- 締切済み
共感し合える関係とは?
24歳社会人男性です。 長文失礼します。 よく思うのですが、「何でも共感し合える関係」って最高だと思いませんか? 「〇〇っていうアニメ知ってる?」 「好き! 毎週欠かさず見てるよ」 「あのアニメって面白いよね」 「分かる! 私あのキャラクター好きなんだよね!」 「本当に!? 実は俺もなんだよね! 強いし」 「実はフィギュア持ってるんだぁ~」 「マジで!?」 「この景色最高だな。マイナスイオン!」 「本当だなぁ! 感動したわぁ。マジで来てよかった。待ち受けにしよ」 「このお店のラーメン美味しいよな」 「ね! 長い行列耐えた甲斐があったわぁ」 「実は俺、ホラー苦手なんだよね……」 「私も! 何で自ら進んで嫌いなものを見たいのかちょっと分からないよね」 等。このようにお互い好きなアニメ、好きな漫画、好きな歌、好きな曲、好きな映画、嫌いな食べ物、等が一致していれば話は尽きないですし、何時間も話せますし、互いに盛り上がりますし、お互い飽きないですし。 自分の好きな分野を、「嫌い」や「興味がない」とする人たちと関わったって仕方なくないですか? 「〇〇っていうアニメ知ってる?」 「ごめん俺そのアニメ嫌いだわ。なんかロボットに乗らないで自分の力だけで戦えよって感じ」(そっけない) 「あ、そう……」≪いや、お前の好みとか聞いてないし……≫ 「今度〇〇へ行くんだけど一緒にどう?」 「私、もともとそんなに出かけるの好きじゃないんだよね。この間皆で行ったのは付き合いで行ったってだけで……」 「あ、そうだったんだ……」 「〇〇君はホラーとか見るの?」 「いや、絶対見ないね。怖いし」 「え、面白いじゃん! ホラー耐性無い男とか絶対彼女出来ないっしょ! アハハハハハ」 ≪え、そうかな……?≫ 上記の典型的なシチュエーションのように、好みや苦手なものって人それぞれ千差万別で十人十色ですし、それは仕方ないんですけど、やっぱり一致しないとなんとなくストレスですし、「じゃあこの人と関わるのはやめよう」ってなるし、「話したところでどうせ『嫌い』や『興味ない』と頭ごなしに言われるから話すのやめよう」ってなるじゃないですか。なんか人格を否定された気分になって鼻につくんですよね。 尚、以下のシチュエーションは私が実際に体験したものです。 A 大学の知り合いと三人でローカル線で日本縦断の旅に出掛けたときのこと。電車に揺られながら風光明媚な景色が見えてきたので、それまでずっと続いていた沈黙に耐えかねた私は、隣で座っている二人に声をかけました 「ねえ、見て! この景色凄くいいよね。気持ちいだろうな。住み心地良さそうだし」 (二人そろってスマホをいじりながら)「ん、じゃ住めば」 「……」 再び沈黙がやってきました。スマホばっかりいじってろくに景色も観ないでよくそんなことが言えたもんだなと思いました。 B 仕事先で、休憩時間での同僚たちとの会話。趣味の話になった 「〇〇さんの趣味って何ですか?」 「アニメとか漫画を見るですね」 「あそうなんですね。ところでさー」(と流され、突然思い出したように他の話題について同僚と話しだしました) ≪え、聞いただけ……?≫ その後も聞いてくることはありませんでした C 大学の知り合いとカラオケに行った時のことです。その知り合いがフリータイムで歌いたいというのでフリータイムで予約を入れて歌いましたが、その知り合いはスマホをいじって全然歌わず、私だけが楽しんでいるみたいでちょっと嫌気が差し、訊きました。 「ねえ、せっかく来たんだからさ、歌いなよ」 「ごめんもうネタ切れだわ。ていうか、もうちょっと静かに歌えない? 部屋の外まで響くんだけど」 「え……そうか、ごめん」≪カラオケって静かに歌うもんだっけ……?≫ その他、前々から遊びに行く約束をしていたのに前日になって「仕事が~」や「用事で~」と急なドタキャンされたり、打ち上げの幹事やってよ、と言われ嫌々引き受けてわざわざ店を確保してクラス全員に声をかけたにも関わらず結局集まったのは二人だけでした。 それからは、もう二度とあんな目に遭いたくないと思い、旅行や遊びも趣味も全部一人でやるようになりました。「わざわざ痛い目見るより感動を独り占めした方が余程楽」って感じ。話したところで何かが劇的に変わるとは思えないですし。 かといって「苦手なものや嫌いなものをすきになる」とか、何でわざわざこっちから譲歩しなければならないんだ? とも思いますね。 