは大事だということに異論はないと思います。その点で強姦という犯罪が起きてしまったこと対しては、タラレバで今更いってもしかたがないことなので、当然男尊女卑が少なくなってきた社会では減っていく一方だと思います。まあそれでももとジャニーズの山口の事件のときは、女性も暗黙の了解で避難されていましたね。 言葉の使い方、伝え方で誤解や異論はあると思います。 ただあえて一言付け加えるのであればというので言えば、子供社会など、指導的な立場のひとが未来に向かってその子に伝えたい言葉として、不適当ではありますが、大きくなってほしいという思いからあえて使う人もいるのも事実ではないでしょうか。

  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.4

意地悪な継母と姉にイジメられているシンデレラに魔法使いが言いました「イジメられているあなたにも原因があるのよ」 どう考えても、おかしいですよね。 イジメという言葉で矮小化されがちですが、多くの場合、暴行・傷害であり、恐喝の犯罪です。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.3

「いじめ問題」は、特殊です 理由としては、友だち100人できるかな?のように、教室やクラブのお友だち同士、仲良くしましょう・・・と、説明なしに教育されることです しかし、本来はそうではなく、気の合わない人同士が簡単に上手くいくはずもなく、互いにソリが合わなければ、ヘタに合わせることもないことを、大人になると誰しも気づきます それを個性と呼んだりするのでしょうが、その個性を認め合う事はあっても、ただ仲良くしなさいという教育を強いているのが、幼児教育や義務教育です 「なぜ、Aくんと仲良くできないのかな?」なんて、簡単に言う教育者に「お前たちの大人社会でもある問題だろ?」と、言いたくなります ・・・というのが、いじめであり、これが犯罪だ・・というのは、最近の流暢に頭が侵されている人の意見だと私的に思います 確かに、いじめの中には犯罪が紛れていますが、それを総意として語ることは、飛躍し過ぎの論議で、本来は、「私は君とは気が合わないから、嫌な顔も空気も出すかもだけど、お互い様だね」「嫌だってときはハッキリ言うけど、仕方のないことだと思ってください」・・などの発言が、子どもにも許されることを、最初から教えるべきだと思います いじめとは、気の合わない同士が同じ空間(教室・部活・クラブ・会社内・町内会・掲示板・LINEグループなど)を強要されて、はじめて起きてしまうことなので、犯行とはまったく違うことを、もっと広まると良いなぁとは・・思います

noname#255857
noname#255857
回答No.2

いじめられる方にも原因は有るという言葉と同じように、 「男を誘うような格好で居たんじゃないの?」というような 台詞は聞きますね。 差は無いんじゃないかな。 実際被害者の防犯意識が著しく欠如していた場合、 いじめられる原因が合った場合は言いたくなるのも心情。 言わないべきなのは当然ですが。

  • edogawaai
  • ベストアンサー率22% (124/555)
回答No.1

やられる方にも、原因が有る に賛成します プロレスラーに喧嘩を仕掛ける人は少ないですよ また、日本最大の金を持っている 日本銀行に強盗が入った話も聞きません 反撃が有る、事に挑戦する人 は少ないと思います

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