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40年前の庶民<現在の貧民

携帯無い インターネット無い エアコン無い 電子レンジ無い シャワー無い 冷凍食品無い 子供の物はお下がり そんな40年前の庶民生活と比べると、現在の「貧困層」のほうが遥かに良い生活してる気がするんですが、 人間って周りと一緒じゃないと気が済まない生き物なんですかね?

みんなの回答

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.19

>だって、そうじゃないと今から50年後には 「今の年収2000万円ぐらいの生活」が貧困と呼ばれるようになるわけですよ。 そのことに何か問題でも? 逆に、何十年前の生活を基準にしなければいけない理由がわかりませんねえ。 どのみち、未来において何を呼ぶかは、未来の人が判断することで、 いま現在の人が判断することじゃないですし。

kknow
質問者

補足

いや、周りを基準にしなければいけない理由だってわからないでしょ。 周りがどういう生活してようと、自分が生きていけるならそれでいいわけで。 別に数十年前を基準にしようと数十年後を基準にしようと構わないけど、「周り」を基準にすんなって話ですよ。

  • jdl0000
  • ベストアンサー率8% (3/37)
回答No.18

  kknowさんが本気でそう思うのであれば、 携帯を捨てて、 インターネットを止めて、 エアコンを捨てて、 電子レンジを捨てて、 シャワーを捨てて、 冷凍食品を買わず、 子供の物はお下がりを着て それで生活すればよいだけのことでは? そうすれば自ずと理解できるでしょう。

kknow
質問者

補足

なぜ捨てる必要が? 自分で買える分だけ買って、それで満足してれば良いだけの話でしょ 自分は携帯インターネット電子レンジシャワーは使うけど エアコンは使わないし冷凍食品もほとんど食べない。 でもエアコンと冷凍食品買わなくても貧困だとは思わないよ?

  • sayoyou
  • ベストアンサー率32% (16/50)
回答No.17

質問者さんの言う通り。 「LED電球は贅沢品です。貧しい人は裸電球で十分です。」 「携帯電話など贅沢品でので、貧しい人には固定電話に限定しましょう。」 「砂糖など贅沢品なので、貧しい人には野菜や麦飯を食べさせるようにしましょう。」 「マッサージ機など贅沢品なので、貧しい人には人力でマッサージで我慢させましょう。」 「日本のお金持ちの多くが貧しい人生活をしているため、日本のお金持ちの多くの人が痩せています。」 「MP3プレイヤーなど贅沢なので。貧しい人は真空管アンプで十分です。」 「お肉なんて贅沢なので、貧しい人は魚の配給で十分です。」

  • sayoyou
  • ベストアンサー率32% (16/50)
回答No.16

> 人間って周りと一緒じゃないと気が済まない生き物なんですかね? 日本も昔は自由だったので、みんな助け合って生きていた。 昔は地域社会で助け合って生きていたので、貧困層も同じような生活水準で生きていた。 そのため多くの人は寛容であった。 携帯電話、インターネット、シャワーなんて誰も持っていなかったし、必要もなかった。字の読み書きさえする人も少なかったなかったから、すべて人づての地域のネットワークによって本来の人間の姿で生きていた。 日本も昔は自由だったので、その辺で水浴びしている人も大勢いたし、おばあちゃんが上半身裸で歩いているのも珍しくなかった。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34531)
回答No.15

まああれですよ。考えてみれば昭和の頃って学校にも会社にもクーラーはなかったし、電車でさえクーラーがついてないやつがあって、それの満員電車に揺られていたわけじゃないですか。 今、昔のサラリーマンはそれで働いていたからといって電車がクーラーを切って、会社もクーラーがついてない状態でちゃんと働けるのかっていったら、正直無理だと思います。 自分の身に降りかかってくるとなったらやっぱり見解は変わると思いますよ。 それに、日本のような先進国でインドの貧困層のような環境に置かれたら、それはやっぱりどう考えてもまともな人間の暮らしにはならないと思います。 質問者さんも日々の生活にいろいろとストレスはあろうかと思いますが「紙切れひとつで兵隊にとられた時代に比べればマシだろ」とかいわれても、そういう問題じゃねえよとなりますものね。