「自分と同じようなコピー人間といるとつまらない」とよく言われますが、果たしてそうかな? と疑問に思いますね。 私が幼い頃、両親が毎夜毎夜激しい喧嘩を繰り広げているのを目の前で見てきたので、争いや喧嘩、口げんかに対して激しいトラウマを抱いてしまっているというか、対人関係はいかに平穏に保てるか=良好な関係を築いていけるかを第一に、常に意識しているという感じですね。 ですので、もしそういう人と良好な関係が築けないのであれば、「さようならバイバイ」という感じできっぱり切ります。 なので人間関係はもう運命に任せることにしました。一人が寂しいわけではありませんが、まあ共感し合える関係が築ける人がいれば人生二倍楽しめるでしょうし、そういう人に運よく巡り合えばそれはそれで幸運ですし。 もし巡り合えなかったならば、まあ、来世で頑張ろう、みたいな(笑) 共感し合える関係って悪いことなんでしょうか? 皆さんは、好みや苦手なものがほとんど一致する人と巡り合えましたか? 何人出来ましたか? 長文失礼致しました。 よろしくお願いします。
みんなの回答
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2383/15960)
そこまでだと、きっと、つまらない。世界が狭くなる気がする。 意見が違う人と話すのが楽しい。 新しい世界が広がる。「なるほど、そういう世界が有るのね。」って 知らないことを知るのは、楽しいと思うけど。 全く同じ人なんて存在しないし、いくら傾向が似通ってても、 そういうのを求める人って視野が狭いというか、細かい部分に、こだわって 「何で、理解出来ないの?」みたいな言い方する人が多い気がする。 だいたい同じで少し違う人の方が、一度、関係が、こじれると どうしようも無くなる傾向に有ると思う。 大らかなのが一番。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3623)
いつでも共感しあえる関係っていうのは、意外性のない関係ともいえるわけで。 意外性のない関係って、幅が広がらないですよ。そして、視野も広がらない。 どこまでいっても、同じ。 興味がないことは興味がなくてもいいですけど、そのままだと尻つぼみですよ。 なんでも共感しあえる関係は、私にとっては物足りないですね。 だって、別の角度からの意見が聞きたくても聞けないんですから。 問題がいざ起きた時に、愚痴は聞いてもらえるかもしれないけれど、解決策は見いだせない。 自分が成長できない。 大切なのは、意見の異なる者同士で尊重しあえる関係じゃないでしょうか。 AもBもCも、共感できなかったからというより、自分の存在が軽んじられたから嫌な気分になったのではありませんか。 もしそこで、おれは興味がないけど、そういう風に考えられるお前っていいよなと言われたら、同じ景色を見て相手が共感してくれなくても問題ないでしょう? 共感しあえるだけの関係より、時には意見が異なる相手とのほうが、楽しいこともありますよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
いわんとすることは分かりますが、しかし何から何まで自分と価値観が一致する人っていうのは究極的には「自分」になりませんかね? だとしたら、異性の理想のタイプは「女の姿をした自分」となります。どんだけ自分大好きやねんという話ですね・笑。 しかしAとCの話はおじさん世代からするとびっくりですわね。スマホをいじるならなんでローカル線の旅に出たのって思いますし、カラオケで静かに歌えってのもねえ・笑。歌い終わったなら解散にすればいいのに。 私は、仲のいい友人は自分とは少し似ている部分があるものの、かなり違う部分が大きい人たちですね。だってさ、自分と似ているタイプは欠点も似ているから自分の欠点を見せつけられている気がしてイライラするんですよ。それよりも「いやー、お前は俺と全然違うから一緒にいて面白い」って感じます。もちろん、共通の趣味とか話が合う部分は必要です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >いやー、お前は俺と全然違うから一緒にいて面白い 私は全然思えるんですが、相手にもし嫌われてしまっては元も子もないなと思いまして……
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
