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足利藩最後の殿様戸田氏は足利氏とどんな関係ですか
先日足利学校を訪ねたら足利学校保存運動に足利藩最後の藩主の戸田氏が 明治中頃まで活動していたと出ていました。 足利藩は独立した藩だったのですか。足利は幕府の天領だったのですか。 戸田氏は足利の殿様でなく派遣されてきた藩主なのでしょうか。お教え下さい。 なお足利学校のスタッフは戸田氏について誰も知りませんでした。
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足利藩のwikiを読めばある程度わかります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E8%97%A9 戸田氏の名前が出てくるのは 徳川5代目付近 その世継ぎの家宣との関係で加増され 足利の領主になり 大名となった。 それが明治の廃藩置県までつながる 足利藩です。そしてその廃藩置県で大名から藩知事になった。足利県。 天領は 幕府直轄の領地ですから 足利は独立した藩です。 戸田氏は 昔の足利幕府とは関係がありません。 派遣されたというのではなく ご褒美として 領地を増やしてもらうときに 近隣に適当なものがないと 他に見合うところがあれば そちらの領地をもらい受けて そちらに引っ越す。という形です。 8000石から3000石加増されて11000石になったときです。 甲斐国内で8,000石の領地で家宣のお側役をしていて 3000石の加増を受けて 下野国足利郡・河内郡・都賀郡11000石の領地に引っ越して大名になった。