kknow
質問者

補足

いやいや、今でもクーラー無しで働いてる人はいっぱい居るでしょ(笑) 誰もがオフィス内で働いてるわけじゃないんですよ? 絶対に比べるなって言ってるわけじゃなく、絶対的貧困とか命に関わるレベルは別ですよ。 原始時代~戦時中までは「貧困=死」だったので、それを避けようとするのは当然だと思います。 でも戦後少し経ってから以降は貧困でも普通に生活出来ていて、「死なないため」じゃなく「贅沢を求めるため」になってるからそれを問題視しているのです。

回答No.14

補足コメントありがとうございます。 もし、ネット情報を活用するのが普通であるならばインターネットの利用があることが貧困の規定の再検討要件にはならないのではないですか? ということを申し上げました。 また、別の観点からいうと「情報リテラシーとはネット・マスコミ(その点では書籍も含んで)を問わず、常に信憑性に疑いを持つ」ということかと理解しています。特にネット情報が「多数」をもって正確性を担保しているように錯覚していることは、情報リテラシーの初歩だと思います。 もし、質問者様が多角的な情報源をお持ちであれば余計な心配なのですが…。 かくいう私もエコーチェンバーの中にいる心地よさを知っていますので自戒を怠らないつもりです。 さて、再度ご質問を(他の回答に対するコメントはさておいて)読み返し、 ★40年前の生活より現在の「貧困層」はいい生活をしている。 ★周りと一緒でないと気が済まないのか? の点に関して申し上げます。 ★もちろん、(これは外国との比較ですが)日本ではそうとうに困窮していても医療は保証されています。 また、外国製の食品が多く出回っていることも大きな違いです。その価格も特別の”舶来価格”ではありません。(現地値段とは比較できません) それから、これは必ずしも生活文化の向上(=良い)に分類されるかわかりませんが、銭湯は減りましたね。 コンビニは(40年前もありましたが)……便利ですが価格は安くはないですね。とはいえ、深夜値段が加算されてはいません。 このような社会資本が向上?していくことの恩恵は万人が平等に受けるものでしょう。 前回答でも申し上げましたが、社会インフラによって「良い生活」を得ているとしても、それが「最低経済条件に合致」ならば、それが貧困生活なのです。 銭湯のない地域で風呂無しアパートに住むことは、アパート自体は同じでも生活状況が同じでない、わかりますね。 もし、40年前の(私の住んでいた)アパートが残っていても、近くの銭湯がなくなっていたら、そこでの生活は40年前より低下するからです。 ネット情報ではわからないかもしれませんが、そのようなアパートは現存していますから。念のため。 ★「周りと一緒」についても前回答で申し上げましたが、「最低経済条件に合致」する生活は「周りと一緒」とほぼ同義です。 まぁ、違う場合があるとすればレジャー費用ですかね。学校が休み期間の航空運賃+宿泊費は高い。貧困生活では手が届かない。これは質問者様の例示にはありませんでしたから、この点では貧困層は想定通りに「分不相応な贅沢」をしていないことをご承知いただいているのかもしれません。 さらに再説しますが、生活環境の非公式セーフティネットが40年前とは様変わりしていることを捨象しての比較は、某国家機関の労働実態データのような「ためにする」比較のように読めてしまうのです。 その点で、利用されたデータのバイアス検討が「自己の意見を補強するもの」に偏っていないか?のリテラシー能力向上をお勧めします。 蛇足ですが、質問者様が「そんなお勧めなら間に合っている」とお思いになるとしても、この質問と回答の数々+補足コメントから、リテラシー能力に不足のある読者が誤解するかもしれないと思い、失礼を詫びながら書き加えました。