してほしくないことが似ている、がいいかなと思います。 共感項目が多いほうがその場は楽しいけど ずっとそれだと飽きるのも早そうです。 そしてあまりに共感されると「ほんとに(;^ω^)?」って思います。 そんな人いないと思っているからです。 時間に対する感覚とか(遅れるときは連絡するとか、ドタキャンはしない、とか) 食べ物に対する感覚とか(汚い食べ方はしない、食べきれない量とらない、とか) 人とのかかわり方とか(目を見てしゃべる、店員さんに偉そうにしない、とか) こういう生活上の感覚が合えば 趣味が違っても、共感できなくても 「それはよくわからないなあ~だって〇〇でしょ(笑)」とかって 話が違う方向でも広がっていきます。 そこに「親しき中にも礼儀あり」っていうのが根底にあれば どんな意見でも話は面白くつながります。 私はドラマをみるのがすきです。 初回は大体全部みます。 ドラマについてあーだこーだいう友達は それから恋愛観の話になったり、日常の話に変わっていったり 共感したりしなかったりですが楽しいです。 で、好みが一致する人ではないけど 苦手なこと(特にマナーや対人関係に関すること)が 一致する人には巡り合えました。 今関係がある友人と、主人です。 主人とは毎日一緒にいるわけですが 生活上のストレスが 向こうはあると思うけど(笑)私はあまりありません。 なので喧嘩もありません。 感情的になったほうが負け、とお互い思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
共感はできればしたほうがいいですが、同じもの、同じ分野で共感してもあんまり意味ないかな?と思う方です、私は。 というより、一致することを全部確認したら、じゃこれは、じゃ次は?と 同じことを一緒だねぇ・・・で、項目100アレば、それでおしまいじゃない? それに、アニメのキャラクターでも自分が入れ込んでいる対象とずれていると、熱いファンほど、逆に憎しみが増してきますよ。 近親憎悪?みたいな。 更に、仔細な、微細なことでの差異(ロボットスーツのありなし、デザインとか)が気になるようになります。 一緒だねぇ・・・の共感を求めるというのは、究極的にはそうなる。 私も多趣味なので、それぞれに趣味友はいます。 でも、全部の趣味にかぶる人はいないと思うし、ましてや、その細部に至るや、全く違う。 言ってみれば、赤色主体で絵を書く人と青色主体で絵を書く人が、共感して仲良くできるかというなら、相手の存在は認めても、あのセンスはどうかと思うというのは必然じゃないですか? 共感?というより、あなたはあなたの趣味を理解というより、それを知ってる、話がわかる、という意味合いでの共感をしてもらえればいいだけで、別に、深く語り合いたいわけじゃない。 ほんとうの意味での、共感とは、対象が違っても、考え方として、生き方、行き方として、どうなの?ということだと。 そのほうが、分野が違っても、方法論的なことやら、ポリシーやらに共通点を見出して、人生して面白いけど。 私の趣味はやおい=BLでしたがこれは、ニッチな趣味でかなり、主人公のあり方については同じ作品でも賛否あって、相容れないと仲良くも、共感なんかも全く出来ないです。 和裁が趣味ですが、何も当たり前に縫うのはつまらないので、変わってないけど、変わったものを縫うのが趣味。 なので、ザマス系?の奥様向けには異端です。 染色もそう、色柄としての正道、王道を行かないので、先生とのチョイスが噛み合わなくて、今では先生も先生好みの微調整で、手を出すこともなくなりました。 そのほうが仕上がりがいいからと、認めざるを得ない。 イメージの世界では完成形を持っているかどうかの違いです。 五年前まではトライアスロンが趣味の一つです。 走って泳いで自転車こいで、忙しい。 走る練習はともにしますが、 泳ぐ方は乗り越えてまでのスイム練習はしたくないし、練習で事故るのも嫌なので、峠までは遠征なんかしません。 別にいい年して、ガシガシとまでは思ってないし・・・、会社まで自転車通勤する人に、共感できないですから。 それ以前は、バレーボールしてました。 ママさんバレーですが、これも、なんだか生活賭けて、怪我しても・・・熱心なママさんはスタメンを外されないように意地はってた。 生活のためにママさんバレーしているわけじゃなし、あの間違った熱心さにはついていけなかったし、嫉妬されて、足引っ張られるのには閉口して、20年やりましたが、48で、アスロンに転向して、時々は教えを乞ために一緒もしますが、基本的に、 一人での走って泳いで、自転車でそのへんブラブラでした。 和裁つながりで、落語家にも入れあげてる。 着物を縫ってプレゼント。 彼が着用して高座で私好みの噺を語るのを見るのが好き。 他の観客には内緒なので、共感してくれる人なんかいませんよ。 一人だけで入れあげてると、気持ち悪いでしょうから、形式的にもうひとり 名前だけ貸してもらっている50年来の友人との’共同の趣味’です。 趣味って、そういうものだと。 私にとってはそうなります。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- 波 蔵(@namizou2018)
