ちょっと興味を引かれる質問でしたので、調べてみました。
これは、中国の有名な書家王義之の『蘭亭叙』の「又有清流激湍暎帯左右引以為流觴曲水」の一節だそうです。
彼については
「東晋の有名な書家といえば王羲之、王献之。この2人である。
王羲之(おうぎし)が属した王氏一族は、第一級の名門貴族であった。
王羲之が残した書の中でも最高のものとされているのが蘭亭叙(らんいていのじょ)である。 行書の元とも言われる逸品である。
その後いろんな人が臨書(書き写す)したので本物を見分けにくくなっている。
当時、王羲之の人柄を慕って、全国の名士達が会稽という土地の山陰の蘭亭に40人近くも集まり宴で盛り上がっていたときに書かれたものだと伝えられている。つまり蘭亭で行なわれた詩会の序文ということで蘭亭叙。
王義之は「書聖」と現代でも慕われている存在である。
蘭亭叙のほかには「楽毅論(がっきろん)・・楷書で書かれている。」や
「十七帖(じゅうしちじょう)・・・草書で書かれている」 「集字聖教序(しゅうじせいきょうのじょ)」が有名である。
王羲之には7人子供がいた。その末っ子として生まれた王献之(おうけんし)は、父の書法を素直に受け継いだ。王献之も優れた才能を発揮し、素晴らしい作品を残している。
・・・・とありました。
京都の城南宮で毎年行われる「曲水の宴」もこれにちなむそうで、HPには以下のようにあります。
蘭亭曲水(らんていきょくすい)…
東晋の右将軍であった王羲之(おうぎし)が主催した西暦353年3月3日、蘭亭に於ける流觴曲水(りゅうしょうきょくすい)があってこそ、曲水の宴を今日に伝え、尚一層興味深く、一層高尚な雅遊にしていると云える。書聖王羲之のその蘭亭序の名文とは、「永和9年歳(ほし)は発丑(きちゅう)に在り。暮春(ぼしゅん)の初め会稽山陰の蘭亭に会す。禊事(けいじ)を修するなり。群賢畢(ぐんけんことごと)く至り、少長咸(みな)集る。此の地、崇山峻嶺(すうざんしゅんれい)、茂林脩竹あり、又清流激湍ありて、左右に暎帯す。引いて以って流觴(りゅうしょう)の曲水となし、其の次に列坐す。糸竹管弦の盛んなる無しと雖<いえど>も、一觴一詠、亦以って幽情を暢叙<のべつい>ずるに足る。是の日や、天朗<あきら>かに気清み……」
私も京都の人間ですが、勉強になりました。
ヤフー中国で「暎帯左右」を検索すると、何だか病気関係の言葉のようですね~(^^
お礼
景観の表現とはまったく思いもよりませんでした。 ありがとうございました。