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考えるとは何か?
- 多くの人が言われたことがある「よく考えなさい。」だが、どこからが「考えている」でどこまでが「考えていない」なのか。
- 結論が出たら考えているのか、それとも詳細なプロセスが構築されていることが考えているのか。
- 考えるという行為を数値化できれば分かりやすいのだが、現代の技術ではそれを明確に示すことができない。ゆえに、考えるとは何かについて聞きたい。
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- 五十嵐 正(@oh-Tokyo)
- ベストアンサー率51% (173/334)
大ていは、関連先や自身の利害・立場に問題がないかを心配される場合です。 質問にはどういう場合なのか環境条件が無いですが、状況によって答が少し違ってきます。 家庭内の問題、個人交際の状況、官公庁・公共事業体・商業(会社)まどの場合によって、大筋では共通する問題ではあっても、家族の説教と事業所の上司の苦言とでは事情が相違する、と言ったような面が出てきます。 ここでは一般的な会社の場合と仮定して回答します。 最も多いのが、計画それ自体の問題です。 無理がなかったか=自社(事業所)の利害や立場・先行きも考え済みか。 今と将来も継続して円滑に進むか。 計画の全体像をよく把握しているか。 全体像の中で、今の事業計画の立ち位置を認識し確保しているか。 次に考えるべき事は、計画と関連先への配慮です。 今の時点で周辺に何が影響するか。 成行き予測の推察・判断を想像する。 今後に自企業・社会がどう変るか。 全体像の中で問題点の位置づけを知る。 通常誰もが考えるのは、今取扱中の現実問題の方だけが主体になりがちです。 将来像で考えるべきことは多種多様ありますが、大づかみには3系統です。 楽観的予測 ・ 悲観的予測 ・ その中間の予測 健全な将来像を考えるなら、悲観的な悪状況への対策を検討すれば安全です。 考える「行為」のほか、考える「態度」も大切です。 通常の社会活動で必要な、人の態度・心がけ(資質)については、次の表を参考にして下さい。 表 社会活動で考えるべき言動の例 ――――――――― ―――――――――――――――――――— 必要と思える素質 実務に素質が活用される場合の例 ――――――――— ―――――――――――――――――――― 関連先への連絡遂行 多角多面な配慮・交流ができ、情報も貰ってくる 推察力と共に判断力 確かな予測・推定ができ実行に移せる 決断力と共に度胸 危機状況・不穏な環境でも平静に行動できる 他者への思いやり 弱者・社会状況などへの配慮とやさしさをもつ 指導力と共に行動力 難なく実行でき、意思を明確に伝達・交流できる 全体像と個別の把握 目先事と最終目的を認識・理解し達成できる 忍耐力と穏やかさ 万事を丸く収め、忍耐強く持久力もある 団結力と共に正直者 わざとの嘘をつかず、協力体制を崩さない 約束厳守と責任認識 言ったことは必ず守り責任を持ってやりとげる 記憶力とその応用力 広い知識と状況をよく知り臨機応変に行える ――――――――――――――――――――――――――――――― 出典:自作サイト(国家公務員の選考制度—表1) http://ctzn02.blog.fc2.com/blog-entry-1.html#s2-t1
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
人により違うでしょうが、回答者の場合は「手(身体)を動かしたかどうか」で判断します。 例えば数学の問題なら、紙と鉛筆を持ってきて実際に解くことを試みたかどうかです。「手も足も出ない難問」でも式を書き写していくつかわかり易い数値を代入してみたり、図形の問題なら正確に図を描いてみたりすることくらいはできるはずです。ただ問題文を眺めているだけでは「考えている」とは言えないでしょう。 また仕事なら、現場へ行って調べたり、人から話を聞いたりしたか、また図書館の書籍やインターネットで調べたりしたか、あるいはそうしたことを済ませたうえで沈思黙考していたというのならその記録(例えば考えた内容を整理したメモやチャートなど)があるか、というようなことです。何らかの行動を行ったと判断し得る証拠がなければ、ご指摘のように「考えている」かどうか他人には判定が困難です。 「下手の考え休むに似たり」と申します。「休んでいたんじゃないよ、ちゃんと考えていたんだよ」というアピールできる「何か形に残るもの」を保管していることは、勤め人の「自衛手段」でもあります。(これは思考ということの本質について述べているのではなく、世渡りの術についてです。)
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
哲学の授業で似たような話が出た事があります。 自分中心で物事を見ている場合(大抵はコレが基本ですけど)、他の人は何を見ているのかという事は関係ない。 考えるという事と、無、空、は考えないと言う事とイコールではない。 よって、両極に振れる必要もない。 よく考えるは考えるの上位形なだけである。 100%考えている(常に)として、もっと良く考えろと言われたら、相手には100%には見えないだけだと解釈するか、本当に100%なのかを検証する必要はあるのか?とそこからしかない。 何も考えない。 というのは、究極に云えばムリ。座禅してても「無」や「空」になるほど悟りは開けないでしょ?頭を解放せよ、という指令を出す事になる。それは考える事を放棄せよ!ではない。 プロセスの構築の提示ではないよ。 結論ありきの世界なのだから。 逆にして物事を見てみるとわかるよ。 「よく考えろ!」という人の真意は?今の答えが不十分だと言う事が読み取れる。取れない?いや、そうだと仮定して下さい。 なので、結論を保留にして、「再考します」と1度は逃げて、同じ答えを出したところで、相手にはわからないでしょ? 人間は考える葦である。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34519)
