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いつから医学部の偏差値って暴騰したの

今思うと20年前に大学に入学した頃、当時通っていた 県立の進学校に同じ県内の私立の医学部の指定校推薦の枠が ありましたね。当然学費は普通の家庭が払える金額じゃ ないですから、誰も使いませんでしたが。 今思うと借金してでも通っておけばよかったかなと思われます。 簡単に元は取れますから。というか学費自体パフォーマンスのいい投資ですからね。 ある程度の大学以上なら元取れますよ。その大学も今や かなりの高偏差値です。いつから医学部の偏差値って 暴騰したんですか。いつごろから医者不足・高待遇という 話になりますが。

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  • hue2011
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回答No.1

昔からそうなんですけど、歴史的には「武見太郎時代」」というのが存在してあれが加速させたのです。医師会の会長で、非常の政治力があるカリスマでした。高名な政治家の主治医みたいなことをしていた部分もあり、佐藤栄作なんていう人はこの人に死亡診断書を書いてもらっていますね。 この人は、健康保険の個人負担分ゼロということを実現したんです。これは社会保険だけですけど、要するに勤め人が病院にかかったら一切お金を払わなくていいということです。 当時は、医者が薬品も渡してくれており、いまのような調剤薬局はなかった。 これは誰にとっていいことで誰にとってまずいことかを軽く説明します。 まずまずいことは、無意味に大量の薬剤を投薬可能になったことです。費用がいらないんですから、1錠の値段が10万するような薬品を30日分投与するとしても患者はなんとも言いません。高いなと思うチャネルがありませんから。そして、両手でかかえて持ってくるような大きな袋で薬を家に持って帰るようになります。 当然投薬過多です。飲んだ薬のために不調が起きたり、飲み合わせでひどい副作用が起きたりします。 いいこと、は医者に対してあります。2000円分程度の投薬でいい患者に80万の投薬をしてもお金は保険組合が払ってくれますから。だから過多な薬を処方すれば自分の収入が上がるのです。 ということは医者になりさえすれば月収200万も300万も自由自在ということになります。そのため、医者は金持ち職業ということになったわけです。 医者になれるのなら不正なお金を払っても結局ペイすると思うから裏口入学なんかが激しくなったのです。 時代としては昭和40年代だと思ってください。 このとき、金持ちになりたい、と言う気持ちと医者になりたい、が同列の希望になったわけで、変に資金運用をしたりバクチ的な証券取引をしたりするよりは医者になったほうが安全で楽で、しかも医学知識以外何もいらないのですから、薄バカみたいな連中が医者になりたがり、女の子たちは「玉の輿」というと医者に嫁ぐことだと判断したわけです。 ここで一気に偏差値が上がるのは当然です。 薬品会社が、個人医たちをしばしば訪問し、書類ラックなんかを無料で提供し、連日のように宴席を設けたりしはじめたのもこのころで、要するに自分の銘柄の薬品を処方してほしい、ということです。そうすると、収入以上にこういう付け届けが医師の暮らしを豊かにします。 ただ、こういうことがいつまでも有効にはなりません。 医薬分離、という考えが浸透し、医師は処方箋を書くだけ、その処方箋により、別のところでやっている薬剤師が薬の実物を渡す、そのときに飲み合わせの適正を判断するというようになりました。 また、健康保険の自己負担額が3割ということになりました。保険組合も1年に1度は、「あなたの保険活用記録」というのを郵便で送信し、これこれのことをされていると通知するようになりました。 こうすると、さすがに無意味な薬を束にして渡すことはできなくなり、濡れてに粟の大儲けという商売ではなくなったんですが、偏差値が落ちるということは特に起きていないというのが実情です。