- ベストアンサー率13% (178/1339)
「対人関係はいかに平穏に保てるか=良好な関係を築いていけるかを第一に、常に意識しているという感じですね」 ↑に関して私も同感です。共感し合える関係ってとても良いかと思います。私は嫁さんと共感し合える関係なので、出会ってから今まで一度も喧嘩したことがありません。嫁さんとの日々はとても楽しく幸せで穏やかです♪
お礼
ご回答ありがとうございました。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
確かに話が合う人の方が楽しいですよね。 しかし、極端な話、世の中全員自分と同じだったらと思うとぞっとします。 それでは自分の世界が広がりませんしいずれ退屈するでしょう。 と言いつつ、なんでもかんでもこちらの価値観を否定してくる人というのもまたしんどいものです。 ですので、ざっくり趣味や価値観がどこか共通していて、かつ、自分と違う所を持った人と接するようにしてます。 最も重要視するのは最低限の礼儀です。 その上でなにか、芸術、学問、スポーツ等なんらかの文化的なことに関心がある人なら言うことありません。 そういう意味で長く付き合っている人は嫁さんを含め何人かの友人たちが居ます。 そういえば、結婚前、夜な夜なバーで、色んな人たちと話しましたね。 勿論、感じ悪い人も居ましたが、色んな世界が覗けて楽しかったです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
読ませていただいて、観点が違うなぁと思う部分もあります 私の場合、好きな人・・が先にできるタイプです その人が何が好きなのか、何に頑張っているのか、好きな・嫌いな食べ物は、どのような価値観なのか、どのような人生を歩んできたのか、知りたくなりますし、応援したくなります これは男女関係なく、尊敬できる人、誰にでも別け隔てなく優しい人、一生懸命頑張っている人、いつもニコニコしている人、愚痴を言わず努力している人・・・など好きなにるタイプ(きっかけ)は様々ですが、友人であれ、後輩であれ、先輩であれ、その人のことを知りたくなりますし、応援したくなりますし、その人の尊敬できる部分に自分も近づきたいと思います ここまで書かせていただいた部分で分かるとは思いますが、そこに「共感し合う・し合える関係」とは、別の価値観で、人と関わっています 後輩なら、導くため、助けるために自分も努力しますし、その人たちをいつでも助けられるように、得意な分野のスキルをいつも磨いていようと思いますし・・・ 一致するとか・・・というよりも、尊敬し合える、高め合える人間関係を優先します
お礼
ご回答ありがとうございました。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
幼児期の、両親との豊饒な感情の交流があることで、 共感力とか円満な性格などが育まれるのですが…不幸にして そうした機会がなかったか、不十分だったとしたら、 ご自分で何らかの方法をデザインして、身に着けると 宜しいのではないでしょうか。 とりあえず、考えるヒントとして、 コミュニケーションの ラテン語の語源を知ってみることを お勧めしたいです。 [幼児期からの生育史の中に生じて来ている 負の感情エネルギーをクリアすることも 行ってみませんか。 〈そうしたのエネルギーの暗躍ありますと、 人間関係やコミュニケーションを損なってしまい 兼ねませんので…厄介なんですよね。 なので、そうしたエネルギーが蓄積されているとしたら クリアしてしまうのが大切です〉] Good Luck!
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私自身、性格に難ありと感じておりまして……