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葬儀現代のシンプルな考えとは?
- 葬儀をシンプルに行う現代の考え方について、質問者の実例から検証します。
- 経済状況や核家族化の影響により、節約志向が強まっている現代社会で葬儀無用の考えが広まっています。
- しかし、故人の思いや遺族の願いを無視することは倫理的に問題があると指摘されています。
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質問者が選んだベストアンサー
>お祝いを戴いたり返したりと云うのが「馬鹿」だそうです。 >現代ではこの様な考え方が主流になっていくのでしょうか? 地域にもよるのですが、この手の考え方をする人が主流の場所もあります。それなりの生活をしていて、収入もある人で、地域への参加とかする人ですと、この手の人は相手にされなくなる、孤立する傾向があります。 しかし、集合住宅に住む人で単身の中年から定年付近の人、あるいは、親からの遺産などで戸建てに住んでいる人で近所付き合いしない人は、まさにこの手の人が目立つ、差別する訳ではないのですが、親が育て方を間違えたのか、あるいは、親に対する反感を持って育ったとかでしょうが、他人からどう思われているのか考えない、自己中心の人も珍しくないものです。 遺産をどう使うのも、基本は自由、亡くなった親の意思をそのまま実行するのも無視するのも他人の自由ですから、それを批判するのは古い考えとなるかも知れません。 私は古いタイプの人間ですし、多くの人と一緒に生活し、生きているタイプですので、最近では珍しく振る舞えるタイプの方だと思っています。しかし、私の友人でも、むしろ、親の遺産は生きているうちに自分が自由に使う、香典とか贈り物などを貰うものは貰っても一切お金を出さない、お返しなどもしないタイプの人も結構いるのに驚きます。 お返しはされて当然と思う地域もあるし、逆にしないのが普通、してくれたら、余程お金持ちとか、何か裏があるのではと勘繰られるような地域もあるもの、そもそも盆暮れの付け届けさえ廃止、年賀状も出さないのが最近の主流ではないのでしょうか。 食足りて礼節を知る、それも事実なのですが、定年後などの収入がほとんどない人は心配になるもの、親の葬儀などの費用は無駄と考える人も今後はさらに増えるでしょうし、火葬場へ直行というケースが増えているのも事実、私の地域では葬儀場以外の葬儀はほとんど見なくなりました。 お金がないと葬儀もしない、あっても、先行きが不安な人はお金を使わない、見栄を張ってまで葬儀しないタイプは、堅実ともいえそう、あなたが思っているよりもしっかりしている人、他人に迷惑を掛けたくない人かも知れません。 孤独死する人が増えている、そうなるように望んでいるのかはわかりませんが、介護も大変でしょうし、長生きして他人に迷惑を掛けたくない、生きているうち、お金があるうちには自分のためだけに使う、これは本能に近い生き方、社会的に地位があったり、名誉を重んじるような人はしないようなことを平気にするタイプなのかも知れません。 >相手が喧嘩しないと喧嘩しないのが悪い この考えだけは普通でないことを望みたい、それでも血の気の多い、苦情を言うのが当たり前の人がいるのも事実ですし、主流でなくても、数人いるだけで周囲に迷惑を掛ける、困るものです。
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- tamao-chi
- ベストアンサー率52% (457/875)
現代も過去も関係ありません。 その「彼」が金に貪欲な人物。 ただそれだけの話です。 その様な人は過去、現在、未来にも存在するでしょう。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
葬儀は、生きている人のためにある物です。 私の親戚の人は、生きていたときに親しかった人だけを呼んで、お別れ会をしました。 葬儀をしないので、会場を借りただけです。 墓があれば、子供、孫たちが困るだろう。孫たちはどこに住むか分からない時代です。 葬儀は、シンプルになって、家族葬が増えてきています。 もっと先になれば、葬儀をしない人が増えると思います。 彼のようなつき合いは、極端で、自分に何かおきたときに、誰も助けてくれないでしょう。 最近は、親戚もあてにできません。 だから、近くに住む、従兄弟と、何かあれば協力していこうと、話し合っています。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
葬儀というのは残された家族が自分たちのためにやるものです。本人がどう思おうが、どんな遺書を残そうが、それを守る必要はありません。「遺言状」は遺産の分け前を指示するものですから、これとは全く違います。「どんな葬儀をするか」遺族に強制することのできる書類というのは存在しません。 どうしても自分の思った通り葬儀をしたければ信用できる後見人を指定して、葬儀に使う費用を預ければいいのです。