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病気と生活に関する素朴な疑問
現在心療内科に通うバツイチです。離婚後1年は何もせずに過ごしました。 しかしストレスは溜まる一方。いくら第3者が「ストレス解消をこまめに」と言っても、どれもこれもお金がかかること。 お金のかからない物をと思って、ウォーキングをしたものの、元々興味がないことなのでかえってストレスが溜まった感じです。 今では随分健康になったのですが、それでもストレスは溜まります。それを早く解消しないといけないのですが、お金の問題で躓きます。 その為仕事を頑張り、それでまたストレスが溜まります。 このサイクルは誰にでもあるのでしょうが、ストレスが大きくなりすぎると仕事自体が出来なくなり、ストレス解消の資金(?)が稼げなくなります。そして段々ストレスは溜まってきて、解消するのには相応のお金がかかります。 もちろん私以上に仕事が出来ない状態にある人もいると思うのですが、そういった方がストレスを減らすために必要なお金ってどうしてるのでしょう? 世間は「手を抜けるとこは手を抜いて」「楽をしなさい」「好きなことをしなさい」と簡単に言うけど、実際には「¥」がついて回るので、そんなに簡単にはいかないと思うんですが…。(と洗濯物と食器の山を見て思いました) 実際心に病気を抱えてる人は、お金と生活と心のバランスをどのように保ってるのか知りたいです。単に私のお金の使い方が下手なだけかな?
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人としてこの世に生きている限り「ストレス」は切り離せないでしょう。それはsisyuumishin様に限らず、きっと周囲の人達誰もが多かれ少なかれ抱えている事でしょう。 そもそもあなたにとっての「ストレス」とは何でしょうか? ストレスを敏感に感じるタイプの人もいれば、多少のストレスにも動じない人もいます。要はこれからの時代を生き抜く為には、やはり心身共に「タフ」でありたいものです。それには時に「割り切り」や「息抜き」「臨機応変」「柔軟性」等々、自らの価値観・概念にとらわれず、肩の力を抜いて生きていく事も必要でしょう。 sisyuumishin様の仰る通り、生きていくには当然「お金」が必要です。それを得る為に人は皆、多少のストレスを抱えながらも地道に働き生計を立てているものです。 ただ、心に病気を抱えている場合・・となると少し話が複雑になってしまうのも確かです。私自身、かつて精神科勤務に勤務していましたが、やはり精神の領域は「正常」と「異常:語弊はありますが」の境界線が非常に不明瞭で、一体どこからが病気でどこからがその人本来の性格・気質によるものか・・・の見極めが難しいものです。単なる「怠け癖」から生じる訴えも往々にしてあるもので、その辺りの見極めは医師にも難しいようです。 現在通院されている病院の医師からはどのように言われていらっしゃるのでしょうか? この世の中には心の病を抱えながらも、適切な服薬コントロールによって生活している人達も大勢います。 お金が必要ならば、やはり働くしか他に手段はないでしょう。その際、あなたにとって無理なく働ける職場選びも大切でしょうし、あまり完璧を求めすぎず、あくまでもお金の為だと割り切って働く事も時には必要かもしれませんね。 ご自身の身体的・精神的なバランスを図り、少しでも良い状態で日々を送る事・・・それもまた人として必要な能力であると私は思っています。今こうしてあなたご自身、自らの状況に悩み苦しんでいらっしゃる時間もまた、あなたにとって必要な時間であり、それを自らの力で乗り越える事こそが大切なのではないでしょうか。 とにもかくにも「気持ちの持ちよう」です。 それは私自身にも言える事です。
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- tnytnytnytny
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お金があっても治りません・・・。 お金と病気は無関係か、かえって無い方がいいんじゃ?と思うくらいです。 私も、私の知り合いの鬱の人も、一日何十万使おうがそれで「すごく楽しい」と一瞬でも思えるならいくらでも払うでしょうが、ありえないから使わないで家にいます。 誘われて豪華な旅行に行っても、「こなけりゃよかった、いかなきゃよかった」てな具合のことが繰り返された結果こうなった、という。自分に使う100万円より、猫に美味しいエサを買ってあげるほうがずっと嬉しいかなあ。 お金がなくって、それを必要としている大切な誰かがいれば、きっとなりふり構わず働く気にもなるのに。とも思います。なら寄付でもすれば、と言われても、他人に興味は無いんです。 ・・・そんなわけで、お金があったら、と思うあなたはとても健康的だと思います。おわり。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は過去、買い物依存症のようなところもあったので、まだそういう部分が抜けきってないのかもしれないです。お金を使えば幸せが手に入る、みたいな感じが…。(今は使いたくても使えない状態を自ら選びました。カードも持ってないです) そういえば先日、なけなしの貯金をはたいて一人旅行をしたんです。でも全然楽しくなかったんです。過去に友人と貧乏旅行をした時の方が楽しかったですし、旅行中はずっと「子供と来たかったな。今度は一緒に来よう」と思ってました。 「一人」と言う状況がダメみたいですね。離婚して数年、友人もいますがすれ違いを感じたり、仕事的にも人と関わることがないので孤独なのかもしれません。かといってわずらわしいと負担になるのですが…。 CMで「お金で買えないものがある」というフレーズがありますが、そこがなかなか得られないから、バカな私は「孤独を癒す物もお金で買えるんじゃないか」と思ったのでしょう。 単に寂しいだけなのかな・・・。(それは確かに健康な証拠ですね)
お礼
非常に抽象的な質問でしたがご回答ありがとうございました。 調子が良い時は毎日こなせることが、不調だと数日ためてしまうんですよね。先日ふと、たまりにたまった洗濯物と食器類を見て「あぁ食器洗いと自動洗濯乾燥機があれば、どんなにきつくても食器や洗濯物がたまることがないからいいなぁ」と思ったのがきっかけでした。 私はある程度仕事も出来るから、今すぐには無理だけど来年くらいには食器洗いは買えるでしょう。でも本当に仕事も出来ない、他に頼れる家族もいない人だったらどうなるんだろう?と思って。 私がもし、本当に仕事も何も出来ない状況になったとしたら、この食器の山は誰が片付けるんだろう?とふと思いました。 先日ずっと過眠ぎみで予定通りに仕事が進まず悩んでたら、医師が「君は時間があると徹夜してでも色々とやろうとするから強制的に眠ってそれで出来るくらいの仕事量で丁度いい」といってました。 が、それは同年代の社会人と比べると半分くらいの量。(もちろん収入も)医師は「丁度いい」というものの、自分自身でも過去は人の倍以上働いていた経験もあるので怠けてるような気もするし、周りも怠けてると判断します。自分で思ってませんが、他人に言わせると物凄い完璧主義のようです。お金のためと割り切っててもサービス残業をしてしまうタイプです。 先日皇太子妃のご病気とその治療の話をTVで見ましたが、趣味のテニスに興じたりしながら心身の健康を取り戻してるということでした。 が、一般人では病気治療中に趣味のテニスなんて、お金はどこから出てくるんだ?と言う話になるし、テニスが出来るなら健康じゃないかと言われ、お金も使ってる事から「結局怠けてるだけ」と言われがちで。 環境が違うとこうも捉えられ方が違うのかなと、悲しくも思ったりします。 しかし今、私がこうして悩んでる時間・内容が無駄ではないことだけは確かなのでしょうね。自己認識と第3者の評価、そして実際の私が感じること。ストレスやその解消法、仕事に対する認識など色々食い違ってるために葛藤してるのでしょう。人生そんな時間も必要なのですよね。