いろんなご意見があるでしょうが、私は「押してダメなら引いてみな」が考えられるかどうかかなと感じます。多角的な視点から考えられるかということですね。 「考えろ、考えろっていうけどさあ、俺だってすっごく考えているんだよ!」っていう人は、大抵ひとつの視点の考えに囚われているように感じます。ある視点に固執しても、そこからは正解にたどり着けないことはよくあると思います。 ある女の子にアプローチしているけれども、どうも上手くいっていない。ここは一度引いたほうがいいのか、それとももっと別のアプローチはないか、あるいはいっそその子に固執しないで別の子で脈がある子がいないか。まあそういうことを色々と考えられる人っていうのは強いですよね。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
それは「思考する」という意味ではありません。 考える、のか、考えない、のかという2者択一なんです。 たとえば将棋をしていて、王手飛車とりに出会ったとき飛車を逃がしたら「おいおい、考えろよ」でしょう。深く複雑に思考しろというような意味じゃありません。革靴を履いているのに水たまりに足をつっこむなら「考えなさい」でしょう。 何を考えるのかというと、飛車が逃げたら王がやられることに気づけよ、そこで終わりだ、という意味ですし、ゴム靴でもないのに水につっこんだら中までぬれるだろ、そのあと歩行に不自由をきたすことを想像しろ、という意味です。 「よく考えてみようよ」というときは、相手が完全に考えていないなという判断のときだけです。80%考えているとかそういう意味じゃありません。 ことばを代えたら「気づくように神経をむけろよ」というのが「考えろ」の真の意味です。 考えろよというほうには見えていることがあり、どうしてお前はそれが見えないのか、ということです。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
訂正: X 求められる水準をクリアする足る思索 O 求められる水準をクリアするに足りる思索
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、「考えるとはどういうことか?」ついて聞きたい。 A、事象のバラシと組立てのプランと実行手順、留意事項を思索すること。 X 考えるとは何か? O 考えるとは、どういうことなのか? >例えそれが間違った考え方であっても考えている事に変わりない。 それは屁理屈。「よく考えよ!」とは、《事象のバラシと組立てのプランと実行手順、留意事項を思索すること》ですよ。しかも、《事象のバラシと組立てのプランと実行手順、留意事項について、求められる水準をクリアする足る思索を行え!》ってこと。屁のツッパリにもならないプランと手順を提示しても、それは「考えた!」には値しません。
- chachaboxx
- ベストアンサー率23% (412/1777)
配慮を巡らせる と理解してます。 その時点で対象となる事柄のことだけではなく、それに伴う影響や実行の経緯にまつわる振る舞い等々。 「よく考えろ」=「気を付けて」「貴方に任せます」くらいに捉えてます。
- skp026
- ベストアンサー率45% (1010/2238)
私なりの言葉になりますが、 「まずは受け入れて、そこから何かを見つけ、それをより良くしたり改善すること」 こんな感じに説明してます。 現実を受け入れ難いときもありますが、まずは受け入れてこそです。 データを改ざんとか、たまに聞きますが、それは問題外の行為です。 そして何かを見つけることですが、日本の義務教育では対応してないです。 大学でも標準ではないです。博士課程くらいのレベルでやっと対応します。 自立した意思が必要なので、社会に出ると、これが出来る人は多いですが、 まったく出来ない人も、想像以上に多いです。 より良くしたり改善したりを、「考えること」とする人もいるようです。 ただここは、ひとりでは難しいです。 他の人の助けが必要なことが多いと思います。 ※ 私の身近な人の話なのですが、小さなころから様々な人に、 考えろ考えろと言われたため、考えろが悪口と思っていた人がいました。 その人から「考えろ」と言われたとき、私はそんなこととは知らず、 受け入れ・見つけ・改善を説明しましたが、 まったく会話にならなかったです。 なぜならその人は、私を口汚く罵っていただけだったからです。 これらは極端なものではありますが、行き違いはいくらでもあります。 「考えなさい」と言われたら、 「◯◯について、事実を受け入れ、何かを見つけ、改善などできたらして、 そこまでできたら報告します」と返してみて反応をみると 良いかもしれません。 ですが、皮肉と取るような人なら、やめたほうが良いです。 ※ もし考えなさいと指示された内容が、人の気持ちだったりすると とても難しいです。ころころと変わりやすいので、 基礎となる事実そのものが、あとで変えられてしまうからです。 指示してきた人以外で情報あつめするなど工夫が必要です。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
- yumi0215
- ベストアンサー率30% (1335/4411)
考えるについて今までさほど深く意味を知ろうとしていなかったことに気が付きました。 で、自分にとってのよく考えるとは何かを考えたとき「思い付きや、のりで判断や行動をしない」ことが当てはまるかなと思いました。 結論を求めるのは「結果を出す」ために何かしらのアクションを必要とするという事で、よく考えるとは違う 日常の中での考えるは「次は〇〇をしよう」「今日は〇〇を食べようかな」などよくある生活環境の中でのことの為よく考えるではない。 1のアクションを起こした時に、2や3の結果が伴ってくる。それに対してどう対応するべきなのか。など先を見据えたことに対して「よく考える」という言葉が当てはまるのではないかと。 ☆遊び相手が欲しい→出会い系サイトやSNSを利用する=よく考えていない ☆遊び相手が欲しい→出会い系サイトやSNSを使用すると犯罪被害にあったり、自分が犯罪者になってしまうかもしれないからほかの手段を考える=よく考えている 短絡的な例ですが、私はこのようなことではないかと思います。