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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:30年に1度)

30年に一度の秘仏ご開帳、顔を拝観できない理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 尼寺で30年に一度行われる秘仏ご開帳。しかし、顔を拝観することはできないのが当たり前のようだ。その理由として、秘仏が薄暗くて首から下しか見えないことが挙げられる。一見すると期待外れかもしれないが、実はこの状態には深い意味がある。
  • 秘仏ご開帳は、作られた時の人々の思いを読み取り、心を洗うための儀式である。顔を拝観することよりも、首から下しか見えない状態が重要なのは、心に焦点を当てるためだ。見えない部分に思いを馳せ、自分自身の感銘を深めることが大切なのだ。
  • 3度のお参りをしても顔を拝観することができなかった質問者は、秘仏ご開帳の真の意味に気付くことができなかったのかもしれない。しかし、秘仏ご開帳には個々の解釈があり、自分自身の心の受け取り方も重要だ。30年に一度の機会を逃してしまったが、質問者自身の心の中で心の洗礼を受けることもできるのだ。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.1

この「秘仏?」とは、仏典上に出て来る阿弥陀如来、菩薩でしょうか、また、過去にこの尼寺を開いた方でしょうか?いずれにしても、この尼寺の本尊のようなものであり、それを30年に一度しか見せないと言うところに、拝観者を心理的に付け込む、意図があると私は思います。貴方自身が何とかこの秘仏を拝観したい気持ちは理解出来ますが、仏典上に出て来る菩薩などにしても、実際この世に出現し人々を救ったというものでは無く、漫画の登場人物のようなものであり、また仮にその秘仏がこの尼寺を開いた人であっても、秘仏として拝むことは間違いです。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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本尊 秘仏 聖観世音菩薩(円仁794~864年の作)右手に蓮華は珍しいそうです。像高98.5cmで、「髪型は藤原時代の形式を残し、全体に対して頭部が大きめ」が暗くて見えない。残念です。

その他の回答 (5)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.6

汚れていたり、破損しているからあえて見せないってことなんじゃないですかね。 ブラックジョークで、誰も見てはいけない秘仏の禁忌を破って入れてある箱を開けてみたら、中身がなかったという話があります。開けた人は蓋をそっと閉じて「誰も見てはならぬ」って・笑。伊勢神宮にあるといわれる八咫鏡も、中は天皇でさえ見ちゃいけないらしくて、誰も見たことがないから実は中身はない(からそれがバレないために誰も見てはいけないってことにしている)って噂もあります。 見せないのは、見せたくない事情があるんですよ。美容整形した子に学生時代のアルバムを見せてくれといっても見せてくれないみたいなものじゃないかしら。そこを察しなさいってことですよ。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

それは嫌ですね。詐欺のようなものです。人が生きている時に80年に1度は全てを見せても良いと思います。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.5

質問になっていませんが、「自分は不当だと思うけどその思い方は正しいか」ということだと思って回答します。 冷静になって考えてみてください。 それを「何だ」と思ってみたいのでしょうか。 霊的なものだと思ってみたいのか、美術品としてみたいのか、はっきりさせてください。 もし美術品として鑑賞したいのであれば全身が見える状態であるべきだし、下からばかりではなく上からとか斜めからも見たいという話になると思います。 興福寺の阿修羅像なんていうのはそれが可能な展示をしており、たしかにそういうことが可能な状態で鑑賞しないと得られないものがたくさん含まれた超高度な美術品です。 あなたはそのお寺の秘仏をそういうものとしてみたいのでしょうか。 だったとすれば、そのように見てもらっては困る、とお寺が判断しているのです。信仰と遠くなりますし。 秘仏というのは、まあ破損だとか光に当たって劣化するとかいうことを予防して隠してしまっているということもありますが、一番の目的は「ありがたがらせるため」です。一人の人生のうち、一回きりか、あるいは多くても二回しかみることができないとなると何か月も前から計画し、その日のためにスケジュールを調整し、自分の時間を犠牲にしてお金を出して行こうという人がでて来ます。 基本的に美術品の鑑賞ではなく、ちらりとみるだけでありがたいという世界に入り込む必要があるのです。論理は全然ありませんけど、これで信仰心が高まるというようなことになります。 まあ悪口をいうと、まさに偶像崇拝です。秘仏と信仰には何のかかわりもありません。しかし、見ることができないものに出会いたくて苦労をするということは天から仏が見てるんじゃないか、とか、自分のその誠意は価値があるんじゃないか、と思いたがる心理を狙ってるのです。 仮に相当の美術的な価値があると判断したら、いくら秘仏といわれて継承してきたものでも条件はつけても公開するんじゃないでしょうか。そのほうが収入になるに決まっています。 数量限定とか最後の1個なんていう販売をしたら多少高くても売れますが、常にあると思われたら安めにしないと客は伸びません。 どこのどの秘仏か知りませんから私は何の悪意も善意もなくいいますけど、常時見せるのであればあまり価値がないというものじゃないんでしょうか。だから隠しておいてめったにみせないということで「付加価値」を付けているのだと思います。 空也の念仏像だとか阿修羅像なんていうのは見る価値があり、凝視する価値があり、調べにしらべて発見できることだらけです。 秘仏とまではいきませんが、浅草寺に小さい釈迦像があります。これは確か4月8日にしか出さず、その日だけ出して甘茶をかけさせています。見た限りで、それほど高度な美術品には見えません。 そこまでしなくてもいい、とみるのをやめるのは正しい判断です。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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今の時代(平成)後2年足らずで新年号です。相撲の土俵も女性禁制で人命が問題になっています。信仰も変わりつつあります。徳川幕府時代に檀家制度を設け、檀家以外のものはキリスト教として弾圧、これが今でも受け継がれ道徳心を教える寺が儲けに走る。今の若者は良く分かっていて檀家離れをしています。結論として古いしきたりは変えるべきです。

  • terepoisi
  • ベストアンサー率44% (4090/9254)
回答No.4

御開帳というのは、普段閉じられている扉が開かれるという意味ですから お姿をどの程度まで拝観できるかはそれぞれ違います。 お姿はまったく見えず『今は扉を開けています』というだけの状態で参拝することだってあります。 ご秘仏とされるのは、ありがたいお姿に思わず手を触れたりして仏罰をうけることがないようにという仏心からだとも聞いています。 仏様のお姿を見ないと心が洗われないということは無いと思います。 お姿を想像で補い心の眼で仰ぎ見ることも立派な信心だと 御仏はおおらかに受け止めてくださると思います。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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藤原時代の髪型や体形より頭部が大きいと書かれたパンフレットの説明で、 興味が湧きませんか。関心が無ければ初めから拝観に行きません。

  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4811/17776)
回答No.3

>薄暗くて首から下しか見えません。 どこまで見せる? どう見せる? はそのお寺次第なので仕方ありません。

g0721475
質問者

お礼

ありがとう御座いました。

g0721475
質問者

補足

パンフレットの説明で髪型は鎌倉時代の形式、全体に対して頭部が大きめと書かれていれば見たくなるのは、人間の心理として間違いでしょうか。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11072)
回答No.2

ルールは、それぞれが決めることで、そこでは、それがあたり前。 仏の顔が、見れたとしても、作り手の思いがわかるわけではない。 顔を見たとしても、心が洗われるわけでもないだろう。 顔を見たいのは、あなたの欲望、宗教ではいけないとされる欲望。 残念ですが、信仰心が、足りないようですね。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

尼寺の由来としてパンフレットに説明がある頭部の部分が暗くて見えないのです。見せて下さい、納得させて下さい。

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