kknow
質問者

補足

>もし、ネット情報を活用するのが普通であるならばインターネットの利用があることが貧困の規定の再検討要件にはならないのではないですか? その活用は経済的な話ではなく、意識的にやるかどうかだけの違いなので関係無いです。 みんな携帯は持ってるし、それを活用するかどうかはその人次第でしょ? >別の観点からいうと「情報リテラシーとはネット・マスコミ(その点では書籍も含んで)を問わず、常に信憑性に疑いを持つ」ということかと理解しています。 それはもちろんです。 疑いを持ったうえで「調べる」という行動を取ってるからこそ、相対的貧困の不可解さに気づけてるわけですよ。 マスコミやネットの薄っぺらい情報だけで判断するなら「貧困かわいそう!」になってることでしょう。 >それが「最低経済条件に合致」ならば、それが貧困生活なのです。 そうなると、今から50年後には「今の年収2000万円ぐらいの生活」が貧困と呼ばれるようになっていくわけですが、それについてはどう思われますか? それに対して何の違和感も持たず、「貧困かわいそう!」と思い続けるのでしょうか? 銭湯のように、「外で風呂に入れなくなる」という事象と共に風呂シャワーが当たり前になっていったのならそれは代替しただけですから豊かとは言えないかもしれません。 しかし、そうじゃないものもありますよね。電子レンジとか、テレビゲームとか。 >生活環境の非公式セーフティネットが40年前とは様変わりしていることを捨象しての比較は、某国家機関の労働実態データのような「ためにする」比較のように読めてしまうのです。 誰がどう見たって全然違うでしょう。 労働実態データは労働時間が24時間になっていたりなどあり得ない数値が多数含まれていたという問題。 生活水準は絶対的貧困をとるか相対的貧困をとるかという話であって、データ上の不備ではなく倫理観の問題。 それこそ、あなたが今まさに全然違う比較を挙げて「”ためにする”」をやってるということに気付いていますか?

回答No.13

携帯電話は公衆電話の設置数減少にともない、生活必需品となりつつあります。 その他に、インターネットに関しても生活必需品になりつつあります。 各種の行政資料や企業の告知がインターネットを前提にし始めていますから。 また、単純に金額だけで比較すれば冷凍食品が高価とは限りません。保存性が良いということは流通コストが調整できる分、廉価にできますから。(中国からのものは安いですよ) 子どもの数が減っている分、”おさがり”も供給数が限られていたり、丈夫なブランド物はリサイクルショップに持ち込まれて現金化されてしまうから、旧態依然の”おさがり”そのものが減少せざるをえない状況にあったりします。 あと、質問者様の調べた貧困生活は「マスコミの情報」だけのように思いますが、実際のフィールドワークで有意なサンプル数を持っている、あるいは複数の調査結果からの推定ですか?(この手の政策的な側面の有る事案では単純な行政資料では”行政の都合”しかわかりませんからダメ…ではないけど不足かと思いますが) また、上記の様に40年前と社会的状況が変化していることも捨象した議論のようにも思います。(価格とかはお調べになったようですが…) 最後に、周りと一緒でない暮らしができるのはお金持ちであって、もっとも経済的にローコストな生活は最大多数の生活なんですよ。 昔は「貧乏人は麦を食え」(のような意味のことば)を言って糾弾された大臣がいましたが、今はそれが「健康食品」として売られています。 もっと昔には白米が贅沢の象徴でしたが、今は米食がもっとも単位重量あたりの経費が低い食品です。 産業構造のなかで流通業の占める割合が高くなった分、流通コストからいっても大量に流通しているものが一番廉価です。 もっというと、労働形態も深夜・早朝、シフト制が増えている分、生活時間帯の多様化を反映して、冷凍食品や電子レンジの使用も「贅沢」だけでは語れません。 本当に貧乏な生活を想定して社会状況を見た場合、40年前の社会状況をあてはめた批判は単なる「弱い物イジメ」にしか見えませんよ。

