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裕福であれば誰にも頼らず生きていける?
- 裕福であれば誰にも頼らず生きていけるのか疑問に思う人もいます。人間関係が煩わしいと感じる人やしがらみや義理が面倒と思う人もいます。最近、老健施設で亡くなられた方の実例を紹介します。
- 実例では、裕福な方が結婚や仕事、家族関係などを自己中心的に進め、多くの煩わしさから離れて生きていたことがわかりました。子どもや親族との関係や葬儀、相続などでも独立し続け、自分の意思を尊重して生活していました。
- 裕福であることによって、金銭的な余裕や自立の余地が生まれ、他人に頼らずに生きていけることができます。しかし、このような生き方には淋しさを感じることもあるかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
「誰にも頼らず」 …他の回答にも有りましたが、「誰にも」というのは不可能です。 自身の最後を「誰に預けるか?」という選択になります。 人の死の後始末というのは大変面倒な事であり、できれば面倒は掛けたくないという思いが死に往く当事者の本音として有ります。 その面倒を誰かに引き受けてもらう時に、できるだけ迷惑を掛けないよう、最低限「信頼できる相手」に預けることになります。 その中に「金で信頼関係を買う」という選択肢も入るという考え方は有っても良い事だろうと思います。 生前の人間関係において、たとえ親、兄弟姉妹、子供であろうと、信頼関係や人間関係が脆弱な場合もあります。 「迷惑を掛けたくない」「迷惑と思われたくない」と思う相手は選択肢から外れることになります。 それに代わって「誰にも」ではないけれど「別の誰かに」という選択肢が入ることになるのです。 金銭に頼ること自体は、当事者の経済的な都合によって変わるのは仕方ない事でしょう。 迷惑を掛けない事の是非ではなく、本人の「迷惑掛けたくない」という思いが優先される考え方なのです。 その思いを優先するために、金銭による「人間関係や信頼関係の代替」も選択肢に入ってくるのです。 基本的には往く者と残る者との互いの人間関係による選択です。 如何なる選択も、死に往く当事者の人間関係によって本人が納得の上で決めたのなら、それが最善なのだろうと思います。 生前の人間関係が淋しかった場合もあるでしょう。 できれば生前に味わった淋しさは現世に置き忘れて、何のしがらみもなく天に昇りたい場合もあるでしょう。 …そのための選択肢が有っても良いのではないでしょうか。 できるだけ死に往く本人の思いが最優先されて然るべきと考えます。
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- bekky1
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いや、介護にしても、結局はお金で贖うことができます。 恋人だってそうなるし。 当人の考え方。 終生の、サービスを金銭で贖うか、愛情?とか、義理とか、見栄、意地とか地縁、血縁で間に合わすかです。 金銭以外の「ビットコイン」はすぐに出せるような代物じゃないので、 「ビットコイン」のない人は、日本銀行券になるだけのこと。 あえて、そっちを選択する人だっているでしょう。 地域によっては、ボランティア時間をボランティア時間として「貯蓄」することで、相互協力とすることもしているし。 【この様な生き方だと少々淋しい気持がするのですが】 あなたは寂しい、だから寂しくない生活をなさればいい。 やり方が違うだけで、迷惑かけてない生活スタイルを、決めつける必要もない。 人によっては、面倒もなく、スッキリとして、人生における貸し借りもなくて(だっていつ死んじゃうかもわからないし)潔いのでは? あなたの言われることは、日本銀行券じゃなくて、 毎回、違うビットコインで支払ってよねというのと同じ。 それぞれ相場も違ってくる。 親戚づきあいとか、お寺関係とか、意味ある人には、高騰するけど、 なにそれ?という人には、タダの余計な人々で、 お寺関係も余分なパフォーマンスの押し売りみたいなものです。
お礼
ご回答ありがとうございます サービスを金銭で贖うか、愛情?とか、義理とか、見栄、意地とか地縁、血縁で間に合わすかです。 昔は義理、地縁 血縁が当たり前の如くあり、それで成立していたものが 金銭というものも選択肢になった云う事だと思います。 日本銀行券じゃなくて、 毎回、違うビットコインで支払ってよねというのと同じ。 それぞれ相場も違ってくる。 親戚づきあいとか、お寺関係とか、意味ある人には、高騰するけど、 なにそれ?という人には、タダの余計な人々で、 お寺関係も余分なパフォーマンスの押し売りみたいなものです 私はいきなりそうはできませんので、義理や地縁血縁もある程度大切にしていきたいと思います。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
本人は自分の思い通りですから、何の不自由もなかったでしょうが、周りはその分迷惑を被っていますよ。 何事もほどほど、最低限はやらないとダメなんです。お金で解決させる事がない訳ではありませんが、全ては無理です。 周りが我慢して初めて成り立つ生き方ですよ。
お礼
本人は自分の思い通りですから、何の不自由もなかったでしょうが、周りはその分迷惑を被っていますよ。 煩わしい事は嫌だが、相手(子ども 身内)がどう思っているかを考える事も大事だと思います ご回答ありがとうございました
>この様に金銭的に恵まれると人に頼らず 最低限の金銭的なやり取りで > 煩わしい事はせずにやっていけるのでしょうか? 裕福か、裕福でないかという問題ではないと思います。 裕福でも不満ばかり言っている人もいますし、 裕福でなくても、そこそこ満足そうに暮らしている人もいます。 その人個人の考え方の問題だと思います。 世の中でもみくちゃになったり、その人の人生の過程で信用していた誰かに 裏切られたなど、心に傷を負うようなことをされると「誰にも頼らず生きていける。」という気持ちを抱いても不思議ではないと思います。 ただ誰にも頼らず生きていけるといっても、病気になったら病院の世話にならないといけませんし、裕福といっても、それでお金を湯水のように使っていたら、 老後困ると思います。 質問に出てきている人が内心どう考えているかはわかりませんが、 口では誰にも頼らず生きていける言っていても、心では、色々と対策を考えているかもしれませんし、考えていないかもしれないですが、ご本人でないと わかりません。 ただ「死ぬときは結局1人」と思うことはあります。
お礼
ご回答ありがとうございます 世の中でもみくちゃになったり、その人の人生の過程で信用していた誰かに 裏切られたなど、心に傷を負うようなことをされると「誰にも頼らず生きていける。」という気持ちを抱いても不思議ではないと思います。 当人でないと解らない処もあると思います。 今、地縁や義理が無い選択肢もあるという事だと思います。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
埋葬のされ方からみると考えは首尾一貫していると思います。しかし場合によってはほかの人の手を煩わせる事態になることもあります。これはこの考えと直接の関係はなく、経済的な裏付けがあればそれでよろしいということではないでしょうか。
- ts0472
- ベストアンサー率40% (4485/11068)
私は未婚で嫁も子供もなく 金銭的にも恵まれていないですが寂しいと思わないです 自分が強要されたくないから周りの人にも強要しない 老健施設や役所の人の助けが必要なので 完全に誰にも頼らないという状況は不可能と思っています 自給自足でもしてれいば可能だったかも知れませんが しがらみは付いて周ったと思います 習慣・風習とは言え 選ぶ権利が無い 自由の無い国日本 海外で過ごされた経験から感じるものだったのかも知れません 終の棲家を移住せずに日本に選んだ理由までは分からない
お礼
習慣・風習とは言え 選ぶ権利が無い 自由の無い国日本 海外で過ごされた経験から感じるものだったのかも知れません 日本のしがらみ(義理 血縁 地縁)が煩わしいと感じたのだと思います。 この様な選択肢、日本に居ると中々出来ませんが、自分なりの自由を貫いたという事でしょうか? ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
「頼る」というのをどう解釈するかになるかなと思います。 その方は「誰も頼らなかった」といいつつも、施設の職員さんに身の回りの世話をしてもらっていたのですから、誰かに頼っては生きていました。 ただ、その部分を善意ではなくお金で解決してきたということですよね。 誰にも頼らずに生きるとなると、介護などの世話にもならないということになりますから、自分の身の回りのことは自分でやらなければなりません。そうなると、何よりも最優先されるのはお金ではなく、体力です。誰の介助も受けずに生きていけるだけの体力がないといけません。その次にお金になるかなと思います。 ちなみに私は結婚していない中年男性なので、将来に介護が期待できる人がいません。同世代も非常に多いので、私が老齢になる頃には私たちの世代の介護をどうするかで社会問題になるだろうと思っています。 おそらく、そのときの世間の対応は「健康で自分のことは自分でできるなら生きていて構わないけれど、世話している余裕はないからそういう面倒は見ません」になるのではないかと予測しています。なので、今のうちから定期的に運動をして体力をつけています。「身寄りのない俺のオムツを喜んで代えてくれるなんてあるわけがない」ですからね。オムツをそのまま放っておかれるのは嫌なので、自分の足でトイレに行けるように今から備えています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 善意ではなくお金で解決してきたということですよね。 「頼る」事をそうされたということだと思います。 何よりも最優先されるのはお金ではなく、体力です。誰の介助も受けずに生きていけるだけの体力がないといけません。その次にお金になるかなと思います。 どの様に今後の身の置き方は考える必要があります。 健康で自分のことは自分でできるなら生きていて構わないけれど、世話している余裕はないからそういう面倒は見ません 高齢化、若年層の減少でそうなりつつあります。 後、20年後位には私も老齢になるので、その当りの事は考えておく必要があると思います。 有難うございました。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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その方のお考えですから それはそれで良いと思います。 そのような生き方がさみしいと思う方は そのようにならないにすればいいのです。 裕福だからそういう考えになるという事もないと思います。 私は裕福ではありませんが その方の生き方にどちらかと言えば賛成です。 出来ればあまり人とかかわりたくありません。 さんざん世の中にもまれた結果の答えです。 死んでしまえばそれで終わりという考えですね。
お礼
ご回答ありがとうございました そのような生き方がさみしいと思う方は そのようにならないにすればいいのです。 裕福だからそういう考えになるという事もないと思います。 身の振り方をどうしていくかということだと思います。
お礼
ご回答有難うございました 人の死の後始末というのは大変面倒な事であり、できれば面倒は掛けたくないという思いが死に往く当事者の本音として有ります それは皆そう思い、迷惑をかけない事は不可であるが、どういう死の迎え方をするかという事で考えられると思います。 その面倒を誰かに引き受けてもらう時に、できるだけ迷惑を掛けないよう、最低限「信頼できる相手」に預けることになります。 その中に「金で信頼関係を買う」という選択肢も入るという考え方は有っても良い事だろうと思います。 その中で、金銭でのやり取りを選ばれたという事だと思います。 金銭による「人間関係や信頼関係の代替」も選択肢に入ってくるのです。 基本的には往く者と残る者との互いの人間関係による選択です。 如何なる選択も、死に往く当事者の人間関係によって本人が納得の上で決めたのなら、それが最善なのだろうと思います。 孤独を楽しむという考えも今はあるという事だと思います。