- ベストアンサー
理性の有無による強さと体罰の是非
- 「理性が無い人間の方が強い」という発言について、桑田氏は体罰の是非を問うているのだと思います。
- 漫画の世界においても、タイガーマスクやあしたのジョーなど、強ければそれで良いという存在が多く描かれています。
- 体罰や暴力をスポーツに向けることで、犯罪者にならずに済むという構図がありますが、教育現場での体罰には疑問があります。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
現在の教育現場やスポーツ全般の指導で、体罰を奨励し、骨折しようがどうしようが、死なない程度にいたぶるぐらいは許容される。体罰は本人の根性を叩きあげることができ、本人の精神的および肉体的強化に有効であるなどというような人はいません。 愛情のかけらもない行き過ぎた体罰は、体罰を加えた相手に憎しみと反抗心しか起こさず、自身の精神的な向上や技術の向上にはほとんど役に立たないことは明白だと思います。これは理性がどうこうというようなことではありません。人を育てるということは、植物の栽培に通じるものがあります。 植物を育てる場合、「根性で育てよ」と声を掛けたり、ムチでしばきまくって、「しっかり育つんだぞ」と言ったりしても、枯れてしまうだけだと思いませんか?愛情をかけて世話をし、適度な水をやり、肥料をやり、時には寒さから守ってやらないといけないこともあります。人もそれなりの愛情をかけてやって、人間らしく育っていくのです。 野球において、それぞれの技術の向上やチームの強化などを考えた場合、限られた時間でいかに効率よく体力の増強をはかり、守備力や打撃力を上げていくかが課題となります。毎日の練習で、お互いにケツバットで打撃練習をして、鉄拳制裁で腕を鍛えても、チームが強くなるとは、とうてい考えられません。 過去には体罰が当たり前のようにあった時期も確かにあったと思います。しかし、野球にしろ、どんなスポーツにしろ、体罰で選手が急速に優秀になっていくことはなく、体罰で選手たちを委縮させ、それなりにいうことをきく人間の集まりにしたい人間が、体罰と言う力で、弱い人間たちを押さえつけていただけのことなのです。選手自身が向上心を持ち、チームが一丸となって何かの目標に向かって突き進むのに、体罰は悪影響を及ぼすものでしかないと私は考えています。 梶原一騎は漫画の原作にも携わっており、私も彼の手掛けたいくつかの漫画を読みましたが、強ければそれで良いというだけのものとは違うと思います。その典型的なものが「空手バカ一代」で、この中の有名なセリフに「力なき正義は無能なり。正義なき力も無能なり」というものがあります。「男を成長させるのは、味方との融和でなく、強敵との死闘だ」ということを人生哲学にしていた人ですので、彼の作品にはそういったものが織り込まれているのです。
その他の回答 (1)
- meido2010
- ベストアンサー率15% (68/448)
強ければ良い。というのであれば梶原一騎氏の漫画原作は語れ ません。 巨人の星で大リーグボールをオズマにバット落としで一時破れ てから、バット飛ばしを予測する。野球ロボットと野球人形の 戦いを描くことはある意味危ういことです。 スポーツは人間がやるものであって、性能比べではない。 という理念がそこにはあります。 イチローや香川真司、本田圭佑などをどう思いますか。 世界一流になるには、ただ性能が優れているだけではダメですね。 人間はいつも好調を維持できるとは言えません。 スランプになってそこから這い上がるだけの胆力、精神力が試され ます。 まぁ、イチローくらいになれば他の選手と比べてなんていうのも 陳腐です。比べるくらいの選手がいないのですから。