kknow
質問者

補足

>あと、質問者様の調べた貧困生活は「マスコミの情報」だけのように思いますが、 いえ、ネット情報もそうです。 フィールドワークだけで判断してたらそっちのほうが問題でしょう(笑) 一人の人間が現場で見ることの出来る世界なんてたかがしれてます。 マスコミと、ネットで拡散される「証拠付き」の情報。 これらを参考にするのは最も一般的な判断の仕方かと思います。 存在するのにネット上にもマスコミ情報にもまったく出てこないならそれはさすがに空想や妄想を疑わざるを得ないですから。 >本当に貧乏な生活を想定して では今現在、「本当に貧乏な生活」って具体的にどういう生活ですか? ムギを食べて普通に生活出来てるなら何も問題無いと思いますが、それが白米である必要があるんでしょうか? ご自身でおっしゃってるように、物事の本質で見てないから白米を欲しがったりムギを欲しがったりおかしな変化をしてしまうわけですよ。 労働形態は昔のほうが深夜早朝の仕事が多かったですよ。 労働時間自体が長かったですし。 そのぶん既婚者が多くてほとんどの人達が自炊してたというだけです。

  • ii_n
  • ベストアンサー率45% (9/20)
回答No.12

返信どうも。 ですんであなたは貧困というものを知らないのではないのか?と思ったわけですが、どうも本当に知らないみたいですね。 もし万一にも、あなたが現在貧困体験中であると仮にしても、それは本当の貧困ではなく救援された貧困状態(解決された貧困状態)なのかもしれません。生活保護などで。 40年前の生活保護において認められる家電調度品と現在の生活保護下において認められるそれとの比較で言えば、昔はエアコン・電子レンジ等は認められてなかったが現在は認められてますかね。 そういう観点から言えば、つまり現に生活保護を受けている状況での比較ではあなたの感覚は正しいとも言えるが、そういうことを言ってたんですか? 同じ生活保護を受けているにしても今は40年前より遥かに贅沢になってる、と。 しかし実を言えば生活保護を受けてる時点で既に「貧困」を脱しているので。 生活保護によって憲法に保障されている「最低限度の文化的生活」を送れるような金額が支給されるので、そうなのであれば原理的にはそのような生活は「貧困」とは言わない。 「普通の下」のレベルですね。 あなたがそういうレベルの話をしているのなら、上記の原理によりあなたは頓珍漢な話をしているとも言えます。

kknow
質問者

補足

>生活保護を受けてる時点で既に「貧困」を脱しているので 論点がズレすぎてて話にならないんですが、、、 「日本社会」での話なので社会的システムを受けたうえでの話になるのは当たり前のことです。 「生活保護を受ける前」の話なんて誰もしてないんですよ(笑) そんなこと言い出したら国が存在してなかったら通貨も無効であり、一次生産してる人間以外はみんな貧困生活になってるでしょう(笑) 国の貧困を語るのに「国のシステムやサービスを受けた後の状態」の話をするのは当たり前のこと。 上記の論理ぐらいわかるよね?

  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.11

そんな事書いてないよ。よく読んでね。

kknow
質問者

補足

いや書いてあるやん

  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14683)
回答No.10

野菜の値段が変わらない?そんなばなな。だいたい、最低賃金だって今の半分。 http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP99.8/shintani-fig.PDF http://shouwashi.com/transition-vegetables.html 70年代の誰かさんの高度経済成長のおかげで、モノは増えたけど価格も上がった。賃金が追い付かずに労働争議も頻発。 光化学スモッグは確かにしょっちゅう発令されてプール中止になってたな。もう10年ちょっと遡るとそんなもの無いんだけど。

kknow
質問者

補足

いやいや、ちゃんと確認しましたよ。 物価水準と照らし合わせると45年前からほとんど変わっていない。 というか、野菜は価格調整の対象なので考えてみたら当たり前なんですけどね。 農家を守るために政府が価格調整する法律があるんですよ。 だから平均的には価格が維持されてるんです。 賃金が追いつかないとは? 同じ水準で生活してれば確実に追いついてると思いますが。 っていうのが質問内容になってくるわけです。 物が豊かになって、その高度な物を追い求めてる人達が「追いつかない」だけですよね。 労働争議が頻発??? 誰がどう考えたって昔のほうが労働争議は多かったですが(笑) 1980年の労働争議は約1000件、そこから激減していって今や年間数十件ですよ?

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