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三島由紀夫の馬込の屋敷について
三島由紀夫が馬込に屋敷を建てた理由をどなたかご存知ないですか? 実際に行ってみたのですが、屋敷そのものの独創的性、壮麗さは言うまでもないにしろ、地形的みると屋敷を建てるには相当不都合な処に思えました。どこか花ざかの森の冒頭に通ずるものも感じられました。 何かきっと三島さんらしいユニークなコンセプトがあるように思えてならないのですが、私が調べた限りでその理由については見当たらなかったです。 どなたかご存知の方いらっしゃっいましたらよろしくお願いします。
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- nagata2017
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回答No.2
実際に行って見て来られていたんですか。いいですね。 私も 三島由紀夫は好きで 一度は見に行きたいと思って まだ行っていません。 まだ海外旅行が自由にできない時代に ギリシャなどの神殿の遺跡などを見て回った三島由紀夫氏ですから そういう建物を建てるにふさわしい土地を選んだという見方もできるかなと思います。 例の事件翌日の朝刊は だいじに保存しています。
- nagata2017
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回答No.1
この辺は文士村と呼ばれるように たくさんの作家が住んでいたようです。 http://urarara0724.jp/blog-entry-1066.html 観光客か聖地巡礼者むけの地図も整備されているようです。 1959年5月10日に新築されたこの屋敷に越してきた。
質問者
お礼
ご返信ありがとうございます。 文士村のこと、存じ上げております。実際に足も運びました。 ただ三島邸は、ここの括りと同じと考え難いほど離れており、しかも利便を考慮するとあまりに不都合で窮屈な高台の上なのです。普通このようなところにわざわざ屋敷を構えようとは思わない。文学的、思想的な明確な背景があると直感しました。 丁寧なご指摘に感謝いたします。 ありがとうございました。
お礼
左様でしたか。 ギリシャ旅行については「キリスト教による忌まわしい精神の発明以前の肉体と知性の均衡」を求めての旅だったようですよ。帰国後その昂奮の続きに書かれたのが、「潮騒」で、しかし、その通俗的な成功と受け入れられ方によってギリシャ熱はさめていかれたとか。 それにしては実物大のアポロンですよね笑 是非、一度足をお運びになってみてください。 表札越しに時空を超えて三島氏の眼差しを受けているような不思議な気持ちになりました。 度々のご返答ありがとうございました。