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名前がわかるとなぜ安心するのか
野原に咲いている雑草は名前がわからないと心が落ち着きませんが、知っている人に教わると途端に、安心するとともにその草に対して関心がなくなるのはなぜでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
名前があるという事は、人類の誰かがその植物を理解しているという事になります。 理解するというのは、人間にとって有益なのか不利益なのかという事です。 もっと突き詰めると、理解する事は征服した事にもなります。 つまり名前がある事で征服欲が満たされた事にもつながるのです。 もし名前がない未知の植物に出会ったなら、それが人類にとって良いのか悪いの少なからず気になります。 名前があるという事はそういう征服欲の名残りだと思います。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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そうですね。 名まえが分かると、気持ちが落ち着きますね。 所属や位置づけができますからね。 不審のものが門前を徘徊する。 門衛とか衛視が”何者!”と誰何する。 ”へぃ。岡っ引の、明神下の平次というものでごぜぇやす” ”へぃ。浅草、を組の辰五郎と申しやす”
お礼
名乗るというのも一つの資格なのですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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失礼しました。 昭和陛下の下問に対する侍従さんのことばは: ”ただの雑草です”だったかな。 そして陛下は: ”雑草とは草に失礼だね”だったかな。
お礼
陛下も物事の存在については鋭い感覚をお持ちだったのでしょうね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
お答えがもう出ておりますので。 回答ではありませんが、今は亡き昭和陛下。 生物学者でしたね。 皇居で: この草は何という名前かな? お付きの侍従さん:名もなき只の草ですよ。 陛下:”名もなき只の草”とは草に失礼だね。
お礼
名前というのは存在することの資格というか、認知の対象になるということですね。古来名づけるという行為はかなり強大な権威の象徴でもあったのですね。
- hiro-hiro-hiro
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野の花に興味があって名前がわからないと,語にできないので,データが大きくなって,無意識にアタマの端っこであれかこれかと参照し続けて,考え続けるので,脳内メモリを使い続けるので,脳内メモリを浪費するので変化に対応できなくなるかもしれないので,不安を感じるので,落ち着かなくなるかもしれない.名前がわかると,アタマの端っこの脳内メモリののちょっとした消費がなくなるので,その花の名前は解決すべき問題でなくなるから,関心がなくなるとかかな~??
お礼
ご指摘のことは本当になるほどと思いました。私も思考の経済のようなことを考えていたのですが、ご説明でより明快に納得できました。改めて名前がわかると頭が休まるように思えることが良く納得できました。言葉と思考の関係にも新しい理解が可能になりそうに思っています。名前を知るということは思考の始まりという面もありますね。
- tokohay
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教えてもらってばかりいないで自分で調べましょう。それが面白み
お礼
おっしゃる通りです。しかしあなたの理解の仕方も教えていただければと思います。
名前が判ると、いつでも自分で調べられる という安心から、知りたいという優先順位が下がる。 雑草に限らず 靴がほしい、となると いろいろ調べて、やっぱこの靴買おう。 で 買った後は、持っている、という安心から 興味がなくなり、他のことを考える。 のようなことかな? と思いました。
お礼
重要な書類でもコピーを取るとつい粗末にすることがあって冷や汗をかくことがありますが、これとも似ていますね。
- marukajiri
- ベストアンサー率45% (504/1101)
雑草の名前に関して、それがわからないことによって心が落ち着かない人の場合、雑草の名前が気になっており、「何という雑草なんだろう」という思いが一日のうちに何度も自分の解決できない問題として、頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えということを繰り返しているのです。 そして、その雑草の名前を専門家なり、詳しい人などから教えてもらうと、雑草の名前という問題は解決されるので、同じように問題として浮かんでこなくなるのです。 雑草の名前がわからなかった時には「雑草の名前→わからない→知りたい」というように知りたいという知識欲があり、それは「欲」という字がついていることからわかるように、ある種の感情を伴うものであり、精神的な興奮を多少なりとも伴うものなので、知りたいという欲望と共に精神的にイライラしたり、もどかしい感情などが出てきたりするのです。 そして、雑草の名前がわかった際には「雑草の名前→わかった→安心」となり、知識欲が満たされ、多少なりとも興奮していた精神が、落ち着きを取り戻します。 そこからその雑草について関心が無くなる人は、名前がわかったことで全てわかったつもりになり、その雑草についてさらに調べたり研究しようということにはならないので、結果的に関心が無くなるのです。 つまり、その人には雑草の名前を知りたいということ以上の知識欲は、その雑草に関しては無かったので、知識欲が名前を知るということで満たされたのです。 しかし、それで終わらない人もいます。そういう人は、その植物の生態だとかはどうなっているか、世界にどのように分布しているかなど、知りたいことがまだまだある人なのです。つまり知識欲が満たされていない人は名前を知っただけでは満足できず調べ続けて、関心を持ち続けるのです。 あなたが雑草の名前を知って、関心が無くなったとしたら、あなたの知識欲は、雑草の名前で満足するものだったからということになります。
お礼
つまり関心の持ち方がその程度だったということですね。納得できます。ほかにもそのようなことが多いと思います。
- fujic-1990
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名前が分かった途端、全体が分かったような気になって「安心」するからです。 そういう気分になるのは質問者さんだけではありません。心理学的にも名前が付いている現象だった・・・ と思いますが、名前は完全に忘れました。 例えば深海の番組で、見たことがナイ、気持ちが悪い生物を見たときに「珊瑚の仲間です」「クラゲの一種です」と解説されただけで、「なるほど」と分かったような気になり、(自分にとって既知のものと振り替えて)納得できて安心してしまいます。 人間にかぎらず、生物にとって理解できないもの、納得できないものは「怖い」のです。 脳は「恐怖」からなんとか脱出したがっていて、理解できないものを排除する(人種差別もここから)か、理解・納得しようとします。 で、理解できる事情、納得できる事情を探し求め、それに合うなにか(名前や分類など)を知ると、それにこじつけて納得してしまう現象がおきます。 それと同じ現象でしょう。
お礼
ご説明非常によくわかります。ある面からみると思考の節約のようなことにもなっているのかなとも思います。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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Q、山野草に対して関心がなくなるのはなぜでしょうか? A、それは、そもそもが山野草そのものに関心がないからです。
お礼
名前を知るというのは、その対象に関する最小限の情報なのでしょうね。人などでも同じですね。
お礼
なるほど、言葉あるいは名づけることを征服欲の表れと考えるとよくわかります。ことばは世界を切り取る刃物ようなものというのは理(言葉で割る)ということばで説明していたのはどなただったか忘れてしまいましたが、ご教示により改めてよく